少年サッカー時代 | Mevrouwのブログ。。。ときどき晴れ

次男は6才のときからオランダのクラブチームでサッカーを練習してきた。

途中で二度クラブを変わったし、

いったん日本に帰って二年近く日本の少年団サッカーも経験した。

決してうまくはないが、

ずっと楽しくやってこられたのはとてもありがたいことだったと思う。

 

 

それに比べ、

長男には週に一回の日本人クラブチームでのサッカーだけしかやらせてやれなかった。

長男はその後日本の高校でサッカー部で真っ黒になっていた。

もう少し緑の芝でのサッカーを経験させてやればよかったと後悔している。

まあ、本人それなりに日本の部活で達成感を得たようではあったが、、、、

 

日本の部活や少年団とちがって、

こちらのサッカークラブチームには補欠という概念がない。

必ず試合にでられる。

週に2~3回の練習と週末の1試合がシーズン中の活動で、

これだけでうまくなる子はどんどんうまくなる。

これは、という逸材はスカウトされてプロのカブチームに入る。

子どもたちはどんなに下手でもそれなりのチームに入れてもらい、

それなりのチームと試合をする。

とても合理的だし、裾野が広いのも頷ける。

日本にいたあいだ少年団に所属したが、案の定万年補欠だった次男は

ちっとも楽しくなさそうで、練習にも身が入らない。

親だけが役員として毎日走り回り、子どもはベンチにも入れずポツネンとしていたので、

業を煮やして退団した。

日本ではそういう親はわがままと映るようであるが、

そんなこと我慢する必要はない、と思う。

 

そういうわけで、オランダのサッカークラブは「さほどうまくもない子」にとってもかなり居心地がよい。

ただ、やっぱりオランダ人以外の人種には結構ハードルが高い部分もある。

といっても、クラブによっては移民が多いチームもある。

適度に混ざっていれば理想的なのだが、

たとえばトルコ人ばかりのチームもあり、

公用語はトルコ語である。

どこのクラブに入るか、というのは悩ましい。

 

何が楽しいのか、試合前のウォーミングアップでハイになったりもする子どもたち。

 

3年前に最後のクラブに移った。

仲良くはなれないにしても移った年にチームが優勝し、盛り上がった。

チームの世話人をしてくれていた親御さんたちにもずいぶんお世話になった。

小柄であまり頼りにならない選手であっても、

「あの子は脚が速いから、こういうときに役に立つね」

などと褒めてくれる。

どんなにありがたく感じたことであろう。

 

そして、怪我をしたりしてたいへんな時期もあったが、

最後は満足してシーズンを終えることができた。

 

そしてこれで子どもの少年サッカーは本当に卒業である。

17,8才という年頃になると勉強が忙しくなったりして、

サッカーを続ける子どもは少なくなる。

19才になる年には少年カテゴリーは終わって成人チームに入ることになる。

次男は成人チームに「進級」しなかった。

大学が違う都市にあるので両立はとても無理。

 

私自身もこれまで毎週日曜は犬を連れて応援に行った。

アウェイの試合のときは延々と高速を飛ばして送っていったもので、

日曜マチネのオペラやコンサートはなかなか行けなかった。

 

終わった~。感無量。

 

巻きずしとからあげを差し入れした。

ささやかな打ち上げ。

 

みんなげんきでがんばれよ~。