プロローグ:存在しないはずの恋
“青い薔薇の花言葉は、かつて『不可能』だった。”
教室の片隅で、イヤホン越しにその言葉を聞いたとき、僕の心臓は一拍遅れて鼓動を打った。
その声の主は、Adoというアイドルだった。
激しい歌、尖った歌詞。だけど、その中にいつも孤独が見え隠れしていた。
たぶん、僕は彼女の「声」に恋をした。
高校時代、誰とも目を合わせられずに昼休みをやり過ごし、スマホを開くたびに聴いていたのは、Adoの曲だった。
あれから数年――今、僕は、あの“声”の本人と、現実で、顔を見せないままデートしようとしている。
夢のようで、現実。
不可能だったはずの、青い薔薇のような恋が、今、始まろうとしていた。
第一章:顔の見えない君に、会いに行く
「え、うそっ、もう着いてる!? え、やばっ、無理かも……ギャーーッ!!」
その悲鳴めいた声は、スマホ越しでもよく響いた。
通話の向こうで、Adoは完全にパニックになっていた。
「だ、大丈夫だよ。僕、駅の反対側の出口にいるし、まだ誰にも見られてないから」
「でもあたし今、ヤバい格好してるし!帽子深いしマスクしてるし、誰だかわかんない感じだし、……ていうか本当に来ると思ってなくて、変なとこ汗かいてるし!」
「変なとこって……」
「言わせるなバカッ!!」
駅の待ち合わせスペース。
僕は人目を避けるように柱の陰に立ち、スマホ片手に深呼吸する。
やがて、小さなシルエットが改札の向こうから現れた。
黒のロングコートに、シックなグレーのワンピース。
すらりとした手足に、高めのポニーテールが春風に揺れている。
小柄で細身――それだけで、Adoだと確信した。
「……おまたせ、した?」
「うん。けど……その格好、めっちゃ似合ってる」
「……っ、な、なに言ってんの!? ギャーッ!!もう!もうっ!!しぬ!!」
Adoは両手で帽子を押さえて、体を小さく縮めた。
その仕草が、マスク越しでも分かるくらい、可愛くて、微笑ましくて。
「……はぁ。……でも、来てくれて、ありがと。ほんとに、来てくれたんだ」
「当然だよ。推しとのデートなんて、一生に一度あるかないかだし」
「っ、や、やっぱ無理かもっ!あたし今、変な汗また出てきた!背中がスースーする気がする!」
Adoが背中をもぞもぞさせるたびに、コートの裾がふわっと揺れ、スカートの奥がちらちらと――
やばい。見ちゃだめ、と思いながらも、視線が吸い寄せられてしまう。
「ちょ……あんた、どこ見てんの?」
「み、見てない!!誤解!誤解!!」
「いや、絶対見た!あたしの……太もも……」
「しっ、静かにっ、駅だからっ!」
「ギャーーーーーーッ!!!!!」
駅の柱に隠れてしゃがみ込んだAdoの肩が小刻みに震えている。
マスクの下でどんな顔をしているかは見えない。でも、その声だけで、全部わかる気がした。
「……なんでだろ」
「え?」
「顔、見えないはずなのに。あんたの声、聞いてると……胸の奥が、ふわってするの」
Adoのその言葉が、春風に乗って、僕の胸にすっと入り込んだ。
この恋は、不可能から始まった。
でも、僕の中では――もう、咲きかけていた。
第二章:シックな服の、ポニーテール
「……ちょっとだけ、歩こっか」
駅の裏手にある小道を、僕とAdoは肩を並べて歩いていた。
午後の陽射し。都会の喧騒から少しだけ外れたその道には、春の花と、静かな空気が流れていた。
「さっきの、見えてた?」
「え、な、何が?」
「……スカートの中」
「……っ!いや、それは……!」
「ふーん。見てたんだ」
「ご、ごめん……!」
「……いいよ、あんただから。……でも今度見たら、後頭部に裏拳ね」
マスク越しのAdoの声には、どこか照れが混じっていた。
恥ずかしいのに、ちょっと嬉しそうで――まるで恋を知ったばかりの少女のようだった。
そのまま向かったのは、駅近くのビルに入っている隠れ家カフェ。
静かなBGMと木の香りが漂う、落ち着いた空間。
僕たちは一番奥の二人席に座った。
「……やっぱり、あたしといると落ち着かない?」
「全然。むしろ、ずっと一緒にいたいって思ってる」
「――っ」
Adoがマスクの奥で口をきゅっと結ぶ気配がした。
「……もう、それ、反則。ギャーーッ、ド直球すぎてキツい……!」
コートを脱いだ彼女の服は、淡いグレーのワンピース。
小柄な体にぴったり沿って、スカートは太ももの真ん中まで。
足を組むたび、スパッツがちらりと覗いて――僕の視線はどうしてもそちらに向いてしまう。
「……見てるよね?」
「み、見てないっ!」
「……ふふ。じゃあ、もっと見せたら、どうなるのかな」
「ちょっ、それは!」
「冗談だよ、ばーか」
Adoはくすっと笑って、ふいに小指を僕の指先に絡めてきた。
「……繋ぎたいけど、恥ずかしいから。ちょっとだけ、こうしてて」
その指先は細くて、温かかった。
第三章:ダンスと、生まれたままの自分
「ねぇ、ダンスって見たことある?」
カフェを出たあと、少し歩いた先の公園。
人気のない広場の片隅、Adoはポツリと呟いた。
「うん。ライブ映像とかで、見たことある。すごく……キレてるというか、魂がぶつかってくる感じ」
「ふふ……変な褒め方。でも、嬉しい」
Adoはポニーテールを束ね直して、軽くジャンプした。
「本番じゃないけど……ちょっとだけ、見せてあげる。特別ね」
彼女は歩道の中央に立ち、スマホで無音のビートを流すと、ゆっくりと腰を沈め、スッと右足を蹴り出した。
しなやかな動き。手足の軌道はしっかりと鋭く、そして色気を帯びていた。
スカートが風を受けてふわりと舞い、細く引き締まった太ももとスパッツが時折ちらりと覗く。
腰を回すステップでは、ボディラインが浮き彫りになり、僕の目は釘付けだった。
「……っ」
僕の喉が、ごくりと鳴った。
それを見ていたAdoが、ふとステップを止めて、にやりと笑った。
「……今、何考えてた?」
「な、何も……っ」
「うそ。目が完全に男の目だった」
Adoは肩をすくめて僕のそばに戻り、そのまま僕の耳元で囁いた。
「……でも、あんたになら、見られてもいいかも。ちょっと、だけね」
その一言で、僕の思考は完全に吹き飛んだ。
第四章:パンケーキとスカートの隙間
「はぁ……踊ったらお腹空いた」
「じゃあ……ここ、パンケーキの店、有名らしいよ」
近くのスイーツカフェに入り、二人で並んで席についた。
目の前に運ばれてきたのは、山盛りの生クリームとベリーが乗った厚焼きパンケーキ。
「やばっ……テンション上がる……」
Adoはフォークを持つ手を小さく震わせながら、一口頬張った。
「ん~……うっまっ……やばい……」
マスクを外した彼女の口元には、生クリームがちょこんと付いていた。
僕は咄嗟にナプキンを取って、そっと拭いてあげようとした。
「あっ……」
指が彼女の頬に軽く触れた。
その柔らかさと温もりに、僕は一瞬、意識が飛びそうになった。
「……っ、ばか。……ちゃんと拭いて……って言ったの、あたしじゃないんだからな」
「ご、ごめん……!」
Adoは顔を真っ赤にして、ナプキンを奪い取った。
そして、ふと僕の足に、彼女の足が触れる。
その感触――スカート越しの太ももの柔らかさに、僕の体はびくりと震えた。
「……え?今、何か……当たって……?」
「っ、気づいてないフリしてよ!?」
Adoは小声で叫ぶように言って、スカートを抑えた。
「だって……ほんとに、触れてるんだもん」
「っ……う、うぅ~~~!!!ギャーーーッ!!あたしのバカ!!!」
その日、二人の距離は、間違いなく、また一歩近づいた。