ザスタのクマさん -10ページ目

ザスタのクマさん

あらゆるアート、デザイン、 特に写真が大好きなクマこと熊谷の作品集。

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まずはこれはおかしいと思った。

昭和百年祭を「歌謡ショー」に貶め、
天皇陛下のお言葉すら封じた高市内閣。






主役であるはずの陛下を脇に追いやり、
自分だけ前に出てノリノリとは、
保守を名乗る資格すらない。
戦争と復興の記憶に向き合う代わりに、
昭和をBGMに消費するだけの
軽薄さに、ただただ怒りしかない。

まして、
自民党が進める皇室典範改正は、
明らかになっている世論と
ズレたまま強引に決めようとしてる。






女性天皇への支持が8割前後という調査が続く一方で、
旧宮家養子案には反対が賛成を上回るとの
結果も出てるのに、それを正面から受け止めない
姿勢は、国民を「空気」としか見ていない証拠。

今年の2月に衆院選で大勝したので、思い上がり、
民主主義の基礎体温を無視した傲慢な姿勢。

そして
🌸 愛子さまのたたずまい

敬宮愛子内親王殿下は、
幼いころから常に人前に立つことを
求められながらも、一歩引いたような慎ましさがあります。

儀式の場で深く静かに一礼なさるとき、
その所作は派手さを避けつつも、
芯の強さをにじませます。

目立とうとしない分だけ、
ふとした笑みやうなずきが、
周囲への細やかな気づかいとして際立ちます。






成年をお迎えになった折のごあいさつでは、
ことば少なに感謝と決意を述べられました。

声はやわらかく落ち着いていながら、
一語ごとに意味を確かめるような慎重さがあり、
軽さよりも責任の重みを抱きしめる姿がうかがえました。
その慎み深さこそが、現代における
新しい気高さとして映ります。






👑 「長子」が継ぐという自然さ

天皇陛下と皇后陛下の
ただ一人の子として育まれた年月は、
皇位という抽象的な継承よりも、
まず家族の物語として積み重なっています。

災害の被災地や行事の場で、
両陛下の背後に静かに寄り添うように
立たれるお姿は、次の世代がそっと
受け継ぐ灯火のようにも見えます。

長く寄り添ってきた親子の時間の延長線上に、
そのまま象徴の役割が滑り込んでいくなら、
それは決意よりも「自然な成り行き」に
近いものになるでしょう。

血筋や制度の前に、「あの方ならば」という
穏やかな納得が先に立つ、その落ち着きこそが、
日本の次の時代の空気を決めるのかもしれません。








🌱 静かな未来像としての愛子天皇

もし、未来のある日、「天皇・愛子」という名が
公に呼び上げられるとき、それは喧噪とともに
訪れるというより、長く続いた祈りが
静かにかたちを持つ瞬間に近いでしょう。

災害で傷んだ土地に足を運び、
人びとの言葉にならない痛みを
ただ受けとめる視線。

過去の過ちに向き合う式典で、
深く頭を垂れたまま、長く沈黙を保つ横顔。
そのひとつひとつが、「強さ」とは
声高な主張ではなく、壊れやすいものを
守ろうとする静かな意志なのだと教えてくれるはずです。







愛子さまの笑顔には、勝ち負けや優劣から
少し距離を置いた、やわらかい余白があります。
その余白に、国のかたちや歴史の重さだけでなく、
学校に通う子どもたちの日常や、
仕事帰りに空を見上げる誰かの
ため息までも、そっと受け入れてもらいたくなる。

そんな「親しい隣人」としての象徴天皇像が、
静かな光となって未来を照らす。
次の時代が、声高な叫びではなく、

愛子天皇の静かなまなざしとともに、
いつのまにか始まっていたらよい。
そう願う心そのものが、

すでに新しい時代の種になっているのだと思います。






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今日が良い日となり、

明日がさらに素晴らしい日となりますように晴れ。

熊谷

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今日は七夕の日。

梅雨真っ最中で 例年天候に恵まれない七夕ですが、
今宵も御多分(ごたぶん)に洩(も)れず、
雨天か厚い雲に覆われそうです。

かつての仙台七夕祭りから一コマ

アーケードの床は
濡れた星図のように淡く光り、
頭上の竹飾りだけが、
夜空を忘れた銀河の代用品として垂れている。

僕はその川底に立ち、
逆さまの天の川を見上げている。
紙衣も巾着も吹き流しも、
商店の軒先からぶらさがるだけで、
誰の袖口をも濡らさない。

雨脚を気にして通り過ぎる
人々の肩先で、短冊がかすかに揺れた。

子供のころは、筆圧の強さだけで
未来をねじ曲げられると信じていた。









大人になった今は、願い事の数だけ、
叶わなかった夜が積もることを知っている。

もし今、一本だけ短冊を手に入れられたなら、
僕はたぶん何も書かずに吊るすだろう。

文字を持たない願いだけが、雨雲をすり抜けて、
織姫と彦星のあいだに落ちてゆく気がするからである。



銀河の中の太陽系、そして、そのはずれに
ぶら下がった、ちっぽけな星、地球。

天の川の光は、ここではもはや
霧よりも薄い伝説にすぎない。

それでも、年に一度の今夜だけは、
誰もがふと空を見上げることになっている。








織姫は、地球を白い帯で抱きしめている。
打掛は、天の川をほどいて仕立てたらしい。

袖からこぼれる星屑が、ゆっくりと
地球の海へ降ってゆくたび、

どこかの海岸で波打ち際の
恋人たちが、理由もなく沈黙する。

彼女は織姫だと名乗るでもなく、
ただ遠く、銀河の腕のかなたを見ている。

そこには、統計学的には
無数に存在しうる彦星候補が、

冷たい恒星スペクトルとなって
瞬いているはずである。
彼女はそのどれとも目を合わせない。

AIは、織姫の輪郭と、地球の青と、
天の川の白い筋道とを、忠実に一枚へ合成する。
だが、そこに写らないものが一つだけある。
彼女の待ちくたびれた時間である。

地球を抱く帯の力が、ほんのわずかに緩む。
そのとき、雲間からこぼれた
一等星を見上げているのは、

たぶん、僕ひとりに過ぎないのだ。







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撮影  文 熊谷

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サラダにいつも入れる野菜は?


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「この味がいいね」と君が言ったから 七月六日はサラダ記念日。

これは1987年(昭和62年)5月8日に歌人・俵万智(たわら まち)が発表した
第一歌集『サラダ記念日』(河出書房新社)の中の一首である。


『サラダ記念日』は、出版されるや280万部のベストセラーとなった。
表題の「サラダ記念日」の他、第32回「角川短歌賞」を受賞した「八月の朝」などを
含む434首が収録されている。翌1988年に第32回「現代歌人協会賞」を受賞した。

この歌集がきっかけで短歌ブームが起き、また「記念日」という言葉を一般に定着させた。
新しい現代短歌の先駆けでもあり、後に続く若手の歌人たちに影響を与えた。

という事で、今日は食べられる花のサラダです。

🌸 花サラダの情景

 大理石テーブルに置かれた透明な皿は、
急に「証拠物件」のような顔をしている。

ルッコラの影に、すみれ色の花弁がひとひら、
まだ水気を拭いきれずに光っている。

スタジオの冷房はよく効き、
レフ板に跳ね返った光が、
サラダの上だけを真昼の
高級レストランに変えている。

フードコーディネーターは
「全部食べられますよ」と言って、
花の名をいくつか挙げたが、
そのどれも耳に残らない。

ただ、こちらの頭の片隅には、
さっき確認したばかりの一首だけがこびりついている。

昭和六十二年、俵万智『サラダ記念日』。
あの「七月六日」は、紙の上で何度も
繰り返されるうちに、とうの昔に季節感を失い、
今日の撮影スケジュール表の中へ、
当然のような顔で紛れ込んでいる。












「この味がいいね」と言うべき「君」が、
スタジオのどこかを通り過ぎたような気がして、
思わず振り向く。もちろん、そこにいるのは
アシスタントと編集者だけだ。

記念日とは、誰かが勝手に名づけた日の、
あとから来る居心地の悪さのことかもしれない。

撮影が終われば、この皿も、
スタッフ用の軽食として静かに解体される。

それを知りながら、私はフォークを持たないまま、
液晶モニターの花サラダを覗き込む。
花はまだ食べられずに咲いていて、
静かに呼吸をつづけている。

そして誰にも気づかれないまま、
ほんの少しだけ微笑んだように見えた。

七月六日は、花のサラダ記念日。
レシピではなく、光とことばでしか再現できない、
たった一枚のために、
今日という一日が捧げられていく。







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撮影  文  熊谷


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今日はアメリカは建国建国250周年。

1776年にアメリカ独立宣言が公布されたことを記念して、
「7月4日」("Fourth of July")は250回目のアメリカ合衆国の
祝日独立記念日(インデペンデンス・デイ)です。


建国250周年。歴史の節目を前にしても、
目の前の利権と拍手しか見えていない
守銭奴ぶりにはうんざりする。

手にした「米国大統領」という権力を、
どう使えば社会を少しでもマシにできるかではなく、
「今のうちに最大限むしり取らないと損」とでも思っているのだろう。







祝祭も式典も、国を一つにするためではなく、
自分の支持基盤へのサービスとビジネスの延長に見える。
歴史を利用して私腹を肥やす指導者を頂点にいただく国が、
本当に世界の民主主義を語れるのか。

浮かれた花火の陰で、そんな違和感ばかりが強くなる。




ハドソン川越しのNY市内と花火



建国250周年史上初めて
850万発の花火が夜空を埋める。
だがMAGAの帽子も星条旗も中国製であり、
ホワイトハウスの演説台で「アメリカの雇用」を語る
拳を照らす火薬もまた、遠い大陸の工場でこしらえられたものだろう。

大統領がイランへの爆撃計画を「やめた」と
誇らしげに語るとき、その声は戦争を止めた
英雄譚として瞬時に消費される。

しかし砂漠の向こうでは、
爆撃の代わりに制裁だけが無言のまま続いている。





炎上するイラン石油施設、沖縄タイムスより





観客席で売られる『MAGA』の記念品、
メイク・アメリカ・グレート・アゲインと
メイドイン・チャイナ・の文字は、
ほつれた糸のように絡まり合い、
どちらが本音でどちらが商標なのか、
もはや裁縫師にもほどけない。

祝祭と制裁、主権と依存、そのどちらにも
はっきりと与しない「わたしたち」の立ち位置だけが、
曖昧な暗がりのまま取り残されている。

敗戦国としての歴史と、憲法九条を掲げながら
核の傘に依存してきた戦後日本の矛盾を、
自分も含め見過ごしてきた一人として、
祝うのか、悼むのか。どちらにも与しきれない
宙吊りの場所に、私たちは今も立たされ続けている。





ジミヘンドリックス・ 反戦の為のアメリカ国歌
ベトナム戦争当時、
F4ファトントムの急降下ナパーム弾攻撃がギター音から感じさせられる。





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今年初の梨はもう食べた?


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今日7/4日は,ゴロ合わせで梨の日。
今日は 東欄梨花(人生看得幾清明)蘇軾の漢詩です。

熙寧十年(1077)蘇軾は密州から徐州の知事に転じた。徐州は江蘇省北部の
交通の要衝であり、大都会であった。この地に蘇軾はわずか2年間在職した
にすぎなかったが、行政官僚として洪水対策などで功績をあげたほか、
詩人としての名声も飛躍的に高まった。
そうした名声の高まりが、新法派の猜疑心を強め、
やがて失脚へとつながっていく。

この詩は徐州への転任直後に、後任の密州知事孔宗翰へあてて書いたものだ。
蘇軾の七言絶句「東欄の梨花」(壺齋散人注)

  梨花淡白柳深青  梨花淡白にして柳深青
  柳絮飛時花滿城  柳絮飛ぶ時 花城に滿つ
  惆悵東欄一株雪  惆悵す東欄一株の雪
  人生看得幾清明  人生看得るは幾清明

梨の花は淡い白、柳は深い青、その柳の花が飛ぶとき城内は
梨の花でいっぱいになる、ところが自分は悲しい気分を抱きながら
東の欄干に雪のような花を見る、これを見ることができるのは
はたしてどれくらいの年月なのかと思いながら

そして、私の記憶です。
🌸 梨花の記憶

子どもの背丈より少し高いくらいの枝が、
春になるとふわりと白くにじんでいた。
朝いちばんの庭はまだ冷たく、
土の匂いに混じって、梨の花だけが
ほとんど匂いを持たないまま、静かに咲いていた。

庭の隅に一本きりの木があった。
桃ほどあざとくもなく、桜ほど人を呼ぶでもない。
それなのに、花の季節になると家全体が
少しだけ明るくなったような気がして、
私は縁側からその白さを眺めるのが好きだった。

父は窓際の机に向かい、半紙の前で筆を立てている。
墨の匂いと、畳に落ちる光と、東欄の梨花。
子どもの頃の春は、たいていその三つで出来ていた。










🍶 東欄の欄干

庭の梨の木のそばには、
もちろん欄干などなかった。
それでも詩の中の「東欄」と
いう響きは、家の東側の、
陽の射す縁側と重なっていった。

父はときどき筆を止めて、
窓の外の木を眺める。

花が満ちる頃になると、
枝先が本当に「一株の雪」に
見えて、幼い私は詩の言葉が
現実に追いついたような気がした。

清明という二文字は、暦よりも先に、
父の声として先にやってきた。
「人生看得幾清明」と、父は
一拍おいてからゆっくりと読む。

そのたびに、私の中で「人生」と
「梨花」が不思議に結びついた。

大人になれば、いつか自分にも、
この欄干にもたれてふと溜息を
つくような日が来るのだろう、
とぼんやり思っていた。

🌫 清明の遠さ

家を出て、もう数十年経つ。
梨の木はいつ伐られたのかさえ知らない。
それでも、ふと街の中で白い花を見かけると、
あの一本だけの木が、いまも胸のどこかで花をつける。

物事はいつも少し霞んでいて、
正しさも、悔いも、
どこか輪郭がぼやけている。

あの庭の梨の花だけが、
妙にくっきりと白いまま、
記憶の中で咲き続けている。

清明にほど遠い視界で
生きてきたからこそ、ときどき思う。
あのとき欄干にもたれていたのは、父ではなく、
まだ何者でもない自分だったのかもしれない。

雪のような花びらに埋もれながら、
何も分からないまま、ただ世界の白さだけを
見上げていた子どもの私が、いまも東欄
(東側の縁側)の片隅で立ち尽くしている。




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撮影  文 熊谷

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ソフトクリームはミルク?チョコ?好きな味ある?

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7月3日は「ソフトクリームの日」。

みなさん!Wサッカー見ました?
前半は1点リードし日本の勝利を疑いませんでしたが、残念。
おまけにウインブルトンも始まり、睡眠不足の毎日です。

7月中旬過ぎになったら40度になる日もあるかもメラメラ殆ど恐怖すら感じますが汗・・・

こんな暑い日々にはソフトクリームドキドキ


盛夏の参道に、白い渦が立ちのぼった。
進駐軍のテントの奥で、銀色の機械が、
はじめて日本人の前に「やわらかい氷菓」という
新しい作法を生み出したのが、
あの昭和二十六年七月三日の明治神宮外苑であった。

牛乳を主として、過剰ともいえるなめらかさをたたえたそれは、
英語でソフト・サーヴ・アイスクリームと呼ばれたが、
日本人は手近な音のやさしさにすがって、
ソフトクリームと名づけたのである。








やがて九月には百貨店の売場に進出し、
さらに酪農の牧場で、観光地で、

ご当地名物と結託して、
抹茶や果実や豆の香りをまといながら、
コーンの上で螺旋を描いた。

戦後の飢えた舌は、この洋風の甘さに屈服しつつ、
どこかで後ろめたさを覚えていたにちがいない。

彼らは、とうに色褪せた進駐軍の旗の向こうから、
遅れて届いた甘い亡霊達なのかもしれない。

冷たく、カラフルなクリーム塔をかじるたび、
私たちは、一つの占領の記憶を、
ゆっくりと歯の奥でとかしてゆく。

コーンの最後の欠片をかじり終えたとき、
私たちの口の中には、

忘却という名のゆるやかな祝祭が、
もはや戦後ではない夏だけが、
静かに、あと味として残っている。



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うどんの好きなトッピングは?


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今日は「うどんの日」です。
42年前の1980年、香川県の「本場さぬきうどん協同組合」が定めました。

うどんの日にちょっと気に掛かっている事がある。

✒ 日常と政治

三年前までは、18年もの間、
歳暮に決まって、讃岐の乾麺が届いた。

差出人は、あえて名は書かぬが、
ある政党の代表者である。

丁寧な挨拶状とともに、箱に詰められたうどんは、
湯気まで律儀な顔をしていた。

その政党が、少しずつ右のほうへ
歩き出したのは、いつ頃からだったろうか。

国会中継の画面の端で、彼の語彙が、
気づかぬほど僅かに、しかし確かに変わっていった。

慎重という言葉は「決断力」に、
対話は「毅然」に置き換えられた。

年末の箱だけは、変わらず届いていたから、
私は台所で湯を沸かしながら
「まだ大丈夫だ」と思っていたのである。












🍜 贈り物の不在

やがて、彼からの歳暮は来なくなった。
配達員の足音を待つには、私もいい歳である。

かわりに届いたのは、テレビの中の彼が掲げる、
どこか強張った人気者の笑顔と「年収の壁」とかの
ショート動画だけであった。

👁 ささやかな距離

政治と日常の距離は、
案外こんなところで測れるのかもしれない。

鍋の湯気と一緒に立ちのぼる、
誰かの信念の温度。それが冷めたのか、
こちらが冷めたのか、判然としないまま、

国の方向という大げさな言葉は、
意外に静かなかたちで、
食卓の会話をやせさせていく。

私は近所のスーパーで、一応讃岐らしいメーカーの
うどんを買い物かごに入れた。

袋の裏を読む限り、
そこには何の主義主張も書かれていなかった。






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7月になったので、ブログのヘッダーを変えました。

3年前8月に行った南仏、コート・ダジュール・ニース。
プロムナード・デ・ザングレ(イギリス人の遊歩道)から
アンジェ湾(天使の入り江)を眺めていた1瞬。


プロムナード・デ・ザングレの石畳は、
朝から晩まで陽に焼かれ、
靴底よりも記憶のほうを熱くした。

眼下にはアンジェ湾がひらけている。
名に似合わず、天使らしいものは一羽も見えなかったが、
その代わりに無数の光のかけらが、波の上で忙しく瞬いていた。

海面には、ムーブピンクのパラシュートセイリングが一つ、
時々風にあおられては、ゆっくりと空を滑って行く。

その色は、曇った心臓の一隅だけを、
器用に塗り替える絵の具のようであった。
十代の頃、理由もなく世界を赦していた自分が、
その下にぶら下がっているような気さえする。










旅を急ぐ癖は、この三日間だけは
どこかへ置き忘れて来たらしい。
ひもすがら遊歩道を行きつ戻りつしても、
時計の針は頑固に同じ場所を指しているように見えた。

思えば、何かになろうとしていた十代と、
何かであったはずの今とのあいだには、
海よりも深い隙間がある。

その隙間を覗き込みながら、
私は水平線のあたりに、
見えない欄干を探していた。
そこにもまた、天使の影はなかった。

空と海との境は、古びた水彩画の
輪郭のように曖昧で、しかし人々の
笑い声だけは、どこまでも輪郭を失わなかった。

風が吹く。はだけたシャツの胸もとへ、
ひとすじの潮のにおいが忍びこむ。

鼻先に触れたそれは、学生鞄に押しこんだまま
忘れた古い文庫本を、ふいにひらいたときの
紙の匂いに、よく似ていた。

その匂いを追いかけるうち、
旅人であるはずの自分から、
旅だけが抜け落ちて行く。

残ったのは、
欄干に凭れたまま瞬く波を見ている、

ひとりの若い日だけである。



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1905年(明治38年)の6/30日 アルベルト・アインシュタインが
相対性理論に関する最初の論文「運動する物体の電気力学について」を
ドイツの物理雑誌『アナーレン・デル・フィジーク』に提出した日。

アインシュタインの幼い頃のあだ名は「のろま」。
勉強嫌いだった彼は、少年時代は落ちこぼれで、
中学時代の教師から「ろくなものにならない」とまで言われ、
大学受験にも失敗した。

また、論文を提出した当時はスイス連邦特許局の無名の技師だった。
そんな彼が20世紀最大の天才、偉大な理論物理学者となった。

特殊相対性理論、一般相対性理論、相対論的宇宙論、
ブラウン運動に関する揺動散逸定理、光量子仮説、
アインシュタイン模型、零点エネルギーの導入、
半古典型のシュレディンガー方程式、
ボース=アインシュタイン凝縮等多数の業績で知られる。

ということで、1905年、スイス首都ベルンので特許庁に
勤めながら進めた「特殊相対性理論」の研究結果を発表した。

ということで、この地、アインシュタインが暮らしたことのある
クラムガッセ49番地は、今では記念館になっているところへ行ってみた。






残念な 生憎の休館日で、アインシュタインの家の周辺。

では、ベルンに100ヵ所もあるといわれる噴水の中でも旧市街の
メインストリート周辺にある噴水は有名なので、見て歩く事に。

まずは、ベルン中央駅から旧市街へ向かうと、最初に現れる噴水です。

噴水は「水のみ場」であり14世紀頃から人々や馬のノドを潤してきた。

アンナ・ザイラーの噴水」は牢獄塔の先にあるマルクト通りに立ち、
全財産を病院に寄付した女性を称えており、「抑制」の寓意があります。




旧市街クラム通りにあるサムソンの噴水。

旧約聖書の士師記13章~16章に登場する人物サムソンの像を施した噴水。
「目の前に現れたライオンを子山羊を裂くように裂き殺した」という
怪力なサムソンを象っています。




クロイツ通りを行くとキリスト・カトリック教会と旧市庁舎がならび、
この広場に『フェンナー噴水』があります。

甲冑に身を包んだ勇ましいフェンネルが、ベルン市の旗(熊の紋章)を
勇ましく掲げています。フェンネルは軍隊を率いるリーダーとして
ベルン市を守る役割を担っていた人物です。



次は1544年製作の『食人鬼の噴水』です。
おどおどしい名称で呼ばれているこの噴水の由来は、子供のいたずらを戒めるためのものだと言われています。





メインストリート、ゲレヒティッヒカイト通りにある噴水の像です。

正義の女神の泉目隠しをした女神が右手に剣を、左手には天秤を持っています。
目隠しをしているのは物事を先入観で見ないという意味が込められている。

天秤は公平を、剣は正義を表しているそうです。





マルクト通りにある1670年の製作の「射手の噴水」、後方に見えるのが牢獄塔。





中世の牢獄塔と現代の真っ赤なトラムの組み合わせが最高に美しい!





クラム通りにある「ツェーリンガーの噴水」後方は賑やかな「時計塔」






時計塔は1218年の建築で、当時はここが街の西の端(西門)だったという。
仕掛け時計の飾りは1530年の作で今でも毎時56分から動き出す。






建物の外壁にも、様々な像がある






ちなみに、街の名前の由来ですが、この街を造ったツェーリンゲン公が、
街の名前は、「狩りをして最初に捕まえた動物の名前を街につけよう」。

そして、最初にクマ(baren)が殺され、街はベルンと命名されたクラッカー

それで、街には熊公園がある訳だが・・・その直ぐ横・・・
半島西端のニーデック橋を渡った所で、突然、クマの綱渡りに遭遇した。



熊公園上の高台からの眺望、街の全景、いやいや半景かな・・・



こうして見ると、旧市街があまりにも小さな街なので驚いたのだ。




ところで、
アインシュタインは、『ナショナリズムは小児病である、
それは国家の麻疹(はしか)である、』と喩えたというが、
その診断書を、令和の日本のネット世論に
そっとあてがってみたくなる。

✍ 小児病としての声

現代日本のネット世論は、
永久に治りかけない麻疹の患者に似ている。
幼児期に高熱を出し、全身を紅い斑点に覆われた
経験のある者なら、この比喩の陰湿な正確さを知っている。

炎上は発疹で、トレンド欄は流行曲線。
ワクチンにあたるはずの歴史や統計は、
長文というだけでスキップされ、ショート動画、
短い敵意のほうが拡散され、そこでは国益という呪文が、
個人の不安や孤独を一瞬だけ正当化してくれる。

今、日本語のタイムラインを遡れば、匿名の幼児たちが、
誰かの失言は即座に国籍の色に塗り替えられ、異論、
知らぬ隣人を「左翼」か「左巻き」か「反日」に分類する。

高熱に浮かされた子どもが、壁紙の模様を
怪物だと信じて泣き叫ぶのと、どれほど違うのだろう。

アインシュタインの時代、
麻疹はやがて過ぎ去る通過儀礼だったが、

カルトウヨのナショナリズムは、
どうやら慢性化した発疹らしい。

一度かきむしった痕を、
また爪で確かめずにはいられない。

沈黙という薬を嫌い、
ブロックと通報という湿布だけが増えてゆく。

小児病なら、いつか治るはずだと信じたい。
だが、画面の向こうで怒号を打ち込む指は、
皺だらけの大人のものである。

もしアインシュタインが
今の日本語の書き込みを読めたなら、
大人の病は、もう小児病とは呼べないから、
険しく眉をひそめたかもしれない。



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撮影 文 熊谷

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ビートルズの楽曲を手がける株式会社EMIミュージック・ジャパン
(現:ユニバーサルミュージック合同会社)が制定。



(Wikipedia)より


60年前、1966年(昭和41年)のこの日、人気絶頂のイギリスの
ロックグループ「ザ・ビートルズ」(The Beatles)が初来日した。


ところで、ビートルズは宗教、階級、人種による
差別に、戦争に明確に反対してた。

そしてこんなエピソードがある。

🌙 九月十一日の空気

一九六四年九月十一日、
フロリダの湿った空気の下で、
ジャクソンビルのスタジアムには、
嵐の名残のようなざわめきが漂っていました。

白人席と黒人席を分けるという「当たり前」が、
まだ何の疑いもなく続いていた土地でした。

そこにやってきたビートルズ四人たちは、
派手なシャウトよりも先に、マネージャーの心配をよそに
ひとつの条件を置きました。観客を隔てるロープがあるなら、
コンサートをキャンセルする。と



リバプール港近く



🌫 静かな拒絶

「人種差別なんてばかげている。」
ポールのその言葉は、拡声器に乗って響き渡るより前に、
どこか祈りのような静けさを伴っていたはずです。

黒い肌も白い肌も、ステージから見れば、
同じ光を返す顔でしかない。

彼らが愛したリトル・リチャードやファッツ・ドミノの声は、
とうに境界線を飛び越え、レコードの溝から世界中に染み込んでいた。



リヴァプール・キャバーンクラブにて


その音楽に救われた若者たちが、今度は音楽を楯にして、
古い習慣をそっと押し返そうとしていたのです。

🌊 混ざり合う客席

やがてスタンドには、白と黒が縞模様のように、
あるいは波紋のように入り混じって座りました。

二万三千の息づかいが、同じ方向に
揺れはじめるとき、そこに並ぶ背中は、
もう「どちら側の人間か」を示す札を外されていました。


(Wikipedia)より

手拍子が重なるたび、見えない仕切りは
少しずつ崩れていきます。

音楽は、観る者を選ばない。
だからこそ、その夜の拍手は、
ひとつの国の古い掟を越えていく
試みの、小さな証人になりました。



(Wikipedia)より


🌌 もうひとつの九月十一日

後の時代に同じ日付は別の悲劇の
記憶と結びついてしまいましたが、



(Wikipedia)より


一九六四年の九月十一日は、
別のかたちで、静かに歴史を曲げた日で、
ロックによって、人種差別主義の壁に最初の
ひびを入れた、憎しみの線を一歩だけ後ずらしにした日。

宗教にも、階級にも、人種差別にも、戦争にも、
幼い頃から憧れた黒人音楽への敬意を通して「ノー」と
言ったその姿は、今も古い白黒写真の中で、
どこかあどけない表情のまま、微笑んでいます。



昔、買ったLPレコードの「特典」写真プリント


後書き

その時、9歳でビートルズのコンサートを見た
黒人女優のウーピー・ゴールドバーグは、
「まるで神の啓示だった。世界がパッと開けた気がした。

みんなが私に『ビートルズが好きだって? 白人になりたいの?』と
訊いてきた。でも私は、彼らを白人だとは見ていない。

彼らは『ビートルズ』! 

「色なんて関係ない。私も私自身なのよ。
好きな格好をして、好きなように生きればいい。
私は彼らからそういう考えを学んだ」と後に語ってます。












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一部撮影 文 熊谷


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