猿骨川の河口右岸には、海岸と並行するような平地が広がっている。
元は河道だったと思われるこの細長い土地に、半世紀前まで数十戸の家屋が集まっていた。それが上猿骨の集落だ。
一帯は道北の中でもとりわけ辺鄙な場所。
故に、ここで暮らす人々の暮らしは半農半漁の自給自足に近いものだったのだろう。
内陸にあった戦後入植集落である猿骨開拓は無住の地となって久しいが、上猿骨には今でも国道脇に酪農家が一戸のみ存在している。
周囲は、ここ10年の間に林立した発電用の風車により独特の景観を与えられてしまったが、旧国道の砂利道を頼りに海側へ下りていくと、かつての集落跡の広がりを感じることができる場所に出る。
そこでは残された廃屋が、ぽつねんと夏の日差しを浴びていた。

元は河道だったと思われるこの細長い土地に、半世紀前まで数十戸の家屋が集まっていた。それが上猿骨の集落だ。
一帯は道北の中でもとりわけ辺鄙な場所。
故に、ここで暮らす人々の暮らしは半農半漁の自給自足に近いものだったのだろう。
内陸にあった戦後入植集落である猿骨開拓は無住の地となって久しいが、上猿骨には今でも国道脇に酪農家が一戸のみ存在している。
周囲は、ここ10年の間に林立した発電用の風車により独特の景観を与えられてしまったが、旧国道の砂利道を頼りに海側へ下りていくと、かつての集落跡の広がりを感じることができる場所に出る。
そこでは残された廃屋が、ぽつねんと夏の日差しを浴びていた。
