<後付>新左翼系 メモ1 | 聖書 書置き板

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万一役立ちそうな事があれば、
イエス様を通して父である神にお礼を言っておいてください。

※追記をよくするのでそれはご容赦ください


騙りや嘘等を考えたら、細かい識別なんかは無理なので、

日本人も外国人もクリスチャンもまずい流れからは離れた方がいい

食べ物系が難しそうか?後自分的には医療系がちと難しい所か

 

キリスト教系はキリスト教徒系の終末論考察では

「宗教として北の王や南の王、後不法の人の解釈」「国として」、

欧州や英米の名前がエホバや陰謀論?等で普通に挙がるレベルなので、

自分としてはキリスト教云々は除外させていただく

(知ってる方もいるだろうが北の王や南の王がどこそことかそういうの)

 

 

創業者・朴甲東

1919年3月11日、朝鮮慶尚南道、ソウルの南約300kmにある丹渓里(ダンゲリ)で、

名門両班の地主の次男として生まれる。

 

1941年、早稲田大学卒業後朝鮮へ帰国し、

朝鮮独立運動に身を投じ抗日パルチザン「朝鮮独立同志会」を組織する。

戦後、朝鮮共産党機関紙「解放日報」記者を経て、南朝鮮労働党に合流。

1948年、朝鮮民主主義人民共和国が建国されると、文化宣伝省ヨーロッパ部長になるが、

1950年、金日成の粛清により逮捕、監禁される。

1956年、釈放されると翌年に北朝鮮を脱出し、日本へと逃れて金日成政権批判を続けた。

同じ南朝鮮労働党出身の朴正煕とも親交があった。

 

朴正煕に、アメリカに秘密に、

中ソとの国交回復のために北京・モスクワに赴く全権密使になることを依頼されるも、

その直後に朴正煕はKCIA部長の金載圭に暗殺される。

1992年1月、朝鮮民主統一救国戦線常任議長。

主な著者

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太田 龍太田 竜1930年〈昭和5年〉8月16日 - 2009年〈平成21年〉5月19日)は、

日本の革命思想家である。元日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)委員長。

本名、栗原 登一(くりはら とういち)。

 

思想

マルクス主義→アイヌ解放→エコロジスト→反ユダヤ主義

所属

革共同、トロ同、第四インター(委員長)、日本みどりの党、日本みどりの連合、地球維新党

 

 

樺太豊原町出身。東京理科大学中退。

1970年はじめはアイヌモシリ独立運動、

終わりごろはエコロジスト運動、自然食マクロビオティック)や

特に自然食運動の始祖桜沢如一の革命理論を取り込んでいき、

家畜制度全廃、反米フリーメイソンイルミナティのような

秘密結社を含む反ユダヤ主義、反国際金融支配となる。

 

その後、人類は爬虫類人によって支配されているという説を取り込んでいる。

若い頃からの座右の書は法華経古事記

 

 

縄文 ナショナリズムとスピリチュアリズム という所拝見すると、

コラム第19回より

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現代は、西洋による世界支配の時代であり、西洋的食の支配の時代である。

それでは、「西洋的食」とは一体なにか、

一言で言えば、それは自然征服思想にもとづく食である。

 

すなわち、食(すなわち地上の生きもの)を、

征服、支配、搾取、統制、管理の対象とみるのである。

際限もなく人工を加えた食をより価値あるものとみなすのである。

 

すべての生きものは、

唯一の神によって、人間の食べ物となるためにつくられた(旧約聖書、創世記)、

という、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教のドグマ

(それをマルクス主義は受けついでいる)が、その根底にひかえている。

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※ 当時、マクロビオティックによって具合は良くなったらしい

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以前は、アイスクリームや甘い菓子などが無性に食べたくなったが、

そのような衝動もなくなった。

 

頭痛や神経の苛立ち、息苦しさに悩まされていたが、これも消えた。

呼吸はスムーズになり、平静な気分が回復した。

体重も元に戻り、目立って根気が続くようになった。気力も回復し、活動量も増えた。

「私の心身は奇跡のようによみがえり、

 二十歳代、三十歳代の若さがもどってきた」ように感じられた。

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太田にとって、自然食の実践は、

西洋文明・近代文明・都市文明を解体する「第一歩」と捉えられた。

「家畜の肉をはじめとする邪食」こそが現代人を蝕む根本的病理であり、

自然食への回帰こそが、革命の原点となると考えられた。

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太田は、権藤が縄文人と天皇の存在を連続的に捉える見方に対して、厳しい批判を行った。

太田にとって、「神武天皇の一党」は

「大陸からのごろつき流民の切り取り強盗の徒党集団」であり、

日本原住民と真っ向から対立する集団だった。[太田1981b:110]

 

しかし、このあと、太田の見方は一転する。

彼は日本原住民と神武天皇の連続性を強調する皇国主義ナショナリストへと変貌し、

世界における日本人の優位性を説くようになる。

その転換のきっかっけとなったのが、陰謀論への傾斜だった。

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(略)

 

晩年はユダヤ陰謀説というよりも、

フリーメーソンなどの組織を陰謀の主体と考える傾向が強まっていた。

その思想の三本柱は陰謀論;国粋主義、伝統主義;自然食、家畜制度の全廃であり、

靖国神社に参拝していた。

 

基本的に独学の人であり、一日16時間近く勉強していた。

一日に一冊、英語の洋書を読むほどの英語力を持っていた。

ジョン・コールマンユースタス・マリンズデイビッド・アイク

などの著書を数多く翻訳している。

 

「ユダヤ・ネットワークが世界を裏で支配している」

と主張する反ユダヤ主義およびユダヤ陰謀論の日本における代表的論客の一人であった。

太田当人は「私のことを主張が転々としている、と言う者がいるが、

私は一貫して『反米』なのだ」と語っていた。

 

 

 

 

世界ソビエト社会主義共和国とは、

日本の新左翼活動家の太田竜が掲げた「世界革命」後に樹立される世界統一国家の国名。

 

 

 

 

共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へとは、

日本の新左翼党派である共産主義者同盟赤軍派活動家で、指名手配中の梅内恒夫が寄稿した手記。

概要

1972年5月10日付の『映画批評』に寄稿した手記で、約6万字にも及ぶ膨大な文章である。

指名手配者による手記という特異性もさることながら、

当時の新左翼に蔓延した反日思想(窮民革命論反日亡国論日本原住民論など)

の理論形成に寄与し、その年の12月には東アジア反日武装戦線がつくられることになる。

 

特に八切止夫史観に着目した部分は、

太田竜に古史古伝などのオカルトに関心を持たせるきっかけを与え、

後年、太田竜が陰謀論者として名を馳せることになるなど、多大な影響を及ぼすことになった。

 

ちなみにこの手記のコピーは第三者を経由して八切止夫の所にも送り届けられた[1]

八切止夫はこの手記を見て「私には覚えのない文章も、その都合で歪められて用いられていた。

と憤慨したという[2]

 

手記の最後に「1972年4月16日」の日付が記されており、

これが梅内恒夫の最後の消息となっている。

太田竜は「同志として公然と確認しよう」と返答したが、それに対して梅内恒夫の応答はなかった。

(この辺がよくわからない。肯定的なのか否定的なのか → コラム18回見ると駄目そう)

要旨(最初の3つ略)

日本人の「犯罪性」

八切止夫が掲げた「日本原住民論」を通じて、

下記に記される日本に征服されてきた人々の歴史を明らかにし、

彼らの憎悪と呪詛を掘り起こせと説く。

  • 部落民 - 日本原住民の末裔であり、皇室を頂点とする大和民族とは別民族であるとする。大和民族と同族であるという幻想から解放せよと説く。
  • アイヌ - 15世紀のコシャマインの戦い以降、アイヌ民族絶滅政策が続けられており、今まさに滅ぼされようとしている。対日侵略戦争の最終決戦において、内側から呼応して内乱を起こせと説く。
  • 沖縄人 - 沖縄人は東南アジアのギリシャ植民地の逃亡奴隷の末裔であり、決して日本人ではない。琉球は独立すべきであり、征服者を一掃する権利があるとする。
  • 在日朝鮮人 - 戦後10年間に起きた数々の朝鮮人暴動(阪神教育事件など)は「正義の反乱」であったが、弾圧を受け鎮圧された。在日朝鮮人の帰還事業が行われているが、在日朝鮮人は日本への恨みを晴らすために、敢えて日本に留まり、内側から反乱を再開せよと説く。

日本人は戦前は武力でアジアを植民地支配し、

戦後は経済で第三世界を搾取している「加害者」であり、「犯罪民族」である。

よって将来起きるであろう世界革命戦争は「日本滅亡戦争」でもあり、

戦争終了後、日本は国家の存続は無論のこと、民族の存続すら許されず、

かつてのユダヤ人のように流浪の民になるべきとする。

そして、梅内恒夫本人は世界ソビエト社会主義共和国に忠誠を誓い、

世界革命浪人になることを志願した。

中華人民共和国に対する評価

中華人民共和国の建国当初は有力な革命勢力として存在したが、

現時点(1970年頃)では、反革命勢力に堕落しているとする。

その例としてバングラデシュ独立戦争の際にパキスタン政府に味方して、

バングラデシュの民族解放闘争を圧殺したことを挙げている。

 

そもそも、秦の始皇帝による中国統一以来、

歴代王朝は周辺諸民族を征服し、領土を拡大したことによって、

現在の中国の版図が成り立っている。

中国もまた反革命政権として打倒されなければならないとした。

日本打倒戦略

日本を打倒するには、その国富を浪費させることが必要である。

その浪費の最たるものが長期にわたる戦費である。

よって、日本を泥沼の戦争に巻き込ませる。

 

「盧溝橋事件は中国共産党の仕業」という説があるが、

これによって日本帝国主義崩壊のきっかけを与えたのであり、

中国共産党の工作活動を見習わなければならない。

 

まず最初に韓国における反日感情を利用する。

具体的には韓国軍内の一部将校を唆してクーデターをおこさせ、

「親日派」を一掃、対日侵略戦争を開始する。

その間、北朝鮮は「漁夫の利」を狙って韓国に攻め込まず、自重すべきとする。

 

次に東南アジアにも反日感情を煽って、

在留邦人に対するテロを起こさせることで自衛隊の海外派遣を促し、

対テロ戦争に巻き込ませる。

 

そして最後に、アラブ諸国に対しては日本向けの原油輸出を阻止するように努める。

日本赤軍にはその際の説得にあたってほしいとする。

 

このようにして、かつてのABCD包囲網のように

「反日包囲網」が日本を取り囲み、自滅させるというものである。

ノストラダムスの予言にこじつけるつもりはないが、

うまくいけば1999年頃までには反日殲滅戦争は大詰めを迎えるだろうとした。

組織論(略)

 

世界革命浪人とは、世界ソビエト社会主義共和国(以降、「共和国」とする)の樹立運動を通じて、

「世界革命」の理念を説く者を指す太田竜の造語。「ゲバリスタ」ともいう。

概要

太田竜の定義によると、他の新左翼人士のように群れて行動するのではなく、

単身で「辺境最深部」[1]に乗り込み、「現代文明」に囚われた自己を変革し、

新たに原始共産制の価値観を身に付け、

自分の身近にいる窮民を糾合して一気に反撃に転ずる闘争者が「世界革命浪人」としている。

 

具体的にはアイヌ革命論沖縄独立運動を煽ることで、

日本の民族問題を意図的に深刻化・過激化させ、

アイヌ民族や沖縄人の対日排外主義のエネルギーを「世界革命」の原動力にすべく活動した。

ちなみに提唱者の太田は「アイヌモシリ」を自らが飛び込むべき「辺境最深部」とした。

 

世界革命浪人になるための諸要件

世界革命浪人たらんとする者は、次の諸要件を兼ね備えなければならない。

  • 家族制度の否定
    「夫」「妻」「子」「恋人」がいる者は、「私有財産の肯定」を身をもって体現している者であり、真っ先に否定されなければならない。ただ性欲の全面否定・禁欲の勧めというわけではなく、「一夜限りの関係」など一時的なパートナーとしての存在は認める。その結果、誕生した子女については、母親から離され共和国当局が責任をもって養育する。(プラトン?)
  • 私有財産の否定
    前項の人間関係以外の動産・不動産を所有することも無論否定される。既に所有している者は、その権利を放棄して共和国のために共同使用される。
  • 麻薬・アルコールの禁止
    医師の処方という正当な理由なくして、麻薬やアルコールを用いてはならない。よってこれらの依存症患者は世界革命浪人になる資格はない。
  • 多言語話者
    世界革命浪人は世界を股にかけた闘争をしなければならないので、最低でも母語を含めて4言語以上を習得しなければならない。例えば日本を闘争の拠点にしている者は、「日本語」「朝鮮語」「琉球語」「アイヌ語」を習得しなければならない。
  • 機動性
    共和国当局から指令が下ったら、24時間以内に他の場所へ移る準備を完了しなければならない。

もっとも提唱者の太田は、1973年頃に「私有財産を肯定」する結婚をし、

その妻を「一時的なパートナー」として離婚することもなく、

「終生の伴侶」として添い遂げた[2]

注釈

  1. ^ 太田理論の窮民革命論に挙げられた各「窮民」の「根拠地」のこと。具体的には、「アイヌ民族→アイヌモシリ(北海道)」「沖縄人→沖縄県」「日雇い労働者→ドヤ街」を指している。
  2. ^ 谷口巌『アイヌ革命と太田竜』暁書房、1983年

 

 

 

反日亡国論は、日本の新左翼である大森勝久が1970年代に主張した思想。

アイヌ革命論など「反日」の立場から「日本を滅亡させる」べきとする。

概要

1970年代、大森勝久は新左翼の理論として太田竜の窮民革命論アイヌ革命論などの影響を受け、

更に梅内恒夫の手記「共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へ」が、

その理論的形成のきっかけとなった。

 

「反日亡国論」は、単に帝国主義戦争に反対する立場から

自国の敗戦と革命を目指す「革命的祖国敗北主義」ではなく、

また単に「明治以降の日本帝国主義が為した悪行」を批判するのでもなく、

歴史をはるかに遡って日本国の建国や日本民族による歴史そのものを否定し、

その絶滅を主張した[1]

 

この立場では、

いわゆる「日本人」は、己が「抑圧者・犯罪民族」たる日帝本国人であることを充分自覚し、

自己否定していかなくてはならない。

日本は償いきれない犯罪を積み重ねてきた反革命国家であり、

醜悪な恥晒し国家・民族であるので、

日本を「祖国」と思うこと自体が最大の反革命思想であり、

積極的に民族意識・国民意識を捨て去って「非国民」になれと説く[2]

 

そして反日亡国論を全面的に受け入れて反日闘争の闘士となることで、

初めて「抑圧者・犯罪民族」という「原罪」から解放されるとする[1]

詳細

マルクス主義からの脱却

カール・マルクスは「共産党宣言」で「労働者には祖国はない」、

「万国の労働者は団結せよ」と記し、将来の共産主義社会では「国家は死滅する」と記した。

 

また第二インターナショナルバーゼル宣言は、

労働者が自国の帝国主義戦争に参加することを「犯罪」として

「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」と呼びかけ、これをウラジーミル・レーニンは支持した。

 

梅内恒夫の「共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へ」では、

「今我々はマルクスを捨てよう」と説き、

反日闘争を行うに当たっては、マルクス主義の既存概念に囚われてはならないとした。

 

東アジア反日武装戦線では、

「被植民地人民は、日本人プロレタリアをも「敵」として見ていること、

この厳然たる事実の痛苦な確認こそ、反日思想の原点である」と主張し、

「被植民地人民の反日感情」こそがマルクス主義に代わる基本原理だとした[3]

 

  • 日本国家の「侵略性」
    レーニンの『帝国主義論(正式名称:資本主義の最高段階としての帝国主義)』では、その題名が端的に示すように、高度に発達した資本主義国家が、やがて「対外侵略性向」を帯びる帝国主義国家へと発展するとした。そのため日本の「侵略性」も、封建主義社会から資本主義社会への移行に成功したことによる副作用であり、これを克服するためには共産主義革命を起こして、天皇制などの「日本帝国主義の残滓」を除去し、新生「日本人民共和国」に生まれ変わることで、日本の「侵略性」は消滅するとされる[4]
    しかし反日亡国論の場合、日本の「侵略性」は帝国主義国家になって初めて現れたのではなく、建国以来連綿と続く「伝統」であるため、単に「日本人民共和国」と改組するだけでは「侵略性」を除去したとは言えない[3]最終的解決をするには、地球上から「日本」という国家を消滅させ、日本人の「邪悪な」血統を地上から完全に根絶し、「日本」を冠する如何なる形態の国家の復活も許さないとする[5]
  • 階級的観点の否定
    マルクス主義などの国際主義では、国家や民族よりも階級を重視し、各国の労働者階級が連帯すべきとした。
    しかし反日亡国論では、「抑圧民族の労働者階級」は「抑圧民族の資本家階級」と同様に「被抑圧民族の労働者階級」に対する加害者であるとした。「労働者階級の連帯」を強調することは、「抑圧民族の労働者階級」の加害責任を免責するものであるとする[3]
    東アジア反日武装戦線のメンバー黒川芳正の言葉で言えば、「階級的観点に立脚した反日帝」ではなく「階級的区分を内に含んだ反日」とされる[3]。そして自らの思想は「革命思想」とは別に「反日思想」とカテゴライズされるべきであり、従来の革命論からコペルニクス的転回を成し遂げた思想だと自画自賛している[6]

「日本」という国号について

「日本」という国号は「陽出づる処の天子の国」を意味し、天皇制と不可分の存在である。

中国の中華思想を受容するだけでなく、その元祖の中国をも

「陽没する処の国」と蔑視する「ウルトラ傲慢帝国主義」を体現したのが

「日本」という国号であり、ユーラシア大陸東端の弧状列島の地域を表す

価値中立的な地名でないとする[7]

 

日本国の歴史的位置付け

皇室の起源は騎馬民族征服王朝説に基づき大陸から渡来したとされる。

つまり日本全土が侵略で得た征服地であるとする。

「被征服民」は、やがて皇室に連なる「天孫民族」と同化し農耕民族となり、

同化を拒否した一部「被征服民」は部落民となった[5]

 

中世以降も南北に着々と侵略を進めていき、

明治になって「アイヌモシリ」や琉球王国を併呑し、内地における侵略を完了させた。

このように、日本国の歴史はまさに「侵略と搾取の歴史」に他ならないとされる[3]

このような「侵略の伝統」があるからこそ、

日本によるアジア・世界侵略が起こったのだとする[2]

 

また左翼歴史家の中には、「民衆史観」といって

自由民権運動などの民衆から湧き上った政治運動を高く評価する者がいるが、

これら民衆も所詮は「犯罪国家・日本」の構成員にすぎず、

アイヌや琉球民族の犠牲の上に生活が成り立っているとし、

これらの政治運動も全面否定している。

 

1918年に発生した米騒動も植民地人民から米を収奪するきっかけを作りだした、

単なる「米暴動」に過ぎないと切り捨てている[2]

日本文化の否定

反日亡国論では、日本文化に誇りを感じること自体が罪悪であり反革命であるとし、

平安京遷都を成した桓武天皇を祭る平安神宮の放火事件を称揚した[2]

日本における労働運動の否定

戦後の高度経済成長により、

大多数の日本国民が「ブルジョア的」な生活を享受できるようになったが、

これらの原資は「世界中の人民から搾取された富」によって成り立っている。

 

よって「生活改善運動」「賃上げ運動」に代表される日本の労働運動などというものは、

「強奪品の分け前をもっとよこせ」という

「略奪民族・日本人」の「心貧しき願望」の表れであり、反革命であるとする[2]

海外人権問題への不介入

1970年代当時)

左翼人士の中には金大中事件で韓国政府に事実上拘束されている

金大中の救援活動に奔走している者がいるが、これは論外である。

日帝本国人の分際で外国(特にアジア諸国)の人権云々を言うのは、

「日本は民主主義でいい国だ。すすんだ国だ。」

という「日本優越意識」の表れであり、帝国主義的侵略活動に他ならないとする[2]

日本打倒戦略

ベトナム戦争でアメリカの国力が消耗した故事に倣い、日本を戦争に巻き込ませる。

そのきっかけとなる国は大韓民国である。

 

まず手始めに韓国人の排外的韓国民族主義を煽ることで反日感情を醸成、

韓国軍のクーデターを誘発させて「親日政権」を打倒し、韓国に巣食う「親日派」を粛清する。

そして「反日軍事政権」が日本に宣戦布告し、最低でも10万人の自衛隊員を戦死させる[5][8]

 

同時に「琉球共和国」が独立を宣言する。

そして日本やアメリカに宣戦を布告し、韓国とともに対日侵略戦争に参戦する。

そして「アイヌ・ソビエト共和国」も独立を宣言し、

「北方領土返還」などとアイヌを無視した主張を展開して

「思い上がって」いる北海道在住500万人の和人を殺戮する[8]

 

また東南アジアでも反日感情を煽る。

そして日本赤軍のネットワークを利用して、アラブ諸国の日本向けの原油輸出を阻止し、

かつてのABCD包囲網のように「反日包囲網」が日本を取り囲み、

自滅を促すというものである[5][8]

 

「日本滅亡」後、日本人は老若男女を問わず裁判にかけられ、

大多数は「日帝本国人」であるため有罪で死刑に処せられる。

民族意識・国民意識を捨て去り反日闘争を闘った同志(世界革命浪人)のみが無罪となり、

地球上から日本人が消滅するというシナリオである[9]

批評

  • 主唱者の大森勝久自身は、後に獄中で保守派に転向し、「反日亡国論」は「悪魔のような思想」と記した[10]
  • 佐々木俊尚は「狂気」「あさっての方向」「もはや常識では推し量れないほどの極端な哲学」「奇怪な論理」「マイノリティ憑依」と評した[4]
  • 森口朗は「異常な感性」「日本人でありながら日本を呪う思想」「反日暴力思想」と評した[11]
  • 東アジア反日武装戦線「狼」リーダー格の大道寺将司は著書で「反日を1つのものとしてくくることはできません」とし、大森勝久の「反日」は統一見解ではないと記した[12]
 
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縄文日本文明一万五千年史の序論が載せられている所があったのでそこから

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縄文ナショナリズムのコラムで言えば、

岡本太郎さん経由で縄文が入ってきたらしい。(第1回)

 

第4回

(伝統を掴むためには、伝統と対峙しなければならない。)

(僕の貫く弁証法は、「正」と「反」だけであって、永遠に「合」にならない)

(「日本人とはいかなる存在なのか」「日本の伝統とは何か」)

その後に、

 ・ 古神道やそっち系のスピリチュアルに行った方

  (第1回 70年代後半には、梅原猛が「縄文」を「古神道」と結び付ける)、

 

 ・アメリカから来たヒッピーとかのスピ系に行った方。

  (第14回 長沢さん等は特にインドに関心があった

   ヒンドゥー、スーフィズム、禅、タオリズム、ネイティブアメリカン等 

   原始仏教、禅、密教、ヒンズー教、道教、文化人類学、民族学などが

   霊的開発の手引書として研究された キーワードは「原始に帰れ」等、

   全体の流れとしては後に宇宙考古学で空飛ぶ円盤等

 

彼らの共通点は、近代合理主義への懐疑にあった。

特に、インドのヒンドゥー教に対する関心が強く、

次第に関心の中心になっていった。    

 

   第15回  山田さん ヒンドゥー教の教義やヨーガの実践重視 、

   人間中心主義の迷妄が作り上げた文明を革命する

   ヒッピーにとって縄文とは反ヤマトの幻像、 )、

 

日本のヒッピームーヴメントの源流となったこの新宿ビートニックは、

都会的デカダンスと快楽主義の半面に、

金と文明の利器に対する極めてストイックなものを持っていた。

資本主義体制下の労働を拒否し、一年の大半をヒッチハイクと徒歩の無銭旅行で過ごし、

北は宗谷岬から南は与論島まで、

今まさに総汚染、総破壊へと雪崩れ込んで行くヤポネシア列島を巡礼し、

肉体と精神を鍛え、秘境を探り、人を求めて彷徨った。

 

↑こっちで言う、出エジプトに近い心意気は本物かもしれない

 (ただやっぱり都合よく使われすぎかねないとも思う

  おそらく一神教には否定形なのもかなり使い勝手が良さそう)

 

 ・日本原住民論とか、原始的な物への回帰、

  文明の反対方向、原始共産系 (コラムの第5回、16回)