報道の自由と報道の横暴 | なんぎょう(南行)のつれづれブログ

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高杉晋作(東行)、西行法師にならい、暖かい南を選んで、南行という号を自分で付けました。日々のこと、大好きな畑仕事、歴史、旅行、寺社巡りなどの記事をつれづれに書いていきます。

報道の自由は民主主義の根幹。

しかし、報道の横暴は民主主義の敵。

近頃の騒ぎは、ここのせめぎ合い。

盗み聞きしたことを報道するのが正しいのか。
ただし、聞かれた方も、場所と状況を考えるべき。
党本部だし、ドアの向うに大勢の報道陣。

全体の流れや状況を無視して
言葉の一部だけをクローズアップさせるやり方は
正しいのか。

世論を形成するときに大きな力をもつ報道は
体制批判を使命のように思っているが
そればかりで正しいのか。

いずれも正しくないと思う。

報道の立ち位置が偏っていても
それを報道の自由と言うのだろうか。
それを報道する自由というのなら
報道が批判される手段も必要だ。

そして、報道は間違いがあれば
誠意をもって謝罪しなければいけない。

報道の横暴の方が目につくように思える。

報道を批判的に見れればいいが
多くの人には難しい。
ネットは救いかもしれない。