こんにちは!
Hello Kitty50周年記念LOLドール
こちらはちょっとスポーティなバージョン😺
というわけで![]()
本日は、
【K-Pop】K-PopはBlack Cultureなしで存在し続けられるのか?
https://www.kcrw.com/shows/the-sam-sanders-show/stories/would-k-pop-exist-without-black-culture
こちら、ポッドキャスト、The Sam Sanders Showより。
Would K-pop exist without Black Culture?
『K-Popは黒人文化なしで存在しうるのか』
というタイトルで、カナダのLakehead University、
Sarah Olutola教授を迎えてのディスカッション。
Sarah教授の専門はポップカルチャー、黒人文化、とK-pop。
この組み合わせの研究はだんだん増えてきているように
思います。
いわゆる、Cultural appropriation(文化盗用)についての
お話もされています。
結局のところ、K-Popというのは、「音楽ではなく、システムだ」
というような認識にだんだん世界もなってきていますね。
グラミー賞で話題になった、KPOP Demon Huntersですが、
この映画の音楽プロデューサーは、『ブロードウェー』音楽を
基盤としているのでK-Popといえども、エッセンスとして、
ブロードウェー音楽にも影響されている。
キャストも韓国語アクセントの方は一人だけで他は
英語ネイティブ。
これがいいのか、悪いのか、この判断はまだつきかねます。
ただ、これがどこに転ぶか、ここがまだわからない様子。
10年後、どうなっているのか。
Sarah教授は続けます。
例えば、Blackpinkの例でいうと、Blackpinkは
黒人ラッパー、Nicki Minajをモデルに曲が制作されていたり、
LisaやJenniのソロでもそういう影響はわかりますよね。
多くの黒人アーティストとのコラボ。
黒人英語を歌詞の中に混ぜたりもしてるけれど、
使い方を間違えていることもあるらしい。
黒人たちにはその扱いが不快に思うこともあるという。
これは、以前私が歌詞を分析した記事を書きましたが、
今やK-popではよく見られる現象になっています。
ただ、問題なのは黒人音楽を制作してプロデュースしているのは
黒人たちではあるけれど、結局Jenniが歌えばJenniが評価
されるわけで、陰で支えている黒人たち、そして
黒人音楽・文化が評価されるわけではない。
K-Popだと言われる。
(いや・・・BlackpinkのメンバーたちはK-popじゃないと
思っているかもしれませんけどね。これはよくわかりません。)
また、初期の頃のBTSの楽曲はブラックミュージックを
取り入れたものもよくありましたが、
Boy In Luvのミュージックビデオに
セクシーな恋愛対象としてのイメージで
黒人女性が出てくるとの指摘。これもちょっと黒人から
してみると不快らしい。
黒人ファンたちはあまりいい思いはしないけれど、
BTSのファンダムが大きすぎて声を上げれないという
話もチラホラあるらしい。
ここで、黒人ファンたちが声を上げられずにいる
というのも問題。差別されていても声を上げられない、と。
そして、K-Pop側は差別しているつもりはない、と。
Kiss of LifeやCORTISの一件のように「かっこいいから
やっている。リスペクトとしてやっている」のような
曲がった解釈。(または無知から起こる誤解)
Cultural appreciation --> cultural appropriationに。
感謝から盗用問題に。
だんだん、こういうことが一般的にK-Pop界隈に
広がり、いまだに誤った文化認識でK-Popに
取り入れられていると指摘がされています。
しかも何一つオリジナルがないのだから、それはもう
音楽と呼ぶにはふさわしくない、というのは
認識されていますね。(だからいい、悪いと評価している
わけではないのでご理解を)
この教授は黒人の方なので、聞いていて多少なりとも
フラストレーションを感じている様子は伝わってきました。
真似してもいいけど、正しく評価してほしい、と。
黒人たちはああいう態度でああいう言葉を使うよね、という
ステレオタイプで表現して欲しくないんだ、と。
また、最近の私の記事にも取り上げていますが、
グラミーで注目された、KPOP Demon Huntersと、
Bad Bunnyの二つの大きな音楽性の違い。
K-popと言いつつ、ブロードウェーミュージックや
ヒップホップに影響され、歌詞もほぼ英語になったK-pop.
それとは対照的に、プエルトリコ人である
Bad BunnyはGrammy Award、 Album of the Yearを
受賞。歌詞は一貫してスペイン語を貫く。
K-popは変容を繰り返す。
Latin Hip Hop(reggaeton)はグローバル用に言語を変えない。
もちろんスペイン語はアメリカでも英語の次に多く話されている
言語なので変える必要がなく、変えなくても売れる。
ですが、K-Popの場合、アメリカで成功するにはアメリカ仕様に
しなければ成功はなかった・・・つまり、K-popというのは
アメリカに同化し、融合した、ということになります。
appropriation(盗用)ではなく、assimilation (同化)した例だということですね。
なので、結局、売れるために試行錯誤して現在の形態になっています。
こう考えると、J-Popはどこに向かうのだろうか、と
思います。
世界に向かわずに日本での成功に徹する(世界が好きな時に
拾ってくれる)のがいいのか。これも考えようによっては
悪いことではない気もします。
K-Popの戦略はグローバルで成功するためにKを取るという
選択をしました。つまり、売れるための戦略に、必要ないものを
削ぎ落とす方法。韓国語や韓国文化が完全に受け入れられないと
なればそれも削ぎ落とす覚悟。アイデンティティーは二の次。
でも、それでも「売れる」ためなら手段を選ばない覚悟。
J-PopのJをとってpopというわけには
いきませんよね、今さら。(過去に色々失敗例もありますし。)
何も削ぎ落としたり、減らさずにキープして選択肢を増やす。
だったらやっぱりJ-Popというジャンルを追求する形が
いいのかな、と思ったりもする。
Jのままでもいいんじゃないでしょうか。
なぜ自分のアイデンティティーをなくしてまで「世界」に
こだわる必要があるのだろうか。「世界」とはどこのこと?
欧米、特にアメリカ志向が強いですね。
ここは色々歴史的な問題も絡んできます。
それは一つの形として存在していいとは思います。ですが、
政府の援助金など、ない方が好き勝手にできるし政治利用される
心配もないし。(想像です)
そう考えると好きにしていいという自由度はあるかも。
J-popアーティストもJ-popであるということを誇りに
制作するのが一番いいかと思います。
それではまた。
