【御法門】「 花(はな)になく 鶯(うぐいす)ならで 病人(びょうにん)の なくてなくなる 医者(いしゃ)はかなし 」【背景】「 明治8年3月27日は京都医師会よりの訴(うった)えによって京都府に出頭(しゅっとう)された日だそうです。それを受けて4月9日に全教講(ぜんきょうこう)に向(む)けて通達(つうたつ)を出されました。⇨ 御教歌の意味は、本門佛立講 《(ほんもんぶつりゅうこう=今の本門佛立宗の事)》 の教えが弘まり病人が当病 平癒(とうびょうへいゆ)のご祈願(キガン)とお助行(じょぎょう)とお供水(こうずい)の御利益(ごりやく)から医者に通う人が減(へ)り、医師会が危機感から訴えた事から詠まれたそうです。➡ 結論は、医療と仏教の教えは全くの別ものであって、お互いを妨げるものでは無いので、治療・投薬を拒む事は筋違いであるから間違った指導をしてはならないと通達されました。誰かがお供水だけ飲んで、医療行為はしてはならないとお折伏したのでしょうね?」⇒ ➡ 幕末から明治初期に医者に掛かる事はお金も必要で、たいへんな事。医者に掛かれない人は加持祈祷(かじきとう)や民間療法(みんかんりょうほう)に頼(たよ)っていた事。医師会が危機感を持つ程にこの教えが弘まった事 。➡ 私は薬は決められた時に決められた量を飲む様に。お供水は薬であるから薬と一緒に飲まない様に。飲むなら時間を置いて南無妙法蓮華経とお唱えする事。と教わりました。