同じ日本語を話しているはずなのに、外国語でもないし、訛がキツイわけでもないのに、話が通じない。
何度か経験したことはあるが、本当に話が通じない。
同じものを見ているはずなのに、全然違うものを見ている気持ちになる。
しかも、相手はこちらが同じものを見ていると信じて疑わないものだから、尚更たちが悪い。
何故、そんなことが起こるのだろうか。
そもそも、同じ前提条件で物事を見ているわけではないということが、1つ挙げられる。
でもそんなことは日常茶飯事であり、そういうこともある、とほとんどの人はわかっているはずだ。
これによる勘違いは、ほとんどは対話することにより解決する。
自分の中では◯◯と思っていたものが××であったり、のような話だ。
では、もっとたちが悪い場合はどうなのか、というところだ。
それは、見ているものが違うのではなく、見たいものが違う場合だ。
例えば、あるアクション映画を観たときに、この映画の恋愛パートは面白いが、アクション映画としては、まあまあという感想であったとする。
でも、恋愛パートのみを観て、この映画は面白い!とか、この映画はクソだ!となっている場合、アクション映画として楽しんでいる層からすれば、よくわからないことになる。
基本的に、人間は、見たいものしか見ない、というより、見たいものしか見ようとしない、という悪癖なある。
人とはこうあるべき、とか、この人はこういう人だ、という思い込みがあったりする人とは、話が合わなくなる。
ちょっとの付き合いならいいが、付き合いが長くなれば疲れる。
そういう人とは、なるべく距離をあけられるよう努力すべきである。
往々にして、そういう人は、自分の周りから人が離れていくことを知っているので、しつこい。
何か言うと面倒臭いことを言ってくるので、なるべく関わらないようにする。
そのうち別のターゲットを見つけていなくなるだろう。
こういう人とは関わるだけ無駄なのだ。
変わらないからね。