↑の写真、2012年12月6日に撮影したもの。
仙台空港に、着陸する直前に、海岸線を見た瞬間、何とも言えない感情になり撮影した。
「10年で復興は無理だ。20年...いや、もっとかかるかも。」
仙台空港で勤める女性に、震災時の話を聞いた。
また、仙台空港着後、石巻に向かい、被災地を見て回った。
想像以上の光景だった。
大震災があったのは、2011年3月11日。
1年8カ月になろうかとしてるのに、墓石が倒れたまんまだった。
その墓石が倒れたまんまの中、赤いランドセルを背負った女の子が、ごく普通の表情で歩いていた。
倒れた墓石をみて、何とも感じない?
あまりにもショックを受けた。
津波の影響を受けた小学校の校舎を眺め、この光景を五感に焼け付けようと、あたりが暗くなるまで見続け、誰もいない校舎の中から元気な子供たちの声が聴こえてこないか耳を澄ませ、運動場の土や、規制線を超え、建物の中の匂いを嗅ぎ、校舎のドアにも触れた。
まだ、四感。
五感で記憶するには、どうすればいいか...と考え、少量だけども、運動場の土を食べた。
少しでも多くの人に、被災地の状況を再認識してもらうよう、強い念を込めた。
すると、翌日、震度5弱の地震が発生した。
偶然だろうけど、不思議な体験だった。
そんななか、2013年9月7日(日本時間8日)に、2020年のオリンピック開催地が東京に決まった。
決まった瞬間、雄たけびをあげていた フェンシング野郎 の顔は、今でもハッキリと覚えている。
東京オリンピックの開催が決まり、被災地復興のための資材や作業員たちが東京に流れ、資材や人材も高騰する結果となった。
悔しくてねぇ...涙が出てきた。
、...あと、少し。
どうか、東京オリンピックの中止が決まりますように☆彡