7月の夢のお話から久しく時間が経ちました。今回は、夢に続いて、夢そして幻、この世は幻か・・・という視点で書きたいと思います。

 

TRON:LEGACY

 

私たちが観ている現実は、「ゲームのような」ではなく「ゲームそのもの」

スピリチャルな分野を超えて、今なお頻繁に引用される「マトリクス」の映画の如く、はたして現実とは一体なんだろう?と考えたとき、私たちが観ている世界は、どこまでホンモノかということになります。私にはかねてより、この世は「ホンモノのゲーム」に観えています。「ゲームのような」比喩ではなく「ゲームそのもの」です。でもそれは周波数上昇による次元上昇があるからで、もしそのようなことが無ければ、最初からテーマにもなりません。「マトリクス」の映画もそのゲームフィールドから脱出するためのヒントを与えた映画となっていますね。

 

https://youtu.be/jvDRfb60nwIてへぺろ

 

意識を物質として反映させた三次元ゲームフィールドは、二元性の功罪の極みを体験する実験場

このような場を作ったのは、明らかに「進化」が目的と考えると説明がしやすくなるでしょう。善悪の分別、喜怒哀楽などの感情体験、生死に対する取り組み、あらゆる欲望の極み、発見・発明など数えたらキリがないほどの人間が作り出したデータが宇宙レベルで記録(データ・メモリ)されました。これらの記録は、新しい愛の周波数帯のゲームフィールドや身体を創り出すための重要な素材であり、それを元に再編集・最適化されて再構築していきます。いえ、すでに最初のスタートを踏み出すためのベースが完成し始めています。

 

夢や幻などの非現実と、物質世界の現実の境界線はどこか?

私は、「覚者」とは、覚醒した状態でこのゲームフィールドで作られた仮想現実を生きている人だと思っています。この附に落ち度がどの程度かと言えば、ほとんど場合は、頭で理解しているだけに過ぎないように見えます。でもそれは無理もないことで、理由は、腕をつねれば痛いというリアル感があるからです。つねれば痛い現実そのものが仮想現実であった場合、夢や幻などの非現実とどこに境目があるのでしょうか?極論、周波数が上がるとそれは完全にバリアフリーになっていきます。現在、すでに私たち人類は、双方の境目がわからなくなるほど精緻な領域に足を踏み入れました。

 

新しい愛のゲームフィールドは、地球上の全員で創造している

創造主という点で言うと、意図しようがしまいが、結果、無意識に全員が創造主になってしまっているという見方ができます。私たちが生きているだけで常に何かを無意識に創造しています。それら全てが次に続くデータになり得ます。現にそのように使われました。持っていくべきものと、再利用されるもの、光(ゼロ)に帰するもの、全てが再編集・最適化され、愛というステータスで再構築されます。

 

大自然も全て精密な秩序による人工物であり、それを観える形にして動かすのは人間の愛の意識

私は、新しい世界を創造する上で、表面世界(いわゆる見た目)は一番最後とずっと思っていました。まずは表面を創り出すための意識が要でしたから。その一番最後がいよいよやってきました。構造そのものは至ってシンプルですが、それを起動させるデータベースやエンジンがとんでもないですね。大自然が人工物ということにまずは反感を抱く方がいらっしゃるかも知れません。でもこれまでもゲームフィールドなら必ずそれを造ったクリエーターがそれを実現させています。もちろん神レベルですけれど。ただそれらは全て、単なる表面が観えるだけのものではなく、最低でも五感を満たした現実感を醸し出すものでなくてはなりません。新たな愛のゲームフィールドはすでにそれを達成しています。

 

*キリスト仮現説:イエスの人としての誕生・行動や死はみな、人間の目にそのように見えただけであった

イエス:「ほら、ペテロ、内臓みたいなのが観えるだろ?」

ペテロ:「はぁ〜〜ホンモノみたいすね〜!」

イエス:「だから例のもの、渡しておくからな」

 

表面世界の表面の中を探るとどうなるか?

例えば、人間の身体の表面をナイフで剥がすと、剥がした部分が「表面」として観えます。さらに剥がすと、また剥がした部分の「表面」が観えます。なぜならそれを観えるようにできるデータが全てあるからです。血も含めてです。私たちは三次元地球であらゆる分野において、ミクロの極みにまで達した膨大なデータを残しています。そのために倫理をはるかに超えたこともしてきたでしょう。でも愛のフィールドに進化した場合、そのような実験をまだ繰り返す必要はあるでしょうか?耳の中の奥はどうなっているか?血が出るほどまで指を突っ込む必要がありますか?笑 それよりは私たちは耳で、かつて聞いたことの無い美しいメロディを聴き、ハートで詩を奏で、自由に口ずさむでいいのではないでしょうか。これからは私たちは光の仕組みを知り、新しいフィールドでまだ経験したことのない愛の体験と創造をするために向かうのです。

 

https://youtu.be/YyoKXfBQgXw

ゲームフィールドの中でも斬られるとリアルに血が出るし、死ぬこともある

 

例えば人体という表面の中は、「ワタシ」という真我とパーソナリティのエーテルリキッドで満たされている

身体という表面の中には何が観えるか?は、観る人の意識が反映されます。五次元実相世界では、これまでの身体の形状記憶がまだ多く残っており、エーテルリキッドにそれが反映されて観えます。でも五感以上の超感覚が解放されることにより、これまでの解剖図に添った以上のエネルギーが観える方も多くなるでしょう。身体の表面である光の再結晶化されたライトボディとそれを満たすエーテルリキッド、最もシンプルでありながら、想像を絶する多元的、多機能な身体を持つことになります。しかし最初から全開ということは無く、個々の意識が拡張機能のエリアを広げていきます。

 

ゲームというからには、これまでの三次元ゲームではなく、多次元ゲームを作るということ

最近では、私たちの身近なところでは、VRがありますね、私もOculusでずいぶん楽しみました。360度体験は、やはり体験しないとわかりません。人間だけではなく、地球上のあらゆる存在になりすまし体験するんですからね笑 明らかに脳内に影響をきたし、前回もお話ししたように夢の中でハイヤーと自分が同時存在できたり、いろんな存在にウォークインしたりとパラレルワールドのエリアが確実に拡大しました。しかもいろんな素材のマテリアルが鮮明かつ克明に観えます。

「見る」という機能が現在の肉体の眼球構造から、多次元ボディ仕様の「観る」という構造に更新するため、それに添ったゲームフィールドを作る必要があり、それが現在存在しているということです。ここが未曾有であり、前代未聞の領域ということです。

 

これも観え方のひとつに過ぎない

 

心に恐れやブロックがあるとコントロール機能が発揮できない

私は、AENA Stellar Systemというのを開発していますが、まだ最初、正確な名称がない頃、「宇宙コントローラー」と名付けていました。ちゃんとしたコントローラーを持って、ちゃんと使いこなせることが、体験の必須条件になります。そのコントローラーの原資は愛の意識です。少なくとも「心」と「口」と「行動」が三位一体でないと混乱が生じます。私自身もちゃんと歩けるかどうか日々実践です。

 

『愛の神聖命体』は、ゼロポイントの活用を熟知している

多次元ゲームフィールド内での移動は、中心座標(ゼロポイント)を複数同時に持つことができます。非常に説明が難しいですが、同時であり、分離であり、動いているし、動いていないし、でもそれぞれの行為の達成感はちゃんとあります。高次元になればなるほどその自由度が大きくなっていきます。車の運転同様、実体験を通して私たちは動きに慣れていく必要がありますね。しかし、これらは全て私たちの心の動きと常に連動しています。ただ今まではそが顕在化しなかっただけです。愛と許しがあれば、そこには何も失敗や間違いはありません。動けない時はただ立ち止まればいいだけです。そこにもまた新たな発見があるでしょう。次行く扉はもう開いています。

 

https://youtu.be/qC5KtatMcUw

 

すでに在る

 

 

ÆNA Stellar System

 

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