【御法門】「 清風 《(せいふう=本名 長松清風=日扇聖人の事)》 は どんなおやじと 人(ひと)とはゞ(ば) なんにもしらぬ 真(しん)の俗物(ぞくぶつ) 」⇨ ⇨ この御法門は平成25年寒参詣第1日目の御法門と同じです。【25年大意】「 開導聖人《(かいどうしょうにん=日扇聖人の事)》 がご遷化(せんげ)になる約ひと月半前、神戸教実組親会場(今の神戸佛立寺)の開筵式(かいえんしき)にお出(で)ましになってお詠(よ)みになった御教歌(ごきょうか)。もし世間(せけん)の人(ひと)が、わたしの亡(な)きあと清風先生とはどういう人であったかと問(と)われたら、かしこがる学者(がくしゃ)が大嫌(だいきら)いな市井(しせい)の一凡人(いちぼんじん)であったと答(こた)えよ、と仰(おお)せになって、明らかにご遷化近きを予測(よそく)されて、佛立信心(ぶつりゅうしんじゃ)の要諦(ようてい)を御指南(ごしなん)くだされた御教歌です。」【御指南】「 本門(ほんもん)の肝心上行所伝(かんじんじょうぎょうしょでん)の御題目宗也(おだいもくしゅうなり)と云事(いうこと)を若(も)し当今明治年間(とうこんめいいねんかん)に弘(ひろ)め奉(たてまつ)らずばいづくの誰人(だれひと)の弘め下(たま)はんや。能々是(よくよくこれ)を勘(かんが)ふべし。されば清風一人如説修行抄(せいふういちにんにょせつしゅぎょうしょう)の御家来也御使(ごけらいなりおつか)い也。(乃至=ないし)されば清風の身は不浄也(ふじょうなり)とも戒徳(かいとく)は備(そな)へずとも南無妙法蓮華経を弘持(ぐじ)し奉れば袋(ふくろ)きたなしとて黄金(こがね)を捨(すつ)る事勿(ことなか)れ 」⇒ ➡ 日扇聖人は謙遜(けんそん)されていますが、幼少より《書》《絵画》《漢詩》《国学》等 を学ばれ、26才の時には公家商家の知識人に《源氏物語》を講義される程の学者のような方ですが、母親を亡くされて仏道を志され、本門八品講の寺院で得道が32才と遅かったそうです。小僧から修行されて、妨害や迫害に遇われながら本門佛立講を開講されています。