科学が発達して色々なことが分かって来ても、かえって幸せは遠くなっていくような気がするのは僕だけだろうか?

美味しいお菓子を「大人買い」していく大人を見て、いつか僕もそうなってみたいと子供のころ夢を見たけど、いざ大人になってそれをしてもそんなに幸せな気持ちがしなかったのに似ているのかな?

 


 

コロナ禍で一時、観光業が途絶えたハワイに住みながら、誰もいない観光地で撮影をしていると、風の音、虫の声などいろんな音が聞こえてきてとても幸せな気持ちがしたのがずいぶん昔に思えるほど、現在はワクチン接種が進み、経済を動かさなければ生きていけないと、見切り発車をする感じで、多くの家族連れが観光に訪れるようになった。

と同時に唯一の総合病院マウイメモリアル・ホスピタルの病床は満員になった。

ここマウイ島の中で一番振り回された産業は、レンタカー業界だと思う。
カフルイ空港に新しいレンタカー専用ビルを建造し、空港ロビーから電車を引き、全て準備が整ったとたん、コロナ渦になった。
多くのレンタカーを処分し、今度は前以上に訪れる観光客のために、車をかき集め、カーディーラーには普通車が無くなってしまった。
これらの損失を補填するため、彼らはさらに貪欲にマーケティングしていくのだろう。

結果、マウイの観光スポットでは駐車場が足りず、違法駐車が増え、住民はとても困っている。

そのイライラは運転マナーに顕著に表れるから、そこらじゅうで事故が起き、日々の生活は穏やかではなくなってしまった。

いろんな方に、「ハワイに早くいきたい、それを励みに日々頑張っている」とメッセージが来ると、正直何と答えていいか分からない。
柔らかく現状をを理解していただこうと試みるが、誰一人その話を聞いてはいない気がする。


きっと自分だけは違うと気を悪くされると思うが、車中のゴミを窓から捨てることと、マウイの至る所をレンタカーで走り回りはしゃぐ事は、程度の違いこそあれ同じ事なのだ。
ここハワイ諸島は、日々の生活の憂さを晴らすゴミ箱にされている!



「動物園は必要悪なのか?」というテーマでの話し合いを聞いたときに、良いとも悪いとも結論付けられなかったことを思いだす。

それでも人々にはハワイ旅行は必要なんだろう。

嫌なら僕が出ていけばいいのだ。


経済が絶頂期の日本で青春時代を送って来た僕は、バブルが弾け、日本経済はデフレから逃れなくなり、何とか経済を維持しながら現状をこなしていて、まるで生命維持装置でかろうじて生かされている人のように見える。


その間も科学技術は発達し、なかでもAIは次々に人々の仕事を奪っていく。
そしてたまった憂さを晴らすための海外旅行はコロナのために自粛させられ、踏んだり蹴ったりだ。

日本の知人達から受ける、負の感情を痛いほど感じながら、僕はいたってポジティブに生活している。

 

それはここが楽園だからではない、冒頭にお話しした通りひどい現状なのだ。



ほとんどの少年少女が夢を持ちながら大人になって、「大人買い」できる年齢になるとその夢を失ってしまうのはなぜか?


それは、まるで経済が幸せを作っているように錯覚し、自然を破壊しながら作る「人工蜃気楼」に酔っている大人達の仲間入りをしたからだと思う。


家庭を持つことが「不幸せの始り」だと感じた若者達は、ついに結婚しなくなり、したとしても子供を作らなくなるのが何よりの証拠だ。

これは生命の本質から見れば異常事態である。

ハワイで遊ぶ家族を見て幸せそうだと感じるが、どうして生活をしている場所ではそれが出来ないのか?なぜ工夫しないのだろう?


それは中途半端にお金を持ってしまったからなのかも知れない。お金を維持することに追われ、自分で工夫する余裕がなくなったのだと思う。


その代わりどこかの誰かに工夫させ、その人達をお金でこき使う事が幸せと勘違いしてしまう。


それが子供の頃の夢を諦めさせられた、仕返しなのかもとさえ感じる。

確かに美しい景色と、素晴らしい気候は人々をウキウキさせる重要な要素だと思う。
ただそこに何年も済めば、それは当たり前のことになっていき、日本に行っておいしいものを食べたい、情緒ある古都をたずねて、深みのある時間を過ごしたいと渇望するようになる。




お金持ちの方達が四六時中情熱を傾けてやっていること。


無いものねだりを叶えること。

それらを占有すること。


僕ら一般の者達は先ず、備蓄やそれを失わない保証を必要とする。それは貯金であったり、保険であったりするのだが、自然災害や疫病の前にはほとんど役には立たないのが虚しい。


それなのにお金の余裕ができたら、お金持ちの真似をして贅沢をし、蓄えを減らしてまた必死に働く、、、。



もしコロナ渦がこの後すぐに終息したとしたら、きっとそこから何も学ばないか、学んでもすぐに忘れて、備蓄、保証、浪費の三拍子を繰り返しながら、心の安らぎを犠牲にし、科学技術、経済発展と共に人類絶滅まで突き進んでいくのだろう。


これらも「必要悪だから」と一言で片づけていいものなのだろうか?