化粧について思う事 | ザスタのクマさん

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あらゆる芸術、特に写真、デザインが大好きなクマこと熊谷と仲間達の作品。

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化粧する君の背中がとても、小さく見えてしかたないから、

僕はまだ君を愛しているだろう、そんなこと、ふと思いながら、

とはイルカさんの歌で大ヒットした、ナツメロですが、(ちょっと古いかな。)

僕にとって、女性の化粧している後姿を見るのは、

なにか不思議な魔術をかけているているようで、とても女を感じる瞬間です。




撮影 熊谷


同じ化粧でも、プロのメイクアップアーチストの世界になると、

趣きがかなり違います。例えば、ファッションショーの舞台裏などは、

多くのメイクさん、多くのスタイリストさん、モデルさんが入り乱れ、

さながら戦場のようです。

その緊張感の中で、華やかに変身していく女性達の姿を見るのは、

ショーのステージ上と変わらない位、エンターティメント性が高く、

舞台裏を一度でも見る機会があれば分かると思いますが、

感動するのは、たぶん僕だけではないでしょう。




撮影 熊谷


化粧といえば、舞台用のメイクの場合はかなり派手に作り込み、

離れた観客にも表情などが判りやすく工夫されていますが。

歌舞伎や京劇の世界になると、隈取」と呼ばれる独特の化粧によって、

娘役・二枚目・悪役などの役どころを一瞬で見分けられるようになっています。




恐るべき、メイクの力 撮影 熊谷


簡単に色々なメイクを紹介してきましたが、

基本的、僕はスッピンの女性の顔も好きですし、

通常はナチュラルメイク支持派です。

 それにしても、化粧をするのはまちがいなく人類だけであり、

約7万年前から、口や耳などから悪魔が侵入するのを防ぐため、

赤色の物を顔面に塗りたくるという風習から始まったという説があります。

さらに紀元前1200年代頃のエジプトでは、

人々が目や唇に化粧を施している絵画も見つかっていて、

ツタンカーメンの黄金のマスクには、

目の周囲にアイラインを施しているのが見てとれます。

また、日本では古代から、お歯黒と呼ばれる歯を黒く塗る化粧が行われており、

江戸時代には既婚女性の習慣となっていったが

明治維新以降、お歯黒、引眉の禁止令がだされ、

急速な西洋化が進む中で化粧も和風の化粧をベースに

頬紅を使ったり、耳元に紅を入れたり、白粉も白だけではなく、

ベージュや赤みの帯びた物も使われる様になった。

大正時代になると女性の社会進出が進み、

この時代、独特の自由な雰囲気は大正モダニズムと呼ばれ、

モダンガール(モガ)と称された女性達を生み出した。

彼女達はアイシャドウに口紅、ショートヘアーにミニスカートと

西洋人とさほど変わらない、今のメイクの原型のような姿をしていて

それは女性の自由と人権運動と連動した社会現象でもあり、

当時の保守的な人々から非難と攻撃の的になった。

その後、昭和に入ると暗い戦争の時代になり

化粧すること自体が非国民扱いされるような時へて

終戦と同時に女性達は平和と自由を享受する様に化粧を、また始めた。

化粧の変遷の歴史は、そのまま人類文化史の一端をうかがえるだけではなく、

その時代の女性の様々な生き方を、反映していることもままあります。

僕はどこかの化粧品メーカーの、回しものではありませんが、

化粧は女性にとっての一種のマナーであり、

若さや美しさを保つ、必需品であるのは間違いありませんが、

度が過ぎるのは、格言どうり、

「過ぎたるはおよばざるごとし」であると思うのですが・・・。

熊谷