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今日は、ちょうど今頃のフランス、オンフルールの写真を掲載します。
冬場は漁船が目立ちますが、夏場はクルーザーやヨットに港を占領されてしまう観光の街ですが、
小生としては、冬場のこの港街が好きです。
かつて、作曲家のサティや小説家 サガンを始めにして多くの芸術家に、この港街が愛されたのも、
今日の一枚の写真で自分でも納得しています。
オンフルールは、ノルマンディー地方の港街です。
バス=ノルマンディー地域圏、カルヴァドス県に属し、セーヌ川左岸の河口に位置し、
観光の街としても知られ、旧港の風景は印象派の絵画の題材ともなりました。
画家のウジェーヌ・ブーダンや、作曲家のエリック・サティの生地でもあり、
対岸のル・アーヴルとの間には、1995年にノルマンディー橋が架けられました。
この港街は、1027年のノルマンディー侯リチャード3世の文書に最初に登場し、
12世紀の中頃まで、街はルーアンから英国へ商品を運ぶための重要な中継地点でした。
安全な港と広い後背地を持つセーヌ川の三角州に位置するため、
百年戦争の発端から、街は戦略上重要な場所としてその恩恵を受け、
シャルル5世によって、英国の攻撃からセーヌ川の三角州地帯を守るため、
街の防御は強化されましたが。しかし、1357年と1419年から1450年の間、英国の占領を受けました。
この時期より、港街は海上貿易の恩恵により潤い、その繁栄は18世紀まで続きました。
港は数多くの探検者の出発地でもあり、
特に1503年のBinot Paulmier de Gonnevilleはブラジルに辿り着き、
1608年、サミュエル・ド・シャンプランによって組織された探検隊は、カナダのケベックの街を築き、
1608年以降、カナダ、アンティル諸島、アフリカの海岸、アゾレス諸島との貿易により
港は栄えましたが。結果として残念な事に、この港街はフランス5大奴隷貿易港の1つでもありました。
この時期、街の急速な発展の結果、手狭になり、ジャン=バティスト・コルベールの命令で、
街の城壁や要塞が壊されました。
その為、フランス革命とフランス第一帝政、特に大陸封鎖下の時代、戦火のため街は廃墟ようになり、
18世紀末~19世紀にかけて、北欧からの木材貿易によりこの街はかろうじて部分的に復興しました。
20世紀に入ると、貿易はこの港の入り口が浅い為、大型船舶が寄港出来ない事と、
近代的な隣のル・アーヴル港の発展により限界に達していましたが、
逆に近代化さえれなかった18世紀末から19世紀の素朴で可愛い街の佇まいが人々の心をつかみ、
今日もオンフルールは魚港、そしてなにより観光の街として生きずいています。
金持ちで派手な人より、素朴で一生懸命生きる人の方が、人々の共感を得る事が出来る。
まさに、人の生業に似て『災い転じて、福となす』??とはこの港街の姿かもしれません。
熊谷

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