まだ森野夫妻が夫婦になる前、仲睦まじき頃、ふたりはよく都心の一般道をドライブしたものだ。晴海通りと中央通りあたりを、ただ行ったり来たりするだけである。ふたりとも所詮は田舎者なので、車を止めてもどこに行けばいいかわからないし、ただ、ぶらぶら車を流すだけである。渋滞するだろうに、何を好き好んで、とお思いかもしれないが、このふたり、車の中でゲスな遊びをしながら結構盛り上がっていたのだ。


題して、「あのふたりはどんな関係?」ごっこ、である。


もともと、場所は明確には思い出せないものの、都心のどこかでひどい渋滞にはまったことがあって、退屈を通り越してイライラし始めた遥香さんが、歩行者を見ながらぶつぶつ言い始めたのがきっかけである。最初こそ、このクソ暑いのに何が好きで歩いてんの?とか、ヒールをコツコツ鳴らして歩く美麗な女性を見て、足痛くなってんの隠すんじゃねーよ、とか、母親にしがみつくこどもを見て、ああいうクソガキは後ろから度突き倒したくなる、とか、まあ、渋滞の中ならだれもが一度や二度は思ったであろうことを口に出していたに過ぎないのだが、その日、彼女の目に留まったのは、35歳前後のふつうのおじさんと、割合きれいな、とはいっても麻生久美子には似ていない、25歳前後の女性が、腕を組んで信号待ちしている姿だった。


あれはきっと不倫だね。よくやるよ真昼間から。


ふたりのどこをどうみれば不倫と言う結論になるのかは知らないが、こういう時の遥香さんは絶対に譲らない。えー?普通のちょっと年の離れた恋人か夫婦じゃない?と森野が言ったところ


あんた、甘いね。あの性悪、見てわかんないの?ありゃ絶対不倫だよ。一選抜の課長だな、相手は。


と、相手の男性の素性まで断定し始めた。


ほら、フツー、夫婦は信号待ちで腕組まないって。ありゃ、なんかおねだり中だな。あのバッグも買わせたんだよ、あの男に。馬鹿だねー、そのうち、ポイに決まってんのに。


そういわれるとそう思えるから不思議だ。森野も、ひょっとしたら、と考えるようになる。


でさ、あのスケベ男もさ、買ってやったらそのあとはホテルだな、とか考えてんだよ。ほら、上見まわしてるのは、この辺にホテルあったかな、って調べてるんだよ、ったくこのスキモノが!


どんどんエスカレートする遥香さん。こうなると徹も黙っちゃいない。


出張同伴かなぁ。名古屋支店勤務なんだけど、明日、こっちでトラブルの処理があるんだよ。家族には、とんでもないトラブルだから、前日から乗り込む、とかなんとか言って出てるんだよ、きっと。悪い奴だなー、あいつも。


遥香さん、徹の反応にいたく喜びんだ。


あんた、意外と見る目あるね。そうだよ、名古屋から出張だよ。大阪の人間ならなら名古屋どまりにするだろうしさ。見た感じ、関西弁見下した感じするジャン。そのくせ、自分たちは名古屋だぎゃー、とか言ってんだよ、笑っちゃうよ。


人権問題に発展しそうな勢いである。もう誰にも止められない。


あの女性は入社3年目くらいだな。3年目くらいが一番やばいんだよ。ひょっとすると相手はあの男だけじゃないかもね。


そうだよ、やりマンだよ。来週は隣の課長と博多あたり行くんだよ。よく体持つよ、好きモンの体は想像つかん。ったく、ああいう性悪女にひかかる男はどうしようもないね。おねだり上手のとこ上手。あー、いやだいやだ。


遥香さんの美麗系の女性に対する目は厳しい。大抵、性悪、おねだり上手、と相場は決まっている。


が、当の本人たちには何の危害も加えないし、別に指さしてげらげら笑うわけでもないので、罪の意識もない。こんなゲス遊びに耽るのは、きっとこの二人ぐらいのものだろうが、それ以降、ある種の習慣のように、ふたりの人間ウォッチングが始まったのである。


・・・


さて、なんでこんな長い前置きをしたかと言えば、昨日は久しぶりにふたりがある人物に関して、あーでもない、こーでもないと言い始めたからである。昨日の対象者は


おれおれ詐欺の現金受取人が、交番で道を尋ねて捕まった


という信じられないような間抜けな話が発端であった。


職業意識が欠如しているな、この高校生は。バイト感覚でやってもらっちゃ困るんだよ。プロならプロらしく、事前に調べるとか、そういう当たり前のことができんバカ高校生だな、こいつ。


徹は男子高校生には厳しい。なにしろ、男嫌いである。


いや、違うよ。本当は心優しい高校生なんだよ。口に出しては言えないけど、お巡りさん、どうか気づいてください、みたいな感じだったんだよ。


遥香さんは男子高校生には理解がある。スーパーのアイスクリームの上に寝転がるやつは勘弁しないが、こういうことは許せるらしい。


うーん、でもいくらなんでも金もらうんだからさ、やっちゃいいことと悪いことってあるでしょ。どうぞ捕まえてください、みたいなのってある?


そうじゃないってば。この子、お母さんが病気なんだよ。小学生の妹もいるんだよ。でも、校則が厳しくてバイトできないんだよ。こっそりバイトしてたら、同じクラスのあんたみたいなクソいやらしいやつに見つかって、先生に言うぞ、とか脅されたんだよ。ホント、かわいそう、この子。


・・・そういう事情なの・・・?


なはずはないが、こういう展開になると、遥香さんにはとうていかなわない。


そういう事情なんだって。この子ね、きっと前歯が抜けてるんだよ。差し歯にしたいんだけど、お金ないの。なんで、間抜けに見えるの。でもね、心は優しいの。


つい先日、差し歯が取れたと大騒ぎをしていたのは、誰あろう、遥香さんその人です。


・・・でも、やっぱ、オレオレはまずいんじゃないの?


違うってば、書類取りに行ってくれ、って言われてたのよ、彼は。信じてあげなさいよ。ご飯も食べてないんだよ。朝はわかめスープだけなんだよ。


そりゃ、あんたの家のことだろ。


だから、きっとこの子は無実だわ。きっとよ・・・


何が原因でそこまで言わせるのかはわからないが、時々遥香さんは徹の想像をはるかに超越した場所にいる。この人に逆らったら、自分はどんなふうに社会から抹殺されるんだろう・・・徹の背筋は凍り付く。


・・・そうだね・・きっとこの子は善良な高校生だね。


そういうしかないじゃないか・・・すっかりあきらめた徹であった。


・・・


・・・


つづく