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今日4月29日は祝日「昭和の日」ですが、昭和前半は「天長節」(1927〜1947年)、
その後は「天皇誕生日」(1948〜1988年)。昭和天皇崩御後は自然の恩恵に
感謝する「みどりの日」(1989〜2006年)になり、さらに「昭和の日」
(2007年〜)と変わり、4月29日は変遷を繰り返しました。
🌿 みどりの日から昭和の日へ
4月29日は、カレンダーには「昭和の日」とある。
昔は「みどりの日」で、そのまた昔はただの「天皇誕生日」だった
と聞けば、暦の赤い文字だけが静かに戦争を覚えているようで、
意外に多くの死者を背負っている。
「昭和の日」は、公式には「激動の日々を経て、復興を遂げた
昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日」とされています。
⚔ 昭和天皇の戦争責任という影
しかし「昭和」を語るとき、第二次世界大戦と昭和天皇の
戦争責任という重い問いを避けることはできません。

研究者たちは、昭和天皇の責任をおおまかに「法的責任」
「政治的責任」「道義的責任」に分けて議論してきました。
戦後の東京裁判で昭和天皇は被告とされませんでしたが、それは連合国側の
政治的判断の結果であり、責任がないという意味ではないのではないか、
という批判があります。一方で、天皇は実権をもたない象徴的存在に近く、
軍部に押し切られた「傀儡」だったとする見方もあります。
同じ人物を、「侵略戦争の最高責任者」と見る立場と、「暴走する軍を完全には
制御できなかった立憲君主」と見る立場が、今も鋭く対立しています。
戦場で名も知られず倒れた兵士たちは、この日を祝日と定めた
国会審議を知らない。焼け跡で泣いていた子どもも、
天皇が法廷に立たなかった理由を知る事はなかった。
ただ、猛烈な空襲、焼け野原と、腹の空虚さだけを覚えていた。
戦後の政治家たちは、昭和天皇を裁かなかった。その決定を、ある者は現実的な
選択と呼び、ある者は卑怯な妥協と呼ぶ。歴史家は「法的責任」「政治的責任」
「道義的責任」と、責任を三枚におろしてみせるが、台所の魚ほどには分けない。
私たちは、そのさばかれなかった骨を、祝日の名前の下に静かに
埋めているのかもしれない。「激動の時代を顧みる」とは便利な言葉で、
誰がどこまで間違えたのかを、ほどよく曖昧にしてくれる。
それでも、四月の風はどこかやわらかい。街路樹の新緑がまぶしい。
かつて「みどりの日」と呼ばれた頃と変わらない顔で揺れている。
その葉の一枚一枚の裏側に、戦争を見た人々の沈黙だけが、
いまも私の耳元で、かすかな空襲警報のように鳴り続けている。
最後までご覧頂きありがとう。
今日が良い日となり、
明日がさらに素晴らしい日となりますように
。
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熊谷
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昭和と聞いて思い浮かぶのは?
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今日4月29日は祝日「昭和の日」ですが、昭和前半は「天長節」(1927〜1947年)、
その後は「天皇誕生日」(1948〜1988年)。昭和天皇崩御後は自然の恩恵に
感謝する「みどりの日」(1989〜2006年)になり、さらに「昭和の日」
(2007年〜)と変わり、4月29日は変遷を繰り返しました。
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4月29日は、カレンダーには「昭和の日」とある。
昔は「みどりの日」で、そのまた昔はただの「天皇誕生日」だった
と聞けば、暦の赤い文字だけが静かに戦争を覚えているようで、
意外に多くの死者を背負っている。
「昭和の日」は、公式には「激動の日々を経て、復興を遂げた
昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日」とされています。
⚔ 昭和天皇の戦争責任という影
しかし「昭和」を語るとき、第二次世界大戦と昭和天皇の
戦争責任という重い問いを避けることはできません。

研究者たちは、昭和天皇の責任をおおまかに「法的責任」
「政治的責任」「道義的責任」に分けて議論してきました。
戦後の東京裁判で昭和天皇は被告とされませんでしたが、それは連合国側の
政治的判断の結果であり、責任がないという意味ではないのではないか、
という批判があります。一方で、天皇は実権をもたない象徴的存在に近く、
軍部に押し切られた「傀儡」だったとする見方もあります。
同じ人物を、「侵略戦争の最高責任者」と見る立場と、「暴走する軍を完全には
制御できなかった立憲君主」と見る立場が、今も鋭く対立しています。
戦場で名も知られず倒れた兵士たちは、この日を祝日と定めた
国会審議を知らない。焼け跡で泣いていた子どもも、
天皇が法廷に立たなかった理由を知る事はなかった。
ただ、猛烈な空襲、焼け野原と、腹の空虚さだけを覚えていた。
戦後の政治家たちは、昭和天皇を裁かなかった。その決定を、ある者は現実的な
選択と呼び、ある者は卑怯な妥協と呼ぶ。歴史家は「法的責任」「政治的責任」
「道義的責任」と、責任を三枚におろしてみせるが、台所の魚ほどには分けない。
私たちは、そのさばかれなかった骨を、祝日の名前の下に静かに
埋めているのかもしれない。「激動の時代を顧みる」とは便利な言葉で、
誰がどこまで間違えたのかを、ほどよく曖昧にしてくれる。
それでも、四月の風はどこかやわらかい。街路樹の新緑がまぶしい。
かつて「みどりの日」と呼ばれた頃と変わらない顔で揺れている。
その葉の一枚一枚の裏側に、戦争を見た人々の沈黙だけが、
いまも私の耳元で、かすかな空襲警報のように鳴り続けている。
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