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彼の生まれた場所オランダ南部のベルギーとの国境に近い町ズンデルトでは、
時差の関係で今日、日本時間の3月31日が誕生日になります。
ちなみに、ジャポニズムに多大な影響を受けたゴッホは大の親日家で、日本に渡航することを
夢見てたいました。そして、彼の浮世絵の習作はあまりにも有名ですが、こん日の此の大震災の悲劇を
目にしたら、鋭敏で優しい彼の事、泣き叫んで真っ先にボランティアに駆けつけてきた事でしょう。
というこで、本日は僕の大好きな彼の作品『夜のカフェテラス(アルルのフォラン広場)』からです。
1888年9月 ゴッホはアルルでの生活にも馴れ、やがて来る同志ゴーギャンとの再会を楽しみにしながら旧市街の中央にあるフォラン広場に面する、比較的裕福な層向けのカフェテラスの夜景を描きます。
1888年 81×65.5cm | 油彩・画布 | クレラー=ミュラー国立美術館
現在のカフェテラスはすっかり観光化されて、所狭しとカフェのテーブルや椅子が並べられ、
絵の頃の面影は幻のようです。ここでの掲載は遠慮しましたが、広場の中央も色々な店舗のテントで
占められていて、広場は無く、さながらレストランの一部のようでした。
とりあえず、遅いランチをとりにこの店に入り、オープンカフェの部分に席をとると
鮮やかな黄色の壁にはVAN GOGHと店名が書いてあった。当時はゴッホも入れないほどの裕福な人達
向けのお店。そのころの店名はなんといったのであろうか、しかし、今ではまさにゴッホさまさま。
テントの上方、壁ぎはに丸い真鍮製?のしゃれた形をした散水機の管が並んでいて、其処から出る霧、
マイナスイオンには凄く癒されて、食事をとりがら思わずトローンした昼下がりでした。
せっかくなので、店内を覗かせてもらう事に・・・
二階から店の出入り口の方を見ると漠然とおかれた紅白の椅子がかわいい、
ひんやりしたた漆喰と木の香りも往時を偲ばせて、いい感じだ・・・。
さて、ここでゴッホのエピソードです。10月23日、ゴーギャンがアルルに到着し、二人の共同生活は
うまく行くかのように見えたが、両者の強い個性は次第にぶつかり合い、当時のゴーギャンは描く対象の(自然主義的な)写実的表現を否定し、己の内面で見えるものを描くことを理念としていたことに対して、ゴッホは次の作に示されるよう対象(ここではひまわり)を置き、それを見ながら制作する方法を採用しており、この相容れない二つの芸術論は次第に二人の関係を悪化させ、独りになることを恐れたゴッホは疑い深くなり精神を病んでいく。
『ひまわりを描くフィンセント・ファン・ゴッホ』
1888年 73×92cm | 油彩・画布 | ファン・ゴッホ国立美術館
そんな関係が続く中、ゴーギャンはこの作品を完成し、後に本作品を見たゴッホは深く傷つき
「これは確かに私だ。しかしこれは気が狂った時の私の姿だ」と述べたと言われている。
この作品が大きな要因のひとつとなって、12月23日ゴーギャンとの激しい喧嘩の後、ゴッホは自ら剃刀で耳を切り落とし娼婦ラシェルのもとへ届けるという事件を起こし、ショックを受けたゴーギャンは
アルルを去り、両者の共同生活に終止符が打たれることになります。
そして、その事件の翌朝、意識不明のままゴッホはアルルの療養院に運ばれます
『アルルの病院の庭(アルルの療養院の庭)』
1889年 73×92cm | 油彩・画布 | オスカー・ラインハルト・コレクション
この療養院も現在はエスパース ヴァン・ゴッホ (ESPACE VAN GOGH)、ここもゴッホの名前を
つけていて、総合文化センターとして使用され、内部には図書館やメディアラボなどがある。
ゴッホが「アルルの療養所の庭」に描いた中庭も当時のそのままに復元されていて、ご機嫌です。
庭にはゴッホの目線に合わした絵の看板(注、画面左下)が飾ってあったが、これは違う、
実際の絵は二階から眺めた目線なので階段を上ろうとしたのだが、関係者以外立ち入り禁止だった。
それでは、自分なりのベストアングルを探してみますか・・・。
これなら生い茂った立ち木もうるさくないし、黄色いアーチと青空の色彩のコントラストよく似合う。
花壇の道を辿って、中央の噴水に目が自然に行くし、噴水と中央の木を軸にした
左右シンメトリーな安定感がなかなかいい・・・自画自讃ですが・・・。
ところでゴッホのエピソードに話を戻しますが、1889年1月7日、退院し、「黄色い家」へ戻る。
彼を支えたのは病院の医師レー・アルルの新教の牧師サル、そしてルーランやジヌーらの友人であった。2月7日、再び発作を起こして入院、一時退院したものの付近の市民の要請もあって、又、病院暮らしを余儀なくされる。4月17日,最愛の弟テオはオランダで、ヨハンナ(通称ヨー)と結婚。彼らはパリで新婚生活を始める。アルルで制作を続行する事はもはや不可能であったが、パリへ戻ってテオの生活を乱すわけにもゆかないという立場に追い込まれたゴッホは、さらに、次にいつ神経の発作が襲ってくるかという不安をかかえて、自らを精神療養院の中へ閉じこめる道を選ぶ。5月8日、ゴッホはサル師に付き添われて、サン・レミの精神療養院へ向かった。
これで、アルルのゴッホ特集は一段落です。長々とおつき合い頂いて、ありがとうございました。
追記、今回の大震災でお亡くなりになった多くの皆様のご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
また、被災地で不自由で不安な日々を送られていらっしゃる被災者の皆様に対し、かさねて
心よりのお見舞い申し上げます。
熊谷

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