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77年前の2月26日、その後の日本の運命を大悲劇、戦争に向かわす転換点となった「2・26事件」と
その時、惨殺された名蔵相『ダルマさんこと、高橋是清』について簡単にふれます。
最近、アベノミクスという言葉がメディアを賑わしていますが・・
1931年に蔵相として返り咲いたの高橋是清氏の政策とよく似てるのだそうで・・・。
高橋は、日本国内に現金がないこのデフレ状態を紙幣の増刷で賄おうとした。
まず再び金の輸出を停止して、つまり金の保有量に縛られないようにして、国債を日銀に
無制限に買わせて紙幣を発行する。これで、当時15億だった国家予算を2年間で1.5倍の22億にし、
その半分を軍に与え、軍事費は高橋が蔵相となる前年の4億4千万から倍以上の
10億4千万円にも肥大したのです。
高橋蔵相や(私の祖父が国会議員として所属していた)政友会というのは軍に近い政党で・・・
もっとも、軍隊というのは当時の日本では最大の組織で、そこへの投資は経済波及効果が大きかった。
高橋のリフレーション政策は当初、成功したように見えたのですがが、
大量の紙幣増刷はインフレを招き高橋が蔵相だった4年半で物価は5割近く高騰し、
これを抑えるべく出口戦略、軍事予算の縮小を図ったところ軍部の恨みを買い
右翼青年将校たちが1400人あまりの兵士と共に起きこしたクーデーター
『2・26 事件』で凶弾に倒れました。
享年81歳でした。なお、葬儀は陸軍の統制下におかれ、1か月後に築地本願寺で営まれました。
それでは高橋是清氏の経歴について触れておきます。
高橋是清は明治から昭和にかけての政治家、経済人です。
13歳でアメリカ留学を命じられて渡米しますが、そこでだまされて奴隷に売られるなど苦労を重ねて帰国。
官僚として採用されたあとも、そのキャリアを中断してペルーに渡るなど経験を積み、
明治25年に日本銀行に入りました。その後、頭角を現した是清は、副総裁のときに日露戦争での戦費の調達に功績を挙げ、58歳で日銀の総裁となります。
政界に入ったのはこのあとで、総理大臣を1回、大蔵大臣を6回も務めました。
前任の総理大臣だった原敬の暗殺、深刻化する金融恐慌、そして日々、濃さを増す戦争の影。
その風貌から「ダルマさん」と呼ばれて親しまれる一方で、その81年の生涯は波乱に満ちていました。
因みに、小金井市の江戸東京たてもの園には、赤坂にあった是清の邸宅の母屋部分が
移築・復元されています。
多忙を極めるなかで、この家での食事や家族との団らんを何よりの楽しみにしていたという是清。
武装した60人余りの兵士が押し寄せ、その命を奪ったのは、昭和11年2月26日午前5時すぎのことでした。
たてもの園では、この邸宅の一部を会場として、是清と2・26事件について知ってもらうための展示を行ってます。
資料提供 NHK
その死を惜しんでこの展示は、5月12日(日)まで行われています。
それでは、最後に、
慎んで、ダルマさんで親しまれた高橋是清氏の冥福を心からお祈りしております。
江戸東京たてもの園
〒184-0005 東京都小金井市桜町3-7-1(都立小金井公園内)
042-388-3300(代表)
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文 熊谷

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