前にもお話しした、娘のクラスの白ネズミ2匹を夏休みの間預かった出来事を覚えていますか?

我が家に到着した時の状態のままなら、恐らく無事にクラスへお返しできたはずなのに・・・

 

 

 

娘と一緒に毎日観察していたら欲が出て、もっと快適に暮らせるようにと通路を立体的にし、巣にはたくさんの藁を敷いて、生活に張りが出るようにネズミ用回し車の配置換えをして、などとやっていたら、大きい方のネズミが小さいほうのネズミをかみ殺してしまったのです。

 

誰かの意図で良かれと思ってすることが時に災いをもたらすという教訓でした。

僕のせいで死んだネズミを埋葬するときの居たたまれない気持ちを、10年以上経った今でも忘れることはありません。

 

 

人間社会では、既得利権を手にすると、それらが民衆には欠かせないものであればあるほど、手にした人は権力や富を増やしてゆきます。これが王国を作る基本の仕組みです。

 

王位をめぐる人類史上もっとも大きな出来事は、現在でいう中東で紀元前3200年頃から始まった数々の文明がそれに当たります。

 

そのとき王(支配者)とセットで宗教も起こっています。

 

世界3大宗教は、キリスト教、イスラム教、仏教ですが、信者の数からいうと仏教はマイナーな位置づけで、現在ではヒンドゥー教の方が勢力があります。

宗教の話をしたいわけでないので的を絞りますが、エルサレムという場所を聖地と定める宗教には、キリスト教、イスラム教に加えてユダヤ教があり、これらの宗教は皆聖書を読み、旧約聖書しか読まないユダヤ教が最も古いのです。

 

旧約聖書に書かれているお話は宇宙創生から始まって、王をめぐる人類最古の文明で起こったこととその教訓です。

 

古代エジプト文明、古代メソポタミア文明などは聞いたことがあるのに、ウバイド文化、シュメール文化にはあまりなじみがないと思います。
その理由は覇権争いに勝った文明とそうでない文明ということなのかも知れません。


ユダヤという言葉は北イスラエル王国に迫害を受けた旧ユダ王国の末裔という意味です。その旧ユダ国にエルサレムがあります。
なぜユダヤ的思想は迫害を受け、科学、金融、資源、武器、政治、情報などの産業のトップは彼らが牛耳って行っているのでしょう。
日本の歴史に置き換えれば、藤原一族のポジションがユダヤ一族のポジションに似ています。

政治の表に顔を出さず国を操る、陰の番長みたいなポジションです。

 

 

日本人の殆どはこの史実に無関心で、パレスチナ問題、イラン・イラク問題、エジプト・アラブ問題が現在も続いていることは、おとぎ話の世界くらいにしか捉えていないように思います(イギリスがすべての引き金を引いています)。

 

興味がない事へ無理に首を突っ込んで波立たせるより、

自分たちだけは平和な暮らしを維持していればいい」

と思うかもしれませんが、暮らしが快適に成ればなるほど、実は他との摩擦も大きくなっていくという現実を突きつけられます(冒頭にお話ししたネズミの話)。

 

戦争=利権をめぐる他人との摩擦

 

覇権争いはなぜ起こるのか?

その殆どはある国(富裕層)の快適さを求める利権争いが原因で起こっています。

現在のロシア―ウクライナ戦争もそうだと思います。

戦争を仕掛ける(仕掛けられる)国や組織は、利権が危ぶまれるので仕方なく始めています。

想像ですが、プーチン、ヒットラー、昭和天皇などが「悪」でそれに対抗するものが「善」ということではない気がします。

 

 

戦争が悪いのは、利権に絡んでいる張本人ではなく民間人が多数犠牲になることです。

一旦戦争が起これば、特定の利権に莫大な利益がもたらせれる事は、ちょっと考えれば誰でもわかる話なのに、なぜか皆目をそらし続けます。
善良な人々を犠牲にする金儲けを戦争といい、そこにイデオロギーなどの宗教問題はあとから付け足した言い訳の様なものです。

 

話変わって、江戸時代の日本でこんな事実があったのはご存じですか?

暦を制したものが民意を得る

 

映画化されましたが「天地明察」という話はそこから来ています。

 

どんな人でも真実を知りたいと言っている割に、事実から目をそむけるのは何故でしょう?

一言でいえば「真実は苦い」からだと思います。

良薬であっても、苦ければ本能的に手が出ないのでしょう。

 

 

 

未来永劫続く権力は、人類の歴史を見る限り見当たりません。

王をはじめとする時の権力者は、トップに立った瞬間からその権力を失うことを恐れます。

そのとき何を始めるかというと、権力を維持するために民衆を真実から目を背けるように誘導するのです。

 

腐敗したマスコミと聞いて久しいですが、それは今に始まったことではなく、その本質は民衆を欺き、支配者の思うように誘導するツールなのです。

 

マスコミも含めどんな分野にも、人々のために真実を伝える少数の方々と、権威の傘下で保身のために嘘をつく多数の方々で社会は成り立っています。

残念なことに、三大宗教を初めとするありとあらゆる団体の中でも同じようにそれは起こります。
メジャーな宗教になった根拠は、教えが真実というより、権力者にとって民を欺きやすく、民衆にとって苦くないからです。

 

一人ひとりが次のレベルへシフトする必要があるのは、お花畑でのほほんと暮らす夢や理想を実現させるためではなく、真実という苦い薬を口に入れ、人類の愚かな歴史から学び、地球上のすべての生き物とバランスよく暮らすためです。

 

 

生きるために食べる食事と贅沢のために楽しむ食事にどんな違いがあるのでしょう?

 

生活で苦しんでいるのは、誰かが必要以上に快適な暮らしをしているからです。

もしあなたが、快適過ぎる暮らしを手に入れたなら、他の生命を苦しめているのです。

 

子供たちに夢を与えるために贅沢を見せつけるのが成功者と言う人は、その心が貧しいと自白しているようなものです。

 

過分な利益は黙って他の命へお裾分けしましょう。

それは人だけに限らず、生きとし生けるもの全てが対象です。

 

地球はそれら全てから成り立っているからです。