聖書 プロジェクト
捕囚としての生き方 The Way of the Exile
CGN 契約の箱 シーズン1
契約の箱には何が入ってるの?|第21話:シャロームイスラエルシーズンⅠ(2014-2016)
(終末論に関しては 立ち位置はディスペンセーションやメシアニック・ジュウ寄り?の人 )
※ シンボルの解釈は自分とは若干違うので保留
5:30 十戒の石版 十戒がないと罪がわからない
どれほど救い主が必要かを実感、痛感させる
6:50 マナ 天から与えられたパン
マゼ これ何?という意味
いただいてありがとうございます、ではない、
あんなもの飽き飽きするとまで言われた
9:00 アロンの杖 勢力争いをやらかした象徴
「神が」選ぶものを示す
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https://atelier-trinity.com/messages/tips/jesus-garments/
イエスさまの衣服について
聖書の記述によれば、イエスさまはまず素肌に「下着」をまとっておられたようです。
下着といっても、他の箇所(マタイ 5:40, 10:10, ルカ 3:11 等)の言い回しから考えると、
日本人の感覚で言えば、「肌着」ではなく「服」という感じです。
そして、少なくとも十字架につけられた時に着ていらした下着は、
“上から全部一つに織った、縫い目なしのもの”(ヨハネ 19:23)でした。
大きな一枚布をからだに巻き付け、肩の上でピンで止め、ウェストに帯を締めていたと思われます。
この布はおそらく亜麻布で、そうすると割り合い薄手だったでしょう。
寒い時期にはその上から「上着(着物)」をはおっていらしたはずです(ヨハネ 13:4)。
こちらは獣毛製で、保温性の高いものだったと思います。
その着物の裾の四隅に「ふさ」(前に2本&うしろに2本)が付いていました(民数記15:38–40)。
十字架刑の時には、「兵士たちは、イエスを十字架につけると、イエスの着物を取り、
ひとりの兵士に一つずつあたるよう四分した。」(ヨハネ 19:23)とあります。これは難問です…。
原語では「着物」は複数形になっていますが、もともと“四つ”あったわけではなく、
ローマ兵たちはそれを“裂いた”模様です
(そのあと下着について「それは裂かないで、だれの物になるか、くじを引こう。」とやりとりしている。
つまり上着は“裂いた”? 裂かないと、磔にされた人体からは剥ぎ取れないし…)。
前身頃2枚と後ろ身頃と袖…といった分け方をしたのかもしれません。
当時の服地は“貴重な財産”という取り扱いをされていたようです(ルカ 10:30, 22:36 他)。
外見は、もっと難題です(-“-;) 30歳まで大工として働いていらしたのですから、
ガタイのいい、力のある方だった可能性が高い。肌も浅黒かったかも。
髪も短かったのではないかと考えられています(Ⅰコリント 11:14)。
服装といい顔立ちといい、私たちがよくみるイエス・キリスト像と、かなり違っていますね。
(服装に関しては、新約聖書が「ギリシャ語」で書かれているというのが影響しているという説もあります。
つまりギリシャ風の服装に描かれてしまった…)。
イエスさまがどんな姿かたちをされていたのか、写真とは言わずとも、似顔絵くらい残ってればな〜…
とか考えてしまいますね(笑)
ただ、忘れてはならない、とても重要なことがあります。
イエス像が残っていないというのは、イエスさまも使徒たちも
神さまの戒めをきっちり守ったということなのです。
「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。
上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、
どんな形をも造ってはならない。」(出エジプト 20:4)
この世の権力者は、よく自分の肖像画や彫像を作りたがります。崇拝の対象になりたいのでしょう。
しかし神さまは、ご自分の姿も含めて、どんな像も刻んではならないとおっしゃいました。
何を刻もうが、それはすでに神ではないからです。神の御子イエスさまでも同じこと。
ご自分の像を残すことは、やろうと思えば簡単にできたでしょうが、一切なさいませんでした。
教会の「十字架」でさえ、イエスさまが形作って使えとおっしゃったわけではなく、
まあクリスチャンにとって、便宜上の“看板”のようなものです。
さて、イエス様時代のユダヤ人の日常生活を見てみましょう。
まず、「服」ですが、貧しい普通の「ユダヤ人達の服装」は、キリスト映画ででも見る、
麻などで出来た無地で、簡単な一枚布で出来た服でした。
冬場の寒い時は、上から布をはおるように着ていました。
しかも、服はとても高価で、皆様超少ししか服を持っていなかったそうです。
イエス様の処刑の時に、その服を皆が「くじ引き」で貰っているのも、その為でしょう。
「服」は少ないので長持ちさせる事が大変でした。
又女性は『律法』により、髪に布を被って隠すのが儀礼でした。
金持ちの裕福な人は、色付きや模様付きの豪華な織り物の服を来ていて、
女性もオシャレなドレス風な服、ギリシャ風な服なども着ていました。
祭司達は、献金が沢山はいるので、皆裕福で、豪華な服装です。映画の中の祭司達の服装をご覧下さい。
(何故、祭司達は?と思われるでしょうが、祭司職はレビ人という種族が世襲制で跡を継ぎました。
それは、「モーゼの律法」の時代に「律法」で定められたものでした。
「アロン」という最初の大祭司の子孫が世襲しています。『靴』は皮のサンダルを履いて歩いていました。
『靴』も高価でありました。サンダルなので、砂漠地帯ですから、足はいつも埃まみれでした。
家に入る時には、足を洗いました。その足を洗う仕事は奴隷の役目でした。
イエス様がへりくだって、弟子達の足を洗う「最後の晩餐」は、
イエス様の愛を現す印象的なシーンであります。
http://yonochurch.life.coocan.jp/israel-10.html
なるほど・ザ・イスラエル
祈りの家2001年5月号 与野キリスト教会 牧師 川井由夏
第10回「衣のふさ (1)」
"「すると、見よ。12年の間長血をわずらっている女が、
イエスのうしろに来て、その着物のふさにさわった。『お着物にさわることでもできれば、きっと直る。』
と心のうちで考えていたからである。イエスは、振り向いて彼女を見て言われた。
『娘よ。しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。』
すると、女はその時から全く直った。」"(マタイ9:20-22)
約2000年前、ある1人の病める女性が、
イエス様の衣のふさに触り、癒されたということが聖書に記されています。
この女性は、病のために、当時は人前に出ることさえ禁じられていました。
しかし、彼女はなぜその禁を犯してまで、イエス様の衣のふさに触ろうと決心し、
実際そのようにし、癒されたのでしょうか?また、衣のふさって何なのでしょうか?
何か意味があるのでしょうか?
今回は、ユダヤ人にとってはとてもなじみのある、
しかし日本人にとってはなじみの薄い、そんな衣のふさについて考えてみたいと思います。
この衣のふさはヘブル語で「ツィツィヨット」と呼ばれ、
ユダヤ人男性が衣の四隅に必ずつけるふさ飾りです。
神様がモーセを通じてイスラエルの民に命じたことに由来します。
"「主はモーセに告げて仰せられた。
『イスラエル人に告げて、彼らが代々にわたり、着物のすその四隅にふさを作り、
その隅のふさに青いひもをつけるように言え。
そのふさはあなたがたのためであって、あなたがたがそれを見て、
主のすべての命令を思い起こし、それを行うため、
みだらなことをしてきた自分の心と目に従って歩まないようにするため、
こうしてあなたがたが、わたしのすべての命令を思い起こして、
これを行ない、あなたがたの神の聖なるものとなるためである。』"(民数記15:37-41)
飾りふさのタリートをつけた現代ユダヤ人
昔のイスラエルの男性はこの飾りふさが四隅についた四角い上着(チュニカ)を着ていました。
やがてそれはタリートという現代でも使われている祈りのショールに変化していきました。
この飾りふさにはモーセが神様より受けた613の戒めにちなんで、613の結び目があります。
また、その結び目のひもの巻き方によって「ヤーウェ」という神様の御名を表現していました。
そして、ひもの青色は「神聖」を意味しました。
つまり、この飾りふさのついた衣を着るということは、
みことばをぶら下げて歩いているようなもので、神の戒めをいつも思うこと、
神様によって聖別された民であることを意味していました。
https://ameblo.jp/wagayagura16/entry-12659552054.html
以前から、パンツ(ズボン)は自分で綿100%の生地を買ってきてミシンで作ってはいていました。
また、聖書の衣服にも関心を持ち、大分前にも辞典で調べていましたが、また改めて辞典を読んでみました。
というのも、民数記、申命記にある「ふさ」がどんなもので、
服のどの部分に付けるのかよくわからなかったからです。
1月に着物の袖にふさをつけるように思って書いたのですが、
どうも違うのではないかと考えたからです。
それに、着物は着たいですが、聖書に着ろ、とは書いていないので、
今与えられている服で過ごすのには、どうしたら良いかなと考えました。
以下、『聖書百科辞典』いのちのことば社からの抜粋です。
【衣服の作り方】
衣服の作り方には二通りの方法があった。
織機の幅が十分広い場合は衣服は1枚でできた。(主イエスは縫い目のない下着を着ていた。ヨハネ19:23)
織り手は袖口から織り始め、えりぐりを残してもう一方の袖口に至った。
袖は好みに応じて長くも短くもできた。
また、縞模様を入れることもたやすかった。
仕上げの時に残った縦糸は、より合わせてひも状にし、衣服の縁を補強するために使った。
裾の隅のふさとして残されることもあった。
織り機の幅が狭い時は、衣服は三つの部分に作られた。
一つは身頃と袖の部分、他はスカートの前と後ろの部分である。
えりぐりは二重織りにして補強した。円形の衣服が作られることもあった。
【ファッション】
男性が最初に身に着けるのは下帯。あるいは腰から膝までの短いスカートであった。
重労働をしている時には、これだけの服装であった。
その上にウールか亜麻布の胴着を着けた。
これは大きな袋のようなもので、長い布を肩で半分に折り、
腕を通す穴を開けて両脇を縫い合わせ、折り目のところに頭が通るように細長い切れ目を作った。
この胴着は、男の場合はふくらはぎの丈で、普通、赤、黄、黒か縞の色物であった。
女性の胴着はかかとまでの長さで、青が多かった。
肩や腰のところに特別の刺繍が施してあることも少なくなかった。
この特徴を除けば、女用も男用も似たようなものであった。
【帽子、頭飾り】
イスラエルでは日差しが強かったので、頭、首、目を保護するため、かぶり物が必要とされた。
時には帽子もかぶった。その上から、上等のウールのショールやタリスを、特に祈りの時にかぶった。
女性は水がめなどを運ぶ時、それを固定させるために当て布を頭にのせた。
他の辞典には、「ふさ」は明るい色のものが好まれた、とありました。
私は、ふさを青色の糸かひもで作るのかと思っていましたが、
そうではなくて、以上の内容から、青糸でふさを付けるということなのだと思います。
ただ、申命記22章12節には青糸のことはありませんが、やはり青糸を使ったほうがいいのだと思います。
そして、ふさを付ける場所は、胴着である長方形の長い布の四隅ということだと思います。
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安息日の問答
1:マタイによる福音書/ 12章 01節
そのころ、ある安息日にイエスは麦畑を通られた。
弟子たちは空腹になったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。
2:マタイによる福音書/ 12章 02節
ファリサイ派の人々がこれを見て、
イエスに、「御覧なさい。あなたの弟子たちは、安息日にしてはならないことをしている」と言った。
3:マタイによる福音書/ 12章 05節
安息日に神殿にいる祭司は、安息日の掟を破っても罪にならない、
と律法にあるのを読んだことがないのか。
4:マタイによる福音書/ 12章 08節
人の子は安息日の主なのである。」
5:マタイによる福音書/ 12章 10節
すると、片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、
「安息日に病気を治すのは、律法で許されていますか」と尋ねた。
6:マタイによる福音書/ 12章 11節
そこで、イエスは言われた。
「あなたたちのうち、だれか羊を一匹持っていて、
それが安息日に穴に落ちた場合、手で引き上げてやらない者がいるだろうか。
7:マタイによる福音書/ 12章 12節
人間は羊よりもはるかに大切なものだ。だから、安息日に善いことをするのは許されている。」
1:マルコによる福音書/ 01章 21節
一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
2:マルコによる福音書/ 02章 23節
ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。
3:マルコによる福音書/ 02章 24節
ファリサイ派の人々がイエスに、
「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。
4:マルコによる福音書/ 02章 27節
そして更に言われた。
「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。
5:マルコによる福音書/ 02章 28節
だから、人の子は安息日の主でもある。」
6:マルコによる福音書/ 03章 02節
人々はイエスを訴えようと思って、
安息日にこの人の病気をいやされるかどうか、注目していた。
7:マルコによる福音書/ 03章 04節
そして人々にこう言われた。
「安息日に律法で許されているのは、
善を行うことか、悪を行うことか。
命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。
8:マルコによる福音書/ 06章 02節
安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。
多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。
「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。
この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。
3:ルカによる福音書/ 06章 01節
ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、
弟子たちは麦の穂を摘み、手でもんで食べた。
4:ルカによる福音書/ 06章 02節
ファリサイ派のある人々が、
「なぜ、安息日にしてはならないことを、あなたたちはするのか」と言った。
5:ルカによる福音書/ 06章 05節
そして、彼らに言われた。「人の子は安息日の主である。」
6:ルカによる福音書/ 06章 06節
また、ほかの安息日に、イエスは会堂に入って教えておられた。
そこに一人の人がいて、その右手が萎えていた。
7:ルカによる福音書/ 06章 07節
律法学者たちやファリサイ派の人々は、訴える口実を見つけようとして、
イエスが安息日に病気をいやされるかどうか、注目していた。
8:ルカによる福音書/ 06章 09節
そこで、イエスは言われた。
「あなたたちに尋ねたい。安息日に律法で許されているのは、
善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」
9:ルカによる福音書/ 13章 10節
安息日に、イエスはある会堂で教えておられた。
10:ルカによる福音書/ 13章 14節
ところが会堂長は、イエスが安息日に病人をいやされたことに腹を立て、群衆に言った。
「働くべき日は六日ある。その間に来て治してもらうがよい。安息日はいけない。」
11:ルカによる福音書/ 13章 15節
しかし、主は彼に答えて言われた。
「偽善者たちよ、あなたたちはだれでも、
安息日にも牛やろばを飼い葉桶から解いて、水を飲ませに引いて行くではないか。
12:ルカによる福音書/ 13章 16節
この女はアブラハムの娘なのに、十八年もの間サタンに縛られていたのだ。
安息日であっても、その束縛から解いてやるべきではなかったのか。」
13:ルカによる福音書/ 14章 01節
安息日のことだった。
イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになったが、
人々はイエスの様子をうかがっていた。
14:ルカによる福音書/ 14章 03節
そこで、イエスは律法の専門家たちやファリサイ派の人々に言われた。
「安息日に病気を治すことは律法で許されているか、いないか。」
15:ルカによる福音書/ 14章 05節
そして、言われた。
「あなたたちの中に、自分の息子か牛が井戸に落ちたら、
安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか。」
1:ヨハネによる福音書/ 05章 09節
すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
その日は安息日であった。
2:ヨハネによる福音書/ 05章 10節
そこで、ユダヤ人たちは病気をいやしていただいた人に言った。
「今日は安息日だ。だから床を担ぐことは、律法で許されていない。」
3:ヨハネによる福音書/ 05章 16節
そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。
イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。
4:ヨハネによる福音書/ 05章 18節
このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。
イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、
御自身を神と等しい者とされたからである。
5:ヨハネによる福音書/ 07章 22節
しかし、モーセはあなたたちに割礼を命じた。
――もっとも、これはモーセからではなく、族長たちから始まったのだが――
だから、あなたたちは安息日にも割礼を施している。
6:ヨハネによる福音書/ 07章 23節
モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、
わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。
7:ヨハネによる福音書/ 09章 14節
イエスが土をこねてその目を開けられたのは、安息日のことであった。
8:ヨハネによる福音書/ 09章 16節
ファリサイ派の人々の中には、
「その人は、安息日を守らないから、神のもとから来た者ではない」と言う者もいれば、
「どうして罪のある人間が、こんなしるしを行うことができるだろうか」と言う者もいた。
こうして、彼らの間で意見が分かれた。
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ユダヤの暦と祝祭日の一覧
聖書に記されている「月」は、
新月から次の新月までの29日か30日の時間を一ヶ月とする太陰暦であり、
一日の始まりは日没からであり日没までのことです。
また、ユダヤ暦の1年、12ヶ月は、ほぼ354日であるが、
これは月の満ち欠けの周期が、およそ29日半であるために算出された数字です。
太陽暦は、1年365日であるので、太陰暦との差が1年でおよそ10日生じてくる。
このままであると、例えば春の祭りである「過越の祭り」が、
何年か後には冬になったり、また何年か後に夏になってりしてしまう。
そこで、太陽暦との差を調整するために、うるう月を設けている。
3年でその差が30日となるために、3年に一度1箇月を増やすことによって、太陽暦に近づくので、
第12の月(アダル)で調整したので、第二アダルが付け加えられているのです。
※
ユダヤ暦月 | ヘブル語 | 西暦 | 祝祭日 | 内容 |
---|---|---|---|---|
第一月 | ニサン | 3~4月 | ペサハ(15~21日) | 過ぎ越しの祭り |
第二月 | イヤール | 4~5月 | ラグ・バオメル(18日) | オメルから33日目 |
第三月 | シバン | 5~6月 | シャブオット(6日) | 七週の祭り |
第四月 | タムーズ | 6~7月 | ||
第五月 | アヴ | 7~8月 | ティシャ・ベアヴ(9日) | 神殿崩壊日 |
第六月 | エルール | 8~9月 | ||
第七月 | ティシュレー | 9~10月 | ローシュ・ハシャナ(1~2日) | 新年 |
ヨム・キプール(10日) | 贖罪日 | |||
スコット(15~21日) | 仮庵の祭り | |||
シムハット・トーラー(22日) | 律法の祝典 | |||
第八月 | マルヘシュバン | 10~11月 | ||
第九月 | キスレヴ | 11~12月 | ハヌカ(25日) | 光の祭り |
第十月 | テベット | 12~1月 | ||
第十一月 | シュバット | 1~2月 | トゥ・ビ・シュバット(15日) | 樹木の祭り |
第十二月 | アダル | 2~3月 | プリム(14日) | エステル記の祭り |
現代で日付の変わる深夜0時が、日没後日付変更になる?
春:10日ーヨシュア 14日 ー 過ぎ越し ー 21日 アダルの月のプリムが14日
秋:10日ー贖罪日 14日 ー 仮庵の祭り ー 21日
過越の祭りの始まりはユダヤ教の暦で「ニサンの月の14日」に固定されている。
しかしキリスト教が各地に広まっていく中で、
復活祭をいつ祝うかということで2世紀頃から論争が起こることになった。
小アジアの教会はユダヤ教以来の伝統に従って
ニサンの月の14日をパスカ(復活祭)として祝っていたため、平日に祝われることもあった。
一方、ローマをはじめ
多くの教会ではイエスが復活した日曜日を主イエスの日として優先するため、
復活祭(パスカ)も復活の日である「ニサンの月の14日の後の最初の日曜日」に祝う習慣であった[2]。
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<追記>
<ディダケー>
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<追記>
※神殿否定について詳しいなと思う人の記事(ただちょっと思う所も個人的にある)
否定するのであれば、おそらくこの人のこれで事足りる
エゼキエル書40章以降の註釈
エゼキエル後半註解撰
エゼキエル後半註解撰補足 第三神殿の祭儀
エゼキエルの異様な文言
↓ エゼキエル神殿の3Dモデル ※製作者によって微妙に差異あり?
確定せずにあくまで参考までに↓
・契約の箱は確か第2神殿の頃には既にない
・エゼキエル書の聖域内の事柄や、厳守な日々の不正、不法につながる?箇所がある?
甘言による棄教、もソロモン王等を覆そうとしたり、勝手な名乗りや諸々もパターンがあった
バビロン捕囚前後で気休めのような事を言い、主に偽預言者とされた人もいた
・体が生ける神殿として2世紀のヨハネさん達以降、現在聖霊はない
→ 聖霊はまずユダヤの人に降った → 現在のユダヤ人に聖霊はナシ?
→ 神の目から見たユダヤの人はどうやって生まれるか?聖霊はいつ降るか?
(「困難」を越えて証印を押される人々、火で口を清められる人々、衣を着せてもらえる人々)
・ダニエル書を持ち出す場合、11:22の、「破られる契約の君」の存在?
現行の黙示録の流れがあまりにも共有されすぎてるので、
自分が思うその時以外のことも考えた方がいい
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