『遺体』
そんな、衝撃的なタイトルのこの本を、私は読むことになった。理由は、3月の頭に私が所属している市民劇団で震災をテーマにしたリーディング公演をやることに決まったからだ。

私は、この『遺体』から抜粋した1節を朗読する。

抜粋された台本をもらい、はじめて語りを読んだ際、演出から
『そんな風に読んでほしくない』
と言われたのだ。

私としては、精一杯読んだつもりだった。とは言っても台詞があるわけではなく、ただ状況の説明だったため、確かに軽く考えてはいた。

『散乱した遺体を回収って、どんな感じだかわかってる?ちゃんと想像してる?』

正直、全くもって想像できない。もう一度読み直したが、最初とあまり変わってる感じはしなかった。

これではまずい、と思ったため、同じ出演者から本書を借りて、読むことにしたのだ。

そこには、津波の発生から事態の沈静化に至るまでのまさに『遺体』の詳細が語られていた。

正直、今でも実感がわいているとは言いがたい。それはそうだ。私が生まれてから『遺体』と対面する回数なんてたった2回。それも、棺の中に入れられ、まるで花畑の中で眠っているかのような姿だけだ。ましてや水死体や損壊した遺体なんて見たことがない。

そんな人達だったはずなのだ。本書に出てくる、被災した人々は。

3月11日。あの日、たった半日で何人ものひとが津波に流され、生き残った人達も、見知った街に見知った人の死体が転がっている。そんな『地獄』を目の当たりにしたのだ。

本書を読んでいて、特に印象に残ったことがある。それは、

『まるで眠っているような姿なのに、その、口、鼻、耳、穴という穴に泥が詰まっていた』

という文。

愛しい我が子を見つけて、顔を見ると、まるで眠っているかのようで。けれど、呼吸をしていたであろう口や、鼻に泥が詰まっている。そこで、『ああ。この子はもう、息をしていないんだ』
と悟る。

なんて、残酷なんだろう。でも誰も責められなくて。ただただ、悲しさと悔しさ、虚しさだけが募る。

そんな地獄の中でも、懸命にその『遺体』の尊厳と遺族の悲しみに寄り添おうと動いていた人達がたくさんいたのだ。

遺体安置所の管理を買ってでた方は、次々と運ばれてくる遺体、中にはもう腐敗しきって人とも判別がつかなくなっている人たちに対し、『ちゃんと、家族のもとに届けてやるからな』と優しく声をかけ続ける。そして、泣き崩れる遺族に対し、『毎日、会いに来てあげてください。この方もきっと喜ばれます』と慰め続けていた。

身元を割り出すため、ひたすらに運ばれてくる遺体の口腔内を調べ続けた歯科医師。
身元を特定するとはいえ、この未曾有の大災害でどれだけの遺体が家族のもとに帰れるのだろう?
 もしかしたら、自分のやっていることは無駄に終わるかもしれない。そう感じながらも、1すじの期待と希望を込めて、次々と運ばれてくる遺体をくまなく調べて回る。

今回、私が読むことになった1節。消防団員の話。彼らは、震災直後から行方不明の人々の捜索と遺体の回収を行っていた。
『助けてください』
本書に出てくる彼らは、この言葉を、生涯忘れないだろうな、と思う。

1部抜粋して紹介したが、他にも様々な人が震災直後、混乱する中で、少しでも人々の心に寄り添おうと動いていたのだな、と感心すると共に、そこに人の『強さ』を感じた。

体験してない人には想像できないほどの『地獄』を経験しながら、他人を思いやり、死者にも敬意を払う。そんなことが、私にも出来るのだろうか。

人生には必ず一回。大地震を経験すると言われている。私は生まれてこの方、これほどの大きな地震に見舞われたことはない。しかし、今後生きていく上で、いつなんどきこんな災害が降りかかるのかわからない。

その時に私は、冷静に避難し、その後も冷静に復興の手助けをしていくことが出来るのだろうか。そんなことを考えさせられた書籍だった。

今回、コロナの影響で本公演が延期となった。まだまだ私は、彼らの姿をリアルに表現する事はできていない。これから、また、考えていかなければならない。