第五章:ブルーの薔薇は存在しない
雑貨屋の店先に飾られていた、一輪の青い薔薇。
Adoが足を止めた。
「……これ、昔は存在しなかったんだよ」
「うん、花言葉、“不可能”って聞いたことある」
「そう。でも、2004年に遺伝子組換えで初めて“それっぽい青”が作られた。
本当の青じゃなかったけど、“夢叶う”って新しい意味が付けられて……今じゃ希望の花なの」
彼女の声は淡々としていたけど、その横顔には光が宿っていた。
「……あたし、自分がそうなりたかったんだ。“存在しない”って言われたままで終わりたくなかった」
「Ado……」
「ずっと変わってるって言われてきた。付き合ったこともないし、誰かに好かれる自信もなかった。
でも……今日だけは、あたしの声が、“あたし”を伝えられてる気がするの」
「それは……僕も同じだよ」
彼女は小さく笑って、雑貨屋の中に入ると、一輪のブルーの薔薇をそっと選んだ。
「これ、今日の記念。……あんたにも、持っててほしいなって」
小さなドライの花。
でもその意味は、二人の時間を閉じ込めるのに、十分すぎるほど重かった。
第六章:雨宿りと、あたしの場所
ぽつ、ぽつ、と雨が降り出したのは、駅前の公園に戻ったときだった。
「わ、やばっ、傘ない……!」
「こっち、あずまやある!」
僕たちは軒下に駆け込んで、ぴったりと寄り添って座った。
「……濡れた。やだ、ワンピースが肌に貼りつく」
Adoは自分の体を抱きしめるようにして座り込んだ。
細い肩、小さな背中。
濡れた布越しに感じる体温。
僕はごくりと喉を鳴らした。
「……ねぇ、あたし、最初に言ったよね。付き合ったことないって」
「うん、覚えてる」
「でも……今、初めて、“付き合いたい”って思った」
「え……?」
「顔、知らないままって変かもしれないけど……。
でも、こんなに安心するの、あんたとだけなんだよ」
Adoの手が、僕の膝に触れた。
びくっとした僕の反応に、彼女はくすっと笑った。
「やっぱり、初心だね。……でも、そういうとこ、嫌いじゃないよ」
スカートの裾から覗く太もも。
触れそうで触れない距離。
「……恋って、こんなに恥ずかしいんだね。ギャーッ!!バカみたい!!」
彼女は顔を手で覆いながら、震えるように笑った。
「でも、あたし……やっと“あたし”になれた気がする」
第七章:別れの匂い
雨が止み、駅へ戻る途中。
Adoが立ち止まった。
「ねぇ、……ほんとは今日、話そうと思ってたことがあって」
「……うん?」
「海外行きが、決まったの。長期の仕事。戻ってくる予定、ないんだ」
一瞬、時間が止まった気がした。
「……そっか。だから今日が最後なんだ」
「うん。あたし、ずるいから。顔を見せないまま終わらせようとしてた」
「でも、それでも、来てくれた」
「だって、あんたに会いたかったから」
Adoは、バッグから取り出した青い薔薇を僕に差し出した。
「この恋は……“不可能”じゃなかった。あたし、確かに恋してたよ」
「……僕も。これ以上にないくらい」
「……ありがと、あんた。バイバイ」
Adoは、駅の階段を駆け上がる。
手を振ることも、顔を向けることもなく――でも、最後の最後まで、背筋は真っ直ぐだった。
僕の手の中に残った、青い薔薇。
その花言葉が、今なら分かる。
“夢は、叶う”
でも、叶った夢には、必ず終わりがあるのだと。