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【ご法門】 「 妙法 《(みょうほう=法華経の事)》 を 持(たも)つ身(み)なれば 釈迦諸仏(しゃかしょぶつ) 菩薩諸天(ぼさつしょてん)の つねに守護(しゅご)あり 」 【御題】 「 信行観心(しんぎょうかんじん) 所願成就(しょがんじょうじゅう)の歌(うた) 」 ➡ 妙法=法華経(ほけきょう)を信(しん)じ口唱 《(くしょう=南無妙法蓮華経のと口で声に出して唱える事)》 を続(つづ)ける人(ひと)には釈迦如来(しゃかにょらい)やあらゆる佛様、菩薩様、諸天善神様方(ほとけさま、ぼさつさま、しょてんぜんじんさまがた)が守(まも)ってくださいますと説かれています。そしてそのためには信行が肝心(かんじん)であって、色々な願い事はみんな叶(かな)うと説かれています。信行とは当宗では他宗と違い、信じることと行ずることで信心の修行(しゅぎょう)をする事を指し、具体的には毎日朝夕に御題目=南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)を声(こえ)に出(だ)してお唱(とな)えする事が基本です。信行を欠(か)かさずに行っている信者にはあらゆる佛様・菩薩様・諸天善神が守護してくださり、願い事も叶えてくださると説かれています。これは佛様=釈迦如来が法華経以前に説いた教えは本当の教えを説くために説いた仮の教えで、本当の教えに導(みちび)く為のものだったと前置(まえお)きされて 【法華経】 を説かれました。その時5000人もの弟子・信者が席を立ち、出て行ったそうです。残って法華経を聞かれたすなおな信者の為に佛様達・菩薩様達・諸天善神はこぞって久遠(くおん)の本仏(ほんぶつ)に法華経の行者を守りますとお誓(ちか)いをされたそうです。ですから法華経の行者が困っている時には人を遣(つか)わして都合(つごう)の良い方向(ほうこう)に導いてくださり、事件・事故・災難に遭(あ)いそうなときには人を遣わして避(さ)けさせて戴けるのだと教えて頂きました。ありがとうございます。
 
お導師より御法門後この御教歌の御指南のコピーを頂きました。
「 されば花(はな) ものいはねどもさきぬれば人(ひと)こゝにあつまり、水(みず)あれば月(つき) かげを宿(やど)す、いかにまねけども 花なきかげには人来らず、水かれたる池(いけ)には月やどらず、南無妙法蓮華経と聲(こえ)する處(ところ)には、諸天善神必ず来たり給(たま)ひ 法味(ほうみ=南無妙法蓮華経の声)なき處には悪鬼(あっき)も便(たよ)りを得(う)るなれば、謗法なく受持(じゅじ)する人、有難(ひとありがた)きを忘(わす)れぬ人には諸仏諸天も忘れず守らせ給ふ故(ゆえ)に、信者御題目をわするれば、諸佛も信者をわすれ給へり 」 (末法相応安楽教導抄) を御指南として拝読されました。ありがとうございます。
 
更にお導師よりのコメント
仏法を学ぶには「教観=門」があります。
これは「教え」と「修行」です。
  教相       摂受行         本已有善
              ↑            ↑
  観心       法行観心 ー 熟益・智者の解行
            信行観心 ー 下種益・凡夫の信行
              ↓           (末代)
             折伏行          ↓
                         本未有善
仏様の説かれたお経にはそれぞれそのお経の修行が説かれています。法華経も教えと修行が説かれていますが、法華経は修行者の 「時代」 と 「機根」 によって修行方法が異なるのです。正法・像法時代の竜樹菩薩・天親菩薩・天台大師・伝教大師等は法行観心、末法時代の高祖=日蓮大士は信行観心を教えられました。これらは法華経の行者がえらぶものではなく、仏様が法華経の中で指定されているのです。そのことを高祖大士は 「 四信五品抄 」 で理論的に明らかにされたのです。