今回、衆院選の投票の際に、あわせて、最高裁判所裁判官の国民審査投票も行われる。
 
この国民審査だが、国民から見て、最高裁判所の裁判官としてふさわしいか、ふさわしくないかを投票することになるのだが、正直なところ、何をどう判断していいか分からない制度だ。

 

 

↑の記事で、投票の対象となる裁判官が、どのような判決を書いたか示されているが、裁判制度をよく理解していないと、とんでもないことになる。

 

たとえば、夫婦別姓問題訴訟で合憲とした裁判官は、最高裁判所の裁判官としてふさわしくないから、「×」 をつける人もいるかと思う。

 

ふつう、法学部を出ていなければ、裁判の知識がないのが当然なので、このような判断することも仕方がないが、よりよい社会を作るためには、なぜ、裁判官が合憲としたのか判決文を読んでから判断して頂きたいと思う。

 

↑の記事では、「民事事件」と「刑事事件」に分けて、裁判例を紹介している。

 

このうち、「民事事件」に関するものについては、裁判官の問題というよりも、裁判の当事者(訴えてる側、訴えられてる側)の訴訟能力に問題がある場合が多い。

 

特に、けったいな判決が下されるときは、当事者に問題がある場合が多い。

 

 

裁判官は、好き勝手に判断しているわけではなく、法律で定められた 次の3つのルール に従って、判決している。

 

1.当事者が言わないことは、判決文に書いてはいけない。(民事訴訟法246条)

2.当事者に争いのないことは、そのまま判決文に書くこと。(民事訴訟法179条)

3.証拠は、当事者が提出したものだけ採用すること。

※ 専門用語を使わず、分かりやすく説明しています。

 

具体例で説明します。

 

Aさんは、Bさんに、頻繁に、お金をあげたり、貸したりしていました。

7月15日、Aさんは、Bさんに、現金10万円をあげました。

8月10日、Aさんは、Bさんに、現金20万円を貸しました。

8月17日、Bさんは、Aさんに、20万円を返しました。

 

その3か月後、Aさんは、Bさんが、いつも、陰でAさんの悪口を言っていることを知り、

「7月15日に貸した10万円を返せ!」と裁判所に訴えました。

 

Bさんは、「7月15日に受け取ったお金は、もらったものだから返す必要がない!」と裁判所に言えばいいものの、誤って、「7月15日に受け取ったお金は、返しました。」と言った場合、どうなるのか?

 

裁判官は、先程、紹介した 3つのルール に従って判決を導き出します。

 

裁判官の思考回路は、

 

7月15日に、お金の受け渡しがあったことは、当事者に争いがない。

→ このお金の動きは、Aさんが、 あげたもの or 貸したもの どっちなんだろ?  

 

Bさんの、「7月15日に受け取ったお金は、返しました。」の発言から、借りたかどうかには争いがなく、返したかどうかで争っているんだな!

 

Bさんから、返したという証拠は何も提出されていない...つまり、返していないのだな!

 

判決 : Bさんは、Aさんに借りた10万円を返せ!

 

 

という判決になります。

 

この場合、悪いのは裁判官でしょうか?

 

僕は、法律に従って判決を出した裁判官に、非はない、という認識でいます。

 

裁判の過程で、裁判官が、「これ...おかしいぞ!」と気づいたら、「Bさん、あなたはAさんとの間で、複数回お金の受け渡しされていますが、本件は、借りたもので間違いないですか?」と尋ねることも法律上可能です(民事訴訟法149条)。これは 釈明権の行使 と呼ばれるもので、釈明権を行使しなかったとしても違法ではありません。

 

そんな親切な裁判官なんかいない! と思うかも知れませんが、確実に、存在します(僕の体験談)。

 

また、裁判する場合、一般的には、弁護士に依頼することが多いと思います。

 

裁判官は、大量にある裁判を片付けないといけませんので、「弁護士さんの方で、事実関係ぐらい、きっちり整理しているでしょう。」として、当事者の言い分を鵜呑みにしているかも知れません。

 

上記の例だと、Bさんがお願いした弁護士がアホだった...という見方もあります。

 

けったいな判決が下された場合、代理人である弁護士は「不当判決だ!」と裁判官を批判することは可能ですが、裁判官は、守秘義務があるので、「弁護士がアホやから、こういう判決になったんだ!」とは言えないのです。

 

この点を踏まえて、国民審査投票して頂ければ幸いです。

 

 

※この点を理解して判決文を読むと面白いですよ。

 

↓についても、単なるミスなのか、意図したミスなのか...。

 

 

 

 裁判所は、様々な表現方法を駆使して、何らかのメッセージを送ってきている...というスタンスで、判決文を読むようにしています。

 

夫婦別姓問題の判決文も読んでいて、思わず吹き出してしまいました。

 

訴訟を提起した夫婦、もう燃え尽きたのかなぁ。