桜の花が終わりかけるのと同時に急に寒くなって参りました。
昨日の雪はびっくりでしたね。
最近、三島由紀夫の「絹と明察」を読む機会を得ました。
1954年の近江絹糸労働争議を材料にした小説です。
そして、哲学者の田島正樹氏の書評を読むに至ったのです。
三島の思想を考慮しながらの書評でした。
その中で、ある一文が私にポ~ンと投げかけられました。
「偽善の自己欺瞞の塊であったこの人物(駒沢)が、やがて明察にたどり着くというドラマが、見どころといえよう。三島自身は、「父的なもの」を描こうとしたと述懐している。 彼にとって父的なものの不在は、生涯の問題であり続けたのであろう。弱い父と強い祖母のもとで育てられた三島は、父の代理を天皇に求めたのである。 もし、昭和天皇が自ら責任を引き受けていたら、その政治的身分はどうであれ、三島の精神のよりどころとなり得たのかもしれない。しかし、「人間宣言」によってその責任を放棄したことは、三島の蹉跌の一つとなった。」
この一文は、天皇の父性というものに対する私の課題となりました。
私の母は、両親を亡くして樺太から引き揚げてくる際、聾唖者の妹とまだ赤子の弟を連れて未来に絶望し、青函連絡船から身を投げようとしたのです。
しかし、ふと思いとどまれたのは、両親は亡くなっても、自分には国の両親が居るという思いだった、と小さいころに繰り返し聞かされました。
それ以来、私の中で天皇皇后両陛下は親の居ない子供たちにとってそのような存在になり得、命をつなぐ大きな役割を果たしておられるのだと自然に感じていたのでした。
それが、人間宣言によって裏切られたと感じた三島が居たということに大きな驚きを覚えてしまったのです。
と同時に、母はどうだったのかしら、との思いが生じて参りました。
母から聞く天皇の話はそれだけでしたので、終戦後の人間宣言に関しては何の感想も聞いていなかったのです。
天皇に自分の命を救うほどの強い父性を感じていたなら、あるいは母にも少しは三島に似た感情があったのかしら、と既に聞くことのできない母の気持ちを思ってしまうのでした。
意味ある本を読むことは、人生で大切にしていたものをよみがえらせ、また、新たな課題をもたらしてくれるものですね。