終戦直後の北海道では、引揚者らによる集団入植により、それまで見向きもされなかった山間の土地や原野が各地で開墾された。当然、その多くは地味(ちみ)に乏しい場所ばかりで、世間が高度成長期に突入するや、次々と見切りをつけられ、やがて人煙が尽きた。
かつて美深町西方の山中に存在した集落「報徳」もその一つ。
当時、集落を貫いていたメインストリートの残滓は林道と変わらぬ道幅。ここを、小型とはいえバスが走っていたとは今では到底考えられない。
7月、生い茂る夏草の中から頭を出す往時の停留所標識は、やって来るバスに見逃されまいと必死に背伸びをしているようだ。
次のバスを待ち続けて50年――停留所の名は「小原宅前」。

この地を拓いた人々の「徳」は、果たして「報われた」のだろうか。