【御法門】「 怠(おこた)りの 魔軍(まぐん)を責(せめ)めて 弘(ひろ)むべし まけてはならぬ 祖師 《(そし=日蓮聖人の事)》 の御味方(おみかた) 」⇒ ⇒ この御法門は平成29年圓妙寺5月度婦人会御講・令和5年夏季参詣第13日目で、7月29日の御法門と同じです。よろしければR5.7.29分をご確認ください。【29年大意】「 今日末法(こんにちまっぽう)の時代(じだい)に、私(わたし)たち凡夫(ぼんぶ)がこの本門(ほんもん)の下種(げしゅ)の妙法《(みょうほう=法華経の事)》 を頂(いただ)き、教(おし)えの通(とお)り一所懸命(いっしょけんめい)にご信心(しんじん)させていただけば、必(かなら)ず御奉公(ごほうこう)の邪魔(じゃま)や障害(しょうがい)が起(お)こってくるものである。したがって、この本門 《(ほんもん=法華経には迹門と本門が有り、その内の本門に基づく)》 の御題目 《(おだいもく=南無妙法蓮華経の事)》 の信行御奉公(しんぎょうごほうこう)をさせていただくにあたっては、まずその覚悟(かくご)が大切(たいせつ)であるとお祖師さまは『 如説修行抄(にょせつしゅぎょうしょう) 』にお示(しめ)しくだされたのである。私たちはお祖師さまを信行お手本(てほん)といただき、お祖師さまに続(つづ)かせていただいて、怨嫉(おんしつ)に負(ま)けないよう、なお一層精進(いっそうしょうじん)すれば、必ず御経力(おんきょうりき)で乗(の)り越(こ)えることができる。そして計(はか)り知(し)れない本化(ほんげ)の菩薩(ぼさつ)の果報(かほう)を頂戴(ちょうだい)できるとお示しの御教歌(ごきょうか)です。」【御経文】「 而(しか)も此(この)の経(きょう)は如来(みょらい)の在世(ざいせ)すら猶(な)ほ怨嫉多し、況(いわん)や滅度(めつど)の後(のち)をや。」【御妙判】「 夫(そ)れ以(おもんみ)れば末法流布(まっぽうるふ)の時(とき)、生(せい)を此土(このど)に受(う)けて此経(このきょう)を信(しん)ぜん人は、如来の在世より猶多怨嫉(ゆたおんしつ)の難甚(なんはなはだ)だしかるべしと見(み)えて候(そうろう)なり。云々(うんぬん) 」【御妙判】「 此法門(このほうもん)を申(もうす)には必ず魔出来(ましゅったい)すべし。魔競(まきそ)はずば正法(しょうぼう)と知(し)るべからず。第五の巻(まき)に云(いわ)く、  行解既(ぎょうかいすで)に勤(つと)ぬれば三障四魔紛然《(さんしょうそまふんぜん=①煩悩障、②業障、③報障。①煩悩魔、②五陰魔、③死魔、④天子魔)が競うように表に顕れてくる》 として競い起る。乃至随(ないししたが)ふべからず畏(おそ)るべからず。之(これ)に随へば人(ひと)をして悪道(あくどう)に向(むか)はしむ。之を畏れば正法を修(しゅう)することを防(ふせ)ぐ等云々(とううんぬん)。(天台大師の魔訶止観(まかしかん) 第五)此釈(このしゃく)は日蓮が身(み)に当(あた)たるのみならず門家(もんけ)の明鏡也(めいきょうなり)。謹(つつしん)で習伝(ならいつた)えて未来(みらい)の資糧(しりょう)とせよ。」【御妙判】「 各々思(おのおのおみ)ひ切(き)り給(たま)へ、此身(このみ)を法華経にかうる(替)は石(いし)に金(こがね)をかへ糞(ふん)を米(こめ)にかうるなり。仏滅後二千二百二十余年が間迦葉、阿難等、馬鳴、龍樹等、南岳、天台等、妙楽、伝教等(かしょう、あなんとう、ばめい、りゅうじゅとう、なんがく、てんだいとう、みょうらく、でんぎょうとう)だにも、いまだひろまり給はぬ法華経の肝心(かんじん)、諸仏(しょぶつ)の眼目(がんもく)たる妙法華経の五字、末法(まっぽう)の始(はじ)めに一閻浮提(いちえんぶだい)にひろませ給ふべき瑞相(ずいそう)に日蓮さきがけ(魁)したり。わたうども(和党共)二陣三陣(にじんさんじん)つづきて迦葉、阿難にも勝(す)ぐれ、天台、伝教にもこえよかし。仏の御使(おつかい)となのりながらをく(臆)せんは無下(むげ)の人人なりと申しふくめぬ 」