【自分で開けられない扉が開く時②】 

 毎夜、悲しい気持ちで子守唄のメロディを聞いていたので、このメロディと感情がセットになっていたのです。 

 それが、分かってからは、多少、大丈夫になりました。子守唄を聞いて、不快な気持ちにはなりますが、涙は出なくなりました。

なので、子守唄恐怖症は治ったのだと思っていました。ですが、この日、子守唄のメロディが、ダイレクトにわたしの心に流れ込みました。 

 恐らく、普段でしたら「子守唄」とわかれば、心を許さないように、油断しないように、心をしっかり閉ざしてメロディを聞いていたのでしょう。ですが、この演奏会の時は、それまでとは違いました。 

 ①曲目が予め知らされていなかったので、構えられなかった。 

②すっかりくつろいでいたため、ダイレクトに心に入ってきた。

 ③テレビやネットなどで流れてきても、音楽を止める事ができるが、演奏会なので止められなかった。 

 などなどの理由が考えられました。 

 「子守唄」は、私の心の扉を開ける鍵だったのです。それでも、そう簡単には開かない扉でしたが、偶然がいくつか重なって、突然、開いたのでした。

🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀🍀 

 幼少期の自分に戻って苦しみながら、私は、ヒプノセラピーの対処法を思い出し、意識的に現在の自分をそこに登場させました。 

 大人になった私は、幼い自分にこう言いました。 

「我慢しなくていい。泣いていいよ。」 
と。 

 3才の自分は、大声をあげて泣いてわめきました。 

 ヨガマットに寝転がっている、リアルの自分は、鼻水も涙も溢れんばかりに出始め、泣き声を押し殺して泣きました。 
 

3才の頃の私、当時の私は、決して泣かなかったのです。

引っ越して来てから、一度も「お母さん」という言葉を言わない子でした。 

「生田の家(神奈川県)にはもう帰らない。」 
と、強がって言っていたので、父も祖父母もかえって扱いに困ったそうです。

 3才の子なら、
「お母さんは?いつ来るの?」
と、せがむのが普通でしょう。 

 普通ではなかったのです。 

 寂しさも、悲しさも、全て押し込めて、なんともないふりをしていたのです。


れは、子守唄とともに、封じ込めていました。

大人の私に
「泣いていいよ。」
と言われ、イメージの中の私は、気が済むまで泣きました。