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盆の宵は、死者の帰る刻であるという。
燈火のゆらぎのうちに、過ぎ去った人の声や、
遠い歳月の塵までが、ふと卓上に
降り積もるように思われる。
終戦の記憶もまた、この季の気配と
分かちがたく結びついている。
そして亡くなった父の青春を想う。

父は東大の大学院に学び、博士課程で、
一冊の探検記と日記に出会って、
たちまちシルクロード研究に心を奪われた。
そして父は戦を憎み、言葉の自由を信じてた。
祖父は有力な国会議員であった。
国内では治安維持法の目も険しく、
そのはからいで父は朝鮮総督府博物館への赴任した。
人の世には、傍目には左遷としか見えぬ辞令が、
当人にとっては宿命の門であることがある。
まさにそれであった。同僚は気の毒がったが。
だが父にとっては、魂の置き場所へ
一歩近づく旅立ちであったのである。

美を守る館に身を置きつつ、
時代の醜さを、父は日ごとに見たのである。
特別高等警察の者どもは、思想を恐れるあまり、
人間そのものを折らうとした。父もまた殴られた。
けれども長身の父には、下から打ち上げる拳はほとんだ
利かなかつたと、後年かすかに笑つて語つたことがある。
だが木刀はさすがに骨にひびき、沈黙の奥へ痛みを残したらしい。
その笑ひは、強者の笑ひではない。屈せぬために
辛うじて唇へ浮べた、乾いた灯であつた。
さらに暗いのは、共に捕らへられた
朝鮮の人々のことである。
水を浴びせられ、零下二十度の寒空へ放り出されて、
何人かが凍えて死んだといふ。冬は雪よりも白く、
権力は雪よりも冷たかつた。
人は国によつて区別され、
命は思想によつて値踏みされた。
でも父は研究を深め、やがて中国大陸へ渡った。
しかし日中戦争の激化は、学問の歩みをも
容赦なく踏みにじった。志はしばしば戦火に遮られたが、
それでも父は失わなかった。戦後、ようやく博士号を得たのである。

随分と時が経ってしまったが、その何十冊かの研究ノートを、
学芸員をやってた姉が今年、かつて勤めた博物館の
後身であるソウルの国立博物館へ寄贈した。
若き日の研究を支えてくれた
韓国の人々への返礼であった。
盆にあたり父の青春を思うと、
シルクロードへ注がれたその歳月は、
今なおほのかに金色の光を帯びている。
学問とは、ついに国を越えて人の恩に報いる道でもあるのだと思う。
平和を願う心もまた、そこに静かに息づいている。
この度の熊本をはじめ地震に見舞われた
皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。
最後までご覧頂きありがとう。
今日が良い日となり、
明日がさらに素晴らしい日となりますように
。
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https://www.instagram.com/naoo_kumagai/
撮影 文 熊谷
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盆の宵は、死者の帰る刻であるという。
燈火のゆらぎのうちに、過ぎ去った人の声や、
遠い歳月の塵までが、ふと卓上に
降り積もるように思われる。
終戦の記憶もまた、この季の気配と
分かちがたく結びついている。
そして亡くなった父の青春を想う。

父は東大の大学院に学び、博士課程で、
一冊の探検記と日記に出会って、
たちまちシルクロード研究に心を奪われた。
そして父は戦を憎み、言葉の自由を信じてた。
祖父は有力な国会議員であった。
国内では治安維持法の目も険しく、
そのはからいで父は朝鮮総督府博物館への赴任した。
人の世には、傍目には左遷としか見えぬ辞令が、
当人にとっては宿命の門であることがある。
まさにそれであった。同僚は気の毒がったが。
だが父にとっては、魂の置き場所へ
一歩近づく旅立ちであったのである。

美を守る館に身を置きつつ、
時代の醜さを、父は日ごとに見たのである。
特別高等警察の者どもは、思想を恐れるあまり、
人間そのものを折らうとした。父もまた殴られた。
けれども長身の父には、下から打ち上げる拳はほとんだ
利かなかつたと、後年かすかに笑つて語つたことがある。
だが木刀はさすがに骨にひびき、沈黙の奥へ痛みを残したらしい。
その笑ひは、強者の笑ひではない。屈せぬために
辛うじて唇へ浮べた、乾いた灯であつた。
さらに暗いのは、共に捕らへられた
朝鮮の人々のことである。
水を浴びせられ、零下二十度の寒空へ放り出されて、
何人かが凍えて死んだといふ。冬は雪よりも白く、
権力は雪よりも冷たかつた。
人は国によつて区別され、
命は思想によつて値踏みされた。
でも父は研究を深め、やがて中国大陸へ渡った。
しかし日中戦争の激化は、学問の歩みをも
容赦なく踏みにじった。志はしばしば戦火に遮られたが、
それでも父は失わなかった。戦後、ようやく博士号を得たのである。

随分と時が経ってしまったが、その何十冊かの研究ノートを、
学芸員をやってた姉が今年、かつて勤めた博物館の
後身であるソウルの国立博物館へ寄贈した。
若き日の研究を支えてくれた
韓国の人々への返礼であった。
盆にあたり父の青春を思うと、
シルクロードへ注がれたその歳月は、
今なおほのかに金色の光を帯びている。
学問とは、ついに国を越えて人の恩に報いる道でもあるのだと思う。
平和を願う心もまた、そこに静かに息づいている。
この度の熊本をはじめ地震に見舞われた
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