商売と聞くと最初に頭に浮かぶのは八百屋さん。
お母さんのお買い物について行ったとき、活気があって圧倒された思いがあるからかもしれないし、生きるための食材を、財布の中のコインやお札と取り換えてくれることを不思議に感じたのかも知れない。
商売に不可欠なのは算数。 「リンゴが3つと桃が2つ、合わせていくつ?」
これができるようになると、世の中を概念的にとらえることができ、価値を数に置き換えるようになってゆく。
また、商売には価格を決めるセンスがとても重要になると思う。
高いと感じれば、人は買わないので商売が成り立たなくなるからだ。
一生に一度しか買わないようなものは高価で、毎日の生活で必要なものは大抵、安価である。
高いものは価値が高く、安いものは価値が低いのだろうか?
先日、夕日の撮影をしているとき、中国人観光客が近寄って来たので、楽しく談笑した。
僕が中国の経済発展を称賛した後、彼はこう漏らした。
「中国は他の国と武力によって争った結果、経済を豊かにしたのではなく、平和的に発展させた」
なるほどそう言われてみればそうだなと納得したが、どうしても何かが引っかかってスッキリしなかった。
戦争は武器によって、人の命を奪うことばかりがクローズアップされるが、なぜ戦争が始まるのかに焦点を当てる人は少ない。
それは国際的な商売のもつれが原因となっていることが多く、武器を生産、消費させること自体も商売になっている。
中国は西洋列強が近代化を進めるとき、他民族を中国に吸収することに忙しかっただけで、それがひと段落していたらやはり積極的に参戦していただろう。その証拠に現在中国は、東シナ海問題を含め、核ミサイル、空母、戦闘機をどれだけ保有しているか考えれば一目瞭然である。
商売をするときいつも気になることがある。
仕入れより高く販売しなければ商売は成り立たないから利益を乗せる。その事自体に問題はないが、生きるために必要な事柄(価値)が先にあって、それを労働によって補うとき利益が生まれるのではなく、商売のために価値を生み出し続ける社会体制に問題があるように感じる。
つまるところ経済成長さえしていれば世の中は安泰と勘違いするひとが多くなり、環境破壊がものすごいスピードで進んでしまう。
その利幅(価値付け)には程度問題があり、あまり多すぎると悪徳商法と呼ばれる。
真っ当にやっても、情報量とスピードを使えば、大儲けが可能な経済構造(為替や株式市場)を作り、忙しく頭を使い、リスクを背負って投資したものが成果となって表れる。
ただ残念なことに、その成果が大きければ大きいほど、その利益を余計なことに使うようになっているらしい。
戦争はその余計なことの一つなのだ。

生命は他の命を奪い、自らに取り入れることで維持される。
バクテリアのような小さな生命から、クジラのような大きな生命に至るまでその基本は変わらない。
ヒトも、殺生を四六時中している(させている)。
ヒトが他の命と大きく異なるのは、一日の大部分を生きるのに必要なこと以外の、余計なことへ費やすことだ。
そこに商売が巧みに絡んでいる。
あなたが友人のお手伝いをするとき、その対価を求めないことがほとんどだと思う。
しかし、賃金を得るために労働するときは、対価がなければ働かないだろう。
「お客様は神様です」という言葉が一時流行ったが、そのお客様がお金を払わなかったら、神様から泥棒に変わってしまう。
この接客業は、相手に親近感を植え付けながら、提供者側はそれを賃金を得るための労働として捉える。
「時は金なり」で、時給という形で納得してもらうか、楽しくお酒が飲める場所提供に価値があることで納得してもらう。
こうやってみると、価値付けとは、根拠があいまいで、商売とはどこか詐欺っぽさがぬぐえない。
松下幸之助のような偉大な商人は、その矛盾を埋めるような行動力で商売の哲学を作った。
そうやって、市場経済はあたかも意志を持った生き物のようにように感じることが出来る。
これを民主主義(政治)や法律によって平等に動かし、報道で民衆を納得させながら、先進諸国は進んでいる。
しかし資本家はその市場を消費者に分からないようにコントロールしてしまうので、長い目で見れば富裕層は益々富を得ることになっている。
結果、目の前の者を友としてみる人は金銭的には貧しく、利益を得るための道具として扱う人は金銭的に豊かになるのだ。
武器が進化して簡単に戦争が起こせなくなった今、それは経済戦争という形で続いているだけのことで、その根本は変わっていない。
不可解な飛行機墜落事故は、世界のパワーバランスを変えてしまうような技術者が搭乗しているときに起こる。それをマスコミは追求できないのも、そこに商売が絡んでいるからだ。
ここまで話せば結論は想像がつくと思う。
「リンゴが3つと桃が2つ、合わせていくつ?」
これを5つと答えた人は、ご自分の感性を見直した方がいい。
事実はリンゴが3つと桃が2つで、これは変わりようがないのだ。
物事を概念的に脳の中でまとめ、合計を5つにしてしまうことが、不幸せの原因なのだ。
ひっかけ問題でずるいと思われるかもしないが、マスコミの報道は、ある意味ほとんどがひっかけ問題で、あなたはそれに引っかかっりながら、感性を閉じて生きている。
リンゴと桃は本来違うもので、それぞれの味わいがあることを楽しむことに生の価値がある。
千疋屋の高級果物を五つ買えることが幸せなんじゃなくて、友人の家に遊びに行ったとき、たまたまとれたて福島産の桃がだされ、それを友人と一緒においしく食べる体験そのものを幸せと言うんじゃないかな?
あなたが幸せを感じられないのは、誰かのせいではなく、リンゴと桃をごちゃまぜに、計算ばかりして過ごしているからで、生身の人間と偶然を分かち合えなくなっているからではありませんか?
背負っている荷物やスケジュールに余裕を持たせ、思い通りにならない現実を、知恵を働かせ工夫しながら生きること。
それで十分な気がします。


