“北”との共同開催のような雰囲気になってきた“平昌”オリンピック。

ハングルでなく“平昌”と表記されるたびに

毎回のように、自分の“ある習性”に気づかされる。


その昔、所属していた自衛隊音楽隊に

“中国文化研究会”という、
陸曹クラスの先輩自衛官たちが主宰していたサークルがあって、

最初に、その名前を聞いたときは、

てっきり李白や杜甫の漢詩を読む会かな?とか、

春秋時代の戦術を勉強するのかな?などと思っていたのだが、

その実態は、なんのことはない、

あまり大きな声では言えないが「麻雀」を主な活動としていた。

しかも、よほどメンツが足りなかったのか、
なぜか度々、WACの私にも非常呼集がかかった。

その頃は、
阪急電車の中吊り広告で

電話番号が「246…」とあれば、
つい無意識に、間に入る数字のことを考えたし、

「白」「中」という漢字が目につくと、必ず
( もう一個だ…)と考えていた。

今では、ルールや役もほとんど忘れてしまったのだが、

その頃の習性のせいなのだろうか…

このところ頻繁に目にする“平昌”という字を見るたびに、

いつも私は、瞬時に「尾」と「晃」という字を間に入れたくなる。

今は亡き作曲家、平尾昌晃さんの名前を完成させたくなるのだ。


“平昌”には、何かが足りないように思えて仕方ないのだ。

こんなことを思っているのは、もしかして私だけかな…?
(u_u)