手首骨折いたしました その1 | Mevrouwのブログ。。。ときどき晴れ

骨折り損とはよくいったもので、骨折はいいことなどない。

 

嘆かわしいことに、手首を骨折してしまったのでその記録を書いておこうと思う。

 

4月7日水曜、

夕方ジョギングに出たが、なんだか気忙しさが残ったまま走り始めてランニングアプリを立ち上げていたら、

足元に注意が及ばず突起につまずき、派手にころんだ。

起き上がるときに右手首が燃えるように熱く、いびつな形になっていたので、折れたなと。

すぐにホームドクターに電話。

いつもは予約しにくい(寝てれば治る、医者に来るなというのが基本)が、転んで骨が折れたようだ、

というと今スグにいらっしゃいとなった。

猛烈に痛い。

いったん家に戻って冷凍室からワイン用の筒になっている保冷パックをとりだして、

それに手をつっこんで、冷やしながら小走りで医者へ。(走って5分)

医者(インターンのねえさん)はこれは折れてるねとさすがにすぐに気づき、病院のERに紹介状を送ってくれた。

当方、痛いだけでなく貧血も感じていたので夫に電話してERにまで連れて行ってもらう。

 

ERで手首の外見を見て、折れてるから引っ張ってつなぎなおしてみようという。

痛み止めのパラセタモールをのんだうえで、医者が手首の関節に麻酔注射をして、

チャイニーズフィンガーという器具で10分牽引。

 

その後、医者と看護師の二人がかりで手首を指側と肱側で引っ張って位置をみはからって骨接ぎを試みてくれた。

麻酔していてももちろん痛かったがこれしか方法はない。

クリック音があって、つながったな、という気がした。

すぐにシーネでがちっと固められて手をつられた。

ギプス室はまるで部活の部室のようななごやかな場所だ。

その後すぐにレントゲンをとってもらうように言われ、レントゲン科へ。

戻ると、医師が残念な顔立ちで、このままではつながっても不安定でずれるだろう、

放置すると後遺症があるだろうから手術だ、と告げるのだ。

かくして翌日外科医と会うことになった。

気落ちして帰る。

 

痛み止めをのんで就寝。

 

翌日4月8日木曜、病院へ。夫に送迎を頼んだ。

外科医は私のことをほとんど見ることもなく、手術しなくちゃだめだね、とあらためて言う。

レントゲン写真が目の前にあり、

つながっているように見えたがそれは素人目なのだろう。

 

 

手術は来週になるだろう、日時は係から連絡される、とのこと。

 

帰宅してスーパーに歩いて買い出しへ。(それくらいはできる)

電話が入り、手術は月曜にできるが受けたいかというのでお願いする。

それからはメールで問診票やらPCRテスト案内やら麻酔科の注意事項やらがどんどん来る。

金曜の午前中までにすべて返信を終えると午後にすぐPCRテストを受けるようにと指示がきた。

その後指定の番号に電話すると、月曜に日帰り手術が決まったので

当日は絶飲食のうえ朝7時に病院のER窓口に来るようにと言われた。

 

4月12日月曜 朝7時 

次男に送ってもらい、病院へ。

名前をいうとすぐに手術控室前の廊下に案内された。

他にも数名日帰り手術予定者がならんで椅子にかけている。

名前を呼ばれベッドに案内され、男性看護師が愛想よく現れ、パラセタモールと水を持ってきて飲めという。

パラセタモールのんで、言われたとおり手術着に着替え待っていると、

こんどはまたまた朗らかな女性看護師が来て、ベッドごと麻酔室まで行く。

麻酔室に入るとすぐ看護師が心電図の端子を体に貼って、

抗生剤いりの点滴をはじめた。

看護師さん点滴の針をうまくさしてくれて全く痛くない。

しかも明るく、とても親切だ。

やがて麻酔医とその助手(どちらも女性)が来て挨拶をした。

この人達もとても感じがいい。

外科医が来て、どちらの手首か確認していく。

麻酔医が戻ってきて首から静脈麻酔をはじめた。

これは奇妙な感覚。

怖いなと思ったが、慣れているようなので任せるしかないと覚悟した。

だんだん右手がしびれ、ほとんど感覚がなくなった。

そしてベッドで手術室へ。

手術台に自分で移れるかというので起き上がって移る。

すると麻酔医再び現れシーツをかけ、全身麻酔するからねという。

もう、まな板の上の鯉なのでジタバタしない。

はい。

アクリルのマスクをはめられ、ガスがでてきてまもなく気が遠くなる。

みなさん、どうもありがとう、と言ったのだけ記憶にある。

 

気がづいたら麻酔室にもどっていた。

右腕は全く感覚がない。

ギプスが巻かれている。

切開してメタルプレートとネジで骨をとめておくタイプの治療はギプス使わないときいたが、

ここはそうではないらしい。

時計をみると、10時。 静脈麻酔しはじめて1時間半くらいしかたっていない。

さきほどの看護師が麻酔が覚めたかどうか応答を確認。

執刀医が来て無事に終わったと告げる。

麻酔医が来て、8時間から12時間後に麻酔が切れるから痛みがくる。

痛み止めは痛くなる前から飲み始めなさいねと告げて去る。

やがて別の看護師がきて、

糖分が必要だからね、これ食べて、とアイスキャンディーをくれた。

ごく素朴なプレーンなものだが、冷たくて甘くておいしい。

いい考えだなと思う。患者は寝たまま、ひとりで手で持って食べられる。

それから麻酔が覚めるのを待って控室へ。

12時頃には迎えにきてもらいなさいと言われ、次男にテキストで連絡。

別の看護師が来て、サンドイッチ食べるかというのでお願いした。

チーズサンドとコーヒー。

美味しい。

あっという間に食べてコーヒーのおかわりまでもらう。

手術着から自分の服に着替えるのを手伝ってもらう。

感覚が全くない、マネキン人形のような右手を首からぶらさげてトイレに行く。

その感覚がない手の指先が異様に熱くなっているので看護師にこんなんで大丈夫なのかと聞くと、

ブロック麻酔だと化学変化が起こってしばらくは熱をもつのだという。

そんなもんなのか、へー、と感心していると、

薬局で薬もらって帰ってよろしいよと告げられる。

10日後にレントゲン撮ってギプス取替とのこと。

車椅子に乗るようにいわれ、押してもらって薬局で痛み止めをピックアップして玄関へ。

コロナのたいへんなときなのに、病院の医師も看護師もスタッフもみなさんとてもにこやかで親切。

これにはとても驚いた。

ケガで気弱になっているのでありがたいことこの上ない。

次男が車できてくれて、乗って帰宅。

 

結構強い痛み止めを処方され帰ってスグのむように言われた。

時間を開けなければ行けないが、その間はパラセタモールを飲んでいいというので、

そのとおり、どんどん飲み、夕食はスープだけ飲んで、録画してあったヨハネ受難曲を聞く。

夜が更けるころに麻酔がきれてきた。

手の指の熱さも消え、代わりにピリピリ感。

自分の腕が戻ってきた。

それとともに痛みがやってきた。

でも痛み止めがっちり飲んだので寝られないということはない。

右腕をクッションの上に置いて眠る。

何度も目がさめたけど、痛み止めをのんでまた寝る。

トイレが若干不自由だが、左手だけでもできるものなのだなとわかった。