ロブチェで5人 | ”Stratoblue”  航空写真家 野口克也 Blog

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空から蒼を切り取る航空写真家 野口克也のオフィシャルブログ

3月9日
体が動かない。全身に疲労感。
どこが悪いと言うわけではないのに、とにかく動かない。
ほとんど登りの無い平坦な河原のトレックも休み休み歩く。
とにかく重い体を引きずるように歩く。
昨日のロッジで二人っきりだったアリゾナのジェリーさんと一緒にDukulaで昼食。

Dukulaの裏の急坂を登りきると一面のシェルパの墓。
石を高く積み上げただけの墓。
主にエベレストでなくなったシェルパが葬ってある。
吹き付ける雪混じりの冷たい風と暗雲。
”生”を感じない光景が広がってきた。

氷河の脇をひたすら歩いてLobucheに13時着。
ここに一人、また一人と、日本人の男がやってくる。
俺をいれて全部で5人。
一人で旅してる男が5人もひとつのロッジに集まってしまった。
普段は英語のあまりしゃべれない日本人はロッジで片隅にいたりするのだけれど,
今日ばっかりはカナダ人とアメリカ人がちょっと弱く見えた。
しかし、男が5人も集まると話す内容は大体どんなところにいても同じになるもんだ。
ヒマラヤの奥地にいてさすがに性欲の方は諦めてるけれど、
みんな旅が長いせいか食欲の話が一番盛り上がる。
京都駅の高架のたもとにあるラーメン屋の第一旭と新福菜館のどっちがうまいかとかなんてエベレストの麓にいてめちゃくちゃマクロな話をで盛り上がっていた。
高山病でつい3日前に日本人の女の子がヘリで運ばれていったそうだ。
高山病で全身がパンダの・・熊だったかな?ように腫れて危険な状態だったようだ。

4900m。寝苦しい。




3月10日

みんな一人旅だ。手をつないで歩くようなことはしない。
お互い自分のペースで最後のロッジGorakshepを目指す。
標高差はほとんど無い。
13時ソル・クーンブで一番高いロッジのGorakshep到着。
ここでエベレストが見える展望の丘、
プモリの麓の小さな頂のKalapatarを目指す3人と氷河をさらに上ったところにあるエベレストベースキャンプに行く2人に別れる。
俺はKalapatar組。
ま、一緒にいくにしても自分のペースで登るんだけれどね。
GokyoPeakの時も下から上がってきていきなり登ったらへばってたし・・。
案の定、急坂を登った後の割りと平らな場所でほかの二人からずるずる遅れ始める。
ぜんぜん動かない足。
右足の次に左足を出すことすらおぼつかない。
もう、口は全開、取り込める酸素をすべて取り込みつつ、
さらに意識して呼吸しないと酸素の供給がまったく追いつかない。
息をするくらい簡単なことと言うもののたとえがあるが、
いまや、息をするのすら大仕事である。

はるかかなたに二人が頂上に登りきっているのが見える。
待っていてくれているのだけれど、ペースなんてもんじゃない。
歩くことすらできないのだから。


ものすごく時間がかかったのかそれほどでもなかったのかわからないけれど、
何とか頂上についた。
「登りきったぁ!」とは思ったけれど、
雲で何も見えず、あまり感動は無かった。
耐寒装備を整えて夕陽を待つことにする。
二人は先にロッジに下りていった。

夕陽を待つ。夕陽を・・・・。
雲ばっかりジャン。
おまけに下のほうはかなり雪が降っているのがわかる。
薄暗くなった山頂に自分ひとり。
はるか数キロ先にロッジが見えて、
その間には誰一人人の姿が見えない。
下から迫ってくる雪雲・・・・。
降りることを決断しないわけには行かなかった。
陽が暮れて吹雪になって知らない場所で5500mの場所に一人では分が悪い。
さっさと荷物をたたんで降りることにした。
南極越冬隊員のようなダウンジャケットを持ってきていたけれど、
もって来て良かった。
5000mの日暮れ前の吹雪にはまったくオーバーな装備ではなかった。

ロッジについた時は全身雪まみれになっていた。

上から帰ってきて一回だけ同じロッジになったKyokoと目が合う。
ガイドとぴったりくっついてるわ。
こっちもまったく目を合わさず4人の男たちと話す。
仕立さんとKalaPattar登頂のお祝いでビールを飲むことにした。
うまかったけれど、頭ガンガンしてきた。
やめときゃよかったよ5000mでは。

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