毎年6月の頭に、マウイ沖縄県人会のキッズ・キャンプのお手伝いをすることに決めている。
13年目になる今年は、ようやくコロナ規制が緩和されて前の様な活気が戻って来た。
キャンプの趣旨は、沖縄(琉球)人の先祖を持つ米国移民の子孫たちにその文化を伝え残すためである。
僕は東京生まれで、先祖は北海道移民なので沖縄とは正反対の北日本文化(?)なので沖縄とは関係がないはず。
ヤマトンチュウ(沖縄以外)の伝統武術である居合道が、なぜ沖縄文化センターで開催されているのか不思議に思いつつも、2007年の一月に友人に誘われて居合道を習うため、沖縄センターへお邪魔することとなった。
居合道をマウイ島で教えていたのは白人のロバート先生で、その方の奥様が沖縄からの移民を先祖に持つ方だったのでそのような運びになったそうである。
少しの間、固い話が続くので嫌な方は、青字を飛ばして読んで頂きたい。
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おそらく居合道をやったことがある日本人の方は少数であると思う。
それは明治9年の廃刀命令が下った時と、第2次世界大戦で敗戦国となった時、政策として独自文化を捨てさせる方針が発令されたためである。居合道もそれに準じて風前の灯火となった。
私が現在続けているのは「土佐英信流」で、主流は「無双直伝英信流」というものになる。
その始祖は林崎甚助というお方で、足利時代末期に山形県で始められたものと聞く。
第七代長谷川英信という宗家が江戸で研究し英信流の原型をまとめた。
後にそれが土佐藩(高知県)公認になり、土佐へ根付いていった。
第十七代大江正路が現在の英信流の基礎となるものを完成させ、現在第二十一代福井虎雄まで続いている(敬称略)。
居合道一つとっても紆余曲折があり、辛うじてその伝統は引き継がれているが、流派間は勿論のこと、同じ流派でも随分異なっているのが現実である。
15年間続けて来て分かったことは、文化伝承には必ず輪が外れたチェーンのような部分が生じるということ、それは大きな組織の圧力によって切れてしまうのだ。
切れた後は、それぞれが覚えているものや文献に書かれているものを頼って変化してゆく。
沖縄は琉球王国という独立国家だったが、中国と薩摩藩によって圧迫され、租税を二重に治めさせられたのち、明治4年より日本に同化させられ、敗戦後一時アメリカになり、1972年に日本へ返還された。
返還という言葉は、琉球民族にとっては屈辱的な表現だと察する。事実はアメリカに属するか、日本に属するか、琉球民族が選択したというのが正しい表現である。
終戦から87年間も経ったいま、それらの経緯を知っている若者はほとんどいなくなった。
沖縄は中国だったと主張する隣国。尖閣諸島はそのきっかけづくりに使われているのに、大したアクションも起こせない・・・文化や歴史は無視されて、支配者の都合で(経済と武力によって)変えられようとしている。
文化は継続が難しく、国家の様な大きな組織の方針によっていとも簡単に潰され、貨幣経済社会の価値観で切り裂かれてしまうのだ(これがグローバリズム)。
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歴史的背景を知れば知るほど、沖縄キッズ・キャンプで居合道を教えることに矛盾を覚え、辞めさせていただこうと思い続けながら、気が付けばあっという間に13年が経ってしまった。
1994年。ハワイの文化継承にハワイ・イロア号というハワイアン外洋航海カヌーが作られたのを御存じだろうか?

ハワイ諸島にはそれに適した巨木がなく、南東アラスカ先住民たちがその船体となる巨木(一本5千万円位)二本寄贈した。
そのときハワイの代表者だったナイノア・トンプソンが、
「我々の文化のために、あなた達の大切な木を頂くわけにはいかない」
と辞退しようとした際、
「あなた方の文化を助けることは、自分の文化を助ける事なのです」
と長老たちに言われ、素直に受け取りそのカヌーは完成した。
他の文化を支えることは、圧力によって潰されてしまった自分の文化を守ることになるという。
日本の侍文化から学んだことを沖縄移民の子孫たちへ伝えることで、彼らの文化を根絶やしにしないお手伝いをしながら、自分の文化を守っていく。
これがキッズ・サマーキャンプで僕が続けていることなのだが、継続は言葉にするほど容易ではなかった。
自身ですら10年目を過ぎたころから、ようやくそれに気付いたくらいだから、県人会の方達に容易に伝わるはずも無く、中々受け入れられなかったのは言うまでもない。
今思えば、20代前半で夢を実現するために会社組織を辞め、故郷を離れハワイに来て自分のツアー会社を始めたが、ビジネスに特化する事に興味がわかず、夢であった自然学習型宿泊プロジェクトを始めるも、財政難とコロナで打ち砕かれ、この2年間は写真撮影の練習と複数のボランティア活動しかしていない。
一般的なビジネスモデルに服従して生きるより、自分の文化を通し人間の本質を実践する方が重要と感じ突っ走って来たが、気付けば玉手箱を開ける浦島太郎の手前まで来てしまった気がする。
そうやって生きられてしまうのは幸せな事だと思うけれど、渦中にいる本人は常にもがき続けているのだ。
ひとつ前のブログでお伝えした、共通の価値感へ知らぬ間に誘導されると、加速経済のベルト上で走らされ続け、何のために走っているのか分からぬまま、豊かな心で臨む人生はおざなりにされてしまう社会制度。
その制度からの脱却を子孫へ伝える事は、気付いた人が実践し、自分の言葉で説いて行かねば、地に足が付いた新しい価値観は育たないと思う。
僕が思う明るい未来は、経済を主軸としたグローバリズムではなく、
個々を中心としたすべての命と共存するローカリズムだと思う。
これもまた、言うほど簡単ではない現実があり、欲深い人類に達成できるかは微妙なところだろう。





