~新章~
街編
あれからひと月が過ぎた
重たくのしかかった積雲は消え雲は遠く、半袖の裾をひんやりした風が吹き抜ける
もう秋だ。
私は部屋を引っ越し、普段の生活に戻りつつあった。
表面上は。
あの後警察が来て、事情聴取を受けた。
私は彼女との出会いを説明するのに苦労した。
当然第一発見者の私が容疑者として疑われるだろうなとは思っていた。
思った通り、重要参考人として
事情聴取は何日にも渡り、ややうんざりしていた頃に鑑定が出た。
私の容疑は晴れた。
彼女は何者かと争った形跡があり、壁に飛び散った血液の一部から、私とは別の人間と思われる血液が見つかった。
彼女は一矢報いたのだ。
そして検死による彼女の推定死亡時刻、その時私はコンビニの監視カメラに映っていたため、僅差ではあるがアリバイが立証された。
…彼女が最後の声をのこした時、検死結果によるとすでに死んでいたということだ。
死んでもなお、私に最後の心の声をのこしてくれたのか…
みおちゃん…
彼女の笑顔を思いだし、少し泣いた。
あれから彼女のことを思い出さない日はない。
あれほど心が躍動し、揺り動かされ、ときめいたことはなかった。
エステニア…歯科治療で用いられるセラミックとプラスチックの合成素材。
実行する末端の人間は指示を出す人間の顔もわからない。
徹底して実体を隠しているのにその存在は知られている。まるで都市伝説のように世間に蔓延していた。
みおちゃんは何故直接接点があったんだろう
二階堂がみおちゃんを嫌ってた。嫉妬から来る嫌悪だとしたら、もしかしたらみおちゃんは黒幕の男と懇意だったのだろうか。。
あれから、私の周りで不穏な動きは感じられない。あの男、二階堂が言った通り、私はお役ごめんとなったのだろうか…
私は何も奪われることなく、平穏を取り出したのだろうか。
冗談じゃない。
だったらこの胸に空いた穴は何だと言うのだ。
私は奴らに大切な人を奪われた。
絶対に許せない。
私は今までずっと、食べて寝て仕事しての繰り返しで、なんのために生きているのかわからなかった。笑っていても恋をしてもどこか冷めていて、
ずっと暗い土の中にいるようだった。
それが
彼女と出会って変わった。
ただ一目惚れしただけってわけじゃない。
なんて言うか、たった数時間のあの一時で、深い繋がりを感じることが出来たんだ。時間じゃない。
こんなことを他人に言ったら笑うだろう。
死んだことで彼女との思い出を美化しているだけだと。
でも、私のこの能力、彼女から貰った気がする。
そして、彼女にも私から何かあげれた気がするんだ。
きっと私は彼女に何かを送った。
もっと何かをあげれた気がする。
彼女はエイズだと後から聞いたけど、そんなの全く関係ない。
みおちゃんほど、あれほど深い部分で繋がれるコは、きっと世界中探しても、もうどこにもいない。
彼女との出会いはほんとに奇跡だったのだ。
彼女と一緒なら、今までのつまらない世界が一変して、全く新しい素晴らしい世界が広がっていっただろう。
例えそれが儚い時間だとしても。
新しい物語が
始まることすら許されなかった。
例えるなら
ヤゴが川から上がり、脱皮してトンボとなり、羽を乾かしている時に川に突き落とされたようなものだ。
私はっ!
また生まれ変わるチャンスを逃してしまったっ!
…
彼女を利用し、使えなくなったと思ったら
無惨に引き裂いた黒幕の男に、必ず鉄槌を打ち込んでやる。
必ず!
私は両拳を堅く握り締めた
とはいえ、今、黒幕の男までたどり着くには手がかりになるものはあまりに少ない。
少ない…が
なくはない。
その一つとして、
私は…男の声を知っている。
心の声を知っている。
あの声、まだあまり鮮明ではなかったが、逃がさない逃がさない逃がさない逃がさないと彼女に暗示をかけた声を、私は絶対忘れるものか。
逃がさないだと?
それはこっちのセリフだ!必ずお前の喉元にたどり着いてやる!
世界は変わった。今まで以上に暗く深く世界の最深部、激情蠢く灼熱のマグマの世界へ。
セミになり損ねた私は、玄武となった。
私の推測では、彼女、みおちゃんのように暗示をかけられて犯罪に手を染めている人間が他にもいるはずだ。
そういう人間を見つけてそこから辿っていけば、組織の概要が見えてくるかもしれない。
他にも私は種を蒔いていたが、今出来ることは操られている人間を見つけることだ。
どうやって操られてるコを見つけるか?
にわ…にわ…
私は街に来ていた。
実は最近、毎日のように街に出ている。
雑踏の中に私は佇んでいる。
あの暗示の声がする人間を、これから探すんだ。
この雑踏の中から
私の能力を使って。
この能力、
私は『レスポンス』と名付けることにした。
私が意識を向ける対象は、本人の意思を介さず反応する。反応というより反射に近い
このレスポンス、
今ではさらに進化して
不特定多数の人間の声を一気に聞くことが出来るようになったのだ。
しかもまだ、この能力には先がある予感がした。
レスポンスを発動させた
ざわざわ、ザワザワ、ざわざわ、
早く家帰りたい遅いなまーくんあの女かわいいあーこの服きてくるんじゃなかった前の奴早く歩けよ腹へったカニ食べてえ急がないと遅れちゃう小腹がすいたカニ食べてえタバコ吸いたい道こっちであってたっけ
人混み嫌いヒール履いてくればよかったカニ食べてえ…
なんかやたらカニ多いな(笑)
そんな常にカニ食べたいものだろうか。
あ~なる程、
近くにカニ料理店がある。
そういうことか。
カニって、思い出した時に食べたくなるものだよな。
これだけ多数の人間のレス(心の声)
射程圏だけでも数十人から百人近くはいるだろうか、とてもじゃないが全てしっかり聞き取るのは厳しい。
なので、私はレスのチューニングをした。
ざわざわ、ザワザワ…
しゅるしゅるしゅる…ひゃひゃひゃぴしゃぴしゃぴしゃ…
はるはるはるはる……ぽぽぽぽぽぽ…
声として聞き取ろうとすると情報量が多過ぎるので、音として、もっと情報量を少なくすることにしたのだ。これによって、あの男の声に近い音を探すことが出来る。
オーケストラを聞いていて、ドラムの音を探す時、まず打楽器にピントを合わせるようなものか。
スロットで言うところの、いきなり直撃を狙うんじゃなく、まず高確に入ることを目標にした作戦だ。
これによって声質の種類を絞り込み、一度に百人分だろうとほぼ一瞬で
いる、いないの判別が可能となり、1日に何千人と探し回ることが出来る。
私はこの雑踏を歩き回った。
たまに通りに人が少なくなることがある。そんな時はチューニングを戻してしっかり声を聴いてみたりした。
勝手に聞いといてこんなことを言うのもあれだが、みんな同じようなこと考えてるな。
人の考えてることなんて95パーセントが原始的な欲求か自意識だ。
でも、自分だけじゃなかったんだという安堵感に包まれもした。
そして大事なのは残り5パーセントだ。この5パーセントがあるからこそ人は素晴らしい。
私は探し続けた。
…といっても捜査を始めてまだ一週間くらいだ。そんなあっさり捕まるはずもない。今日はすでに五時間、雑踏の中を歩きまわったが、手がかりは掴めなかった。
手がかりは掴めなかったが手応えは掴めた。これを1ヶ月も行えば、数十万人の声を聴くことが出来る。
今日の調査はこれくらいにして、飯でも食べて帰ろうと思った。
…カニ食べようか
とも思ったが、私は今、嗜好に金を消費している場合じゃない。金はあればあるほどいい。
牛丼屋で軽く食事を済ませようと店の前にさしかかったところで
あっゆうさん!
レスが聞こえた。
誰か知り合いに私は発見されたようだ。
この声は、恐らく…
振り向くと、
職場の後輩が歩いてくる。
おお先生じゃない。
こんなとこで会うとはね。
どしたよおめかししちゃって!
今からどこ行くの?
彼の名は悠希。私からは何故か先生と呼ばれてる
はい。今から待ち合わせしてるんです。
ゆうさんはどうされたんですか?
まさか本当のことを言うわけにもいかない。
ああ、急にカニ食べたくなってさ、街出たんだけど、気が変わって牛丼食べて帰ろうとしてるとこ。
マジっすか笑
気が変わって牛丼すか(笑)すごい変わりようですね!
そっかじゃあまだご飯食べてないんですね、
まあね、
あの、もしよかったらこれから飲み行きませんか?女の子も来ますよ!
マジで?いやいや、誘ってくれて嬉しいけどさ、俺みたいなおっさん来たら女の子達がっかりするでしょ(笑)
大丈夫ですよ!だって彼女達ゆうさんのこことそんな嫌ってませんもん。職場のコ達なんで。
ああ、そういうことね!先それいいんちゃい(笑)
そういうことなら行ってもいいかもだけど、みんなの分出せる程の持ち合わせがないけえ、やっぱし止めとくよ。
いいんすよゆうさん、そこまで気を遣わなくて。いつもゆうさんにはお世話になってるんで、むしろ今回は奢らせてください。
えーいいんすか先生、嬉しいこと言ってくれるじゃん。お世話になってるのはこっちの方ですよ。でもやっぱし悪いから止めとくよ。
いいんすよゆうさん、ほんとに気を遣わなくて
いいんすか先生。
いいんすよゆうさん、
何やってんの(笑)
あ、紗季じゃん。
待ち合わせ時間過ぎてるよ、早く行こう。
てかゆうさんじゃん。なんで悠希と一緒にいるんですか?
ああ、さっきばったりあってね。
飲みに誘ってくれたんだけど、やっぱし遠慮しとこっかなって。
えー行きましょうよ!
ゆうさん来たら待ち合わせ場所でまってる美依子もきっと喜びますよ!
といいつつも、紗季は私が参加するのをあまりよく思ってはなかった。私のこと嫌いまではいかないが、好きでもない。一緒に飲むとなると、ちょっと嫌かも。来てほしくない。そんなレスが私には聞こえてしまう。
いやいいんすよ。そこまで誘ってくれただけで十分すよ。この後エステ行かなきゃいけないし。
エステ出た!いつもそうやって見え見えの嘘つくんだからこの人わ(笑)
確かに。紗季の嘘はレスが聞こえなければ看破出来ないクオリティだ。
じゃあまた職場で…
帰ろうと思った瞬間、
しゃしゃしゃしゃしゃ…
あ!この音は
私はすれ違う人々のレスを隈無く聴くために、レスポンスをオンにしっぱなしにしていた。
私は全身の毛が逆立つような感覚に覆われた。見つけた喜びとあの日の絶望を思い出した怒りが心に同居していた。
まだ声質が似てるだけの別人かも知れない。
音が聞こえる方を探す。と、美依子が携帯で話しながらこっちに向かって歩いて来ていた。
私はお腹がヒンと鳴った。
おっきたきた。そっちからも見えた?じゃあ。
いつの間にか先生が携帯で美依子をこっちに呼び出していたのだ。
しゃしゃしゃしゃしゃ…逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない…
…間違いない。美依子から声が聞こえる!
事情が変わった。
もう帰るわけには行かなくなった。
まさか一週間で
見つかるとは…しかも職場のコだとは…
ゆうさんじゃん!お疲れ様です。もしかしてこれから飲み連れてってくれるんですか?
あーゆうさんこの後エステだって。
紗季が言った
えー!もう!またエステとかわけのわからないこと言って(苦笑)
そんなこと言わずに行きましょうよ!ねー!
そうじゃね。よっしゃ行くか!
今日はわしの奢りじゃ!
キャーさすがゆうさん、太っ腹!
女の子達のテンションが上がった
んまー
わしゃー伊達にお腹は出てないっつーことですよ。
また自虐的なこと言うんだから笑
てゆーかゆうさん、痩せた?そんな言う程お腹出てなくない?
たしかに痩せたかもね。
すごいじゃんうらやましい!どうやったら痩せれるんですか?
そうじゃね、何か大切なものを失ったら自然と痩せるものなのかもね。
なんか深いこと言ってるし~さては失恋した?
失恋…
確かに、そんな感じかな。
(ほんとは死別だけど)
色々あったんじゃ~まあ、今日はパーッと飲もう!
…いいんすかゆうさん、さっきお金ないって
先生が小声で言った
いいんすよ。先生。さっきはお金ないって嘘ついたんすよ。ほんとは俺、お金割と持ってるよ(笑)
嘘ついたんすか!
ゆうさん、さいてー。でも飲み行ってくれるから許します。
許してくれるんすか、先生。ありがとうございます。
いいんすよ。ゆうさん
いいんすか、先生。
早く行くよー!
紗季が催促した。
私達は目的地の居酒屋に向かった。私は先生と会話しながら歩いていた。
美依子と紗季は私達の十数メートル前を歩いてる。
…
今はあの声は聞こえない。
美依子…まさか職場のコが操られてるとは。
何にせよ美依子はこれから、誰かをターゲットにして接近するはず。
その接近するきっかけ作りに、
二階堂のような
役者が関わってくるはず。このまま美依子を張ってれば、私の能力を使い難なく役者は見つかるだろう。
後はその役者から情報を引き出せば何か手がかりが見えてくるはずだ。
ところで先生、こないだはたくさん働いてくれてありがとうございました。シフトに先生入ってたらほんと仕事回すの楽になりますよ。
ほんとっすか!ありがとうございます。俺ももっと早く自分の仕事終わらせて周りのフォローもっと出来るようになります。
期待してますよ先生。
ほんと先生みたいな人はなかなかいないっすよ。優しいし、バカだけど素直だし、仕事熱心だし、ほんとずっとうちで働いて欲しい。
ありがとうございます。学校卒業するまで後1年、頑張って働きます。
ほんとっすか先生。
ほんとっすよ、ゆうさん。
いや!
紗季のレスだ。
あ、なんかチャラい男二人に絡まれてる。
二人ともかわいいねー!今からパーティーあるんだけど一緒に行きませんか?
あの、すいません、連れが後ろにいるんで、あの、ほんとすいません。
紗季が私達を指してそう言うと、
どれ?
え、まさかあのピンクのベルトの奴と隣のはげちらかしたおっさん?
おいおい勘弁してー!君らみたいなかわいいコ達がなんであんなおっさんと遊んでんのー?
あんな奴らほっといてパーティー行って楽しもうよ!
あの人達は職場の人です!私達十分楽しいんでお断りします!
美依子が強い口調でそう言うと、掴まれていたバッグの肩紐を振りほどこうとした。
私達は人混みを掻き分けて彼女達の元に追いついた。
お兄ちゃん達、彼女嫌がってるから放してあげて貰えませんか。
と私が言うと、
おいおっさん!
おめー職場の上司かなんか知んねーけどしったげに女連れてんじゃねーよ!ほんとはこの子らもおめーみてーなおっさんと一緒じゃハズいって思ってんだよ!おめーがいなきゃ一緒にパーティー行くってよ!
おら!おめーは風俗でも行ってろ!
なんてひどいことを言う奴だ(笑)
私はチャラ男の一人に肩をガッと押された。
私は肩を払いながら口を開いた
そのパーティー、私達も付いて行くわけにはいかないでしょうか。
えっ
彼女達は驚いた
あ?
何いってんだ!そんなわけ行くかよ!ふざけたこと抜かしてんじゃねーよ!
チャラい二人は私に凄んだ。
残念、そのパーティー、私すごく興味があったものでつい、失礼しました。
あの、ちょっとここでは何ですので、あちらの路地に行きませんか?
ああ?上等だよ!おめー女の子達いるからってかっこつけてっけど知らねーよ?
ゆうさん、ちょ
三人共不安そうな表情で私を止めようとした。
大丈夫。彼等とは俺一人で話合ってくるから。ああ見えて彼らも話せば多分分かってくれるよ。任せといて。
私は彼等二人を連れて、路地に入っていった。
おっさん、覚悟出来てんのか?
そっか。お前ら、どうやらほんとにシロみたいだな。
私は軽くため息をついた。
は?シロ?むしろガングロですけど?意味わかんねえこと抜かしてんじゃねーよ!
私はてっきり、こいつら役者かと思ったんだが、レスを聴く限り、どうやらほんとにただのナンパ目的らしい。
あはは
ガングロですけどだって(笑)
恥ずかしいツッコミさせてごめんな(笑)
つか
パーティーって何だよ。マジ興味あるんだよ。連れてけよ。
うっせー!パーティーはパーティーだよ!誰がおめーなんか連れてくかよ!
…
ひと月前…
二階堂をシバいた時、私は自分の動きのキレに内心驚いていた。
レスポンスに目覚めてから脳が活性化され、肉体的な潜在能力が引き出されたのだろうか。
私はあれから、身体を鍛えた。
鍛えれば鍛える程、みるみる身体が力強く変化していった。
私が回想してしばし作った間に
痺れを切らしたチャラ男の一人が私に殴りかかった
殴りかかってくることがわかっていた私はそれを片手で受け流し、
もう片方で男のはだけた鎖骨に指をかけた。
…!
は、…や、やめて…
男は力なく懇願した。
おめ、手ぇ離せ!
もう一人の男が掴みかかろうとしたが、私は掴まれる前にその男のアゴに指をかけた。
…え…?ひ、…やめて、ヤバいってマジやめて!
さっき覚悟出来てんのかっつったよな。
覚悟…出来てるよ。
人を壊す覚悟…
試してやろうか?
私が両指に力を込めると、
男達はべそをかきながら懇願した。
…私は力を少しゆるめると、
二人ともお小遣いあげるから、それで今日は引き下がって。いい?
は、はい。
二人とも震えながら答えた。
私は二人を離し、小銭入れを取り出すと、
一人に百円手渡した。
そしてもう一人にも…
あら、おっきいの(百円)ないや。
ごめんこれで勘弁して。
もう一人には五円玉を手渡した。
じゃあね。
私は二人を後にした。
路地を出ると、心配そうにしてる三人を見つけた。
大丈夫?殴られた?
三人が駆け寄ってきた。
ああ、大丈夫だよ。ほら、殴られた跡ないでしょ?言った通り、話のわかる子らだったよ。
ほんとに大丈夫?
ほんとに大丈夫だって。お金渡したら許してくれたよ。
え!お金!いくら取られたの?
105円。
は、105円?嘘でしょ!そんな小銭で納得するなんて
ほんとだよ。ほら、彼等こっちきたよ。聞いてみる?
彼等が私と目があった。
私が手を振るように指をにぎにぎすると、彼等は早足で去っていった。
私が彼等に何をしたか。
片方は鎖骨に片方はアゴに、指を食い込ませてやった。
素手の喧嘩において一番使える身体の部位はどこか?
拳、脚、肘、色々あるが、一番使えるのは指だと思う。人間はどんなに鍛えても鍛えられないたくさんの隙間が存在する。その隙間に指を滑り込ませるのだ。
私はこの10日間、指を集中的に鍛えた。
つかむ、つねる、押し込む。これらで大の男を泣きつかせることが出来る。
効果は、てきめんだったようだ。
そして絶対不意打ちされることなく先手を打てる、相手の心を読むレスポンス。
私はこの時点ですでにそこらのチンピラでは二、三人がかりでも相手にならない力を持っていた。
さらに私は武器を隠し持っている。
まあこの調子なら当面素手で十分、こいつを使うことはなさそうだ。
はい。これで一件落着!
忘れて飲もう!早く行こう!
私達は居酒屋に入った。その日は金曜日で、店内はかなり賑わっていた。
それにしても、
うっうるさい。
私は頭が割れそうになった
とにかく恐ろしくうるさい。まるでここはライブ会場かなにかで客全員が絶叫してるよう。
なる程、酒の入った人間のレスは制御が外れて大きくなるのかもしれない。
私はレスの自動受信をオフにすると
普通の喧騒に戻った。
しかしあまり環境はよくないな。この喧騒ではレスは聞こえにくいのだ。
店員に四人掛けのテーブルを案内された。
席どーしよっか?
俺、ここ座ろ!先生が手前の右奥に座った
じゃあ、私奥座る。
美依子が先生の正面に座った。
ゆうさん、隣空いてますよ!
先生が隣のイスをバンバン叩いた。
おっ先生、隣空いてますね。
でも美依子の隣も空いてるんで先生の隣には座りません。申し訳ございません。
あ、そうか美依子の隣も空いてるのか(笑)
先生は嫌みがない男だ。
私は美依子の隣に座った。
もちろんレスが聞き取りやすいように。
紗季は先生の隣に座った。
席も決まったし飲もうか!
一杯目はみんなビールを頼んだ。
美依子が携帯を見てる。
美依子、何見てるの?
私が訊ねると、携帯を見せて来た。
さっきここ来る途中、広島太郎見かけたの。
ほら、サマーバージョン。
あは!広島太郎髪切ってるじゃん(笑)
美依子は広島太郎を写メっていたのだ。
んで、これがウインターバージョンね。
そう言うと、
以前写メって保存していた髪が長い頃の太郎を見せてきた。
つか何撮ってんのさ(笑)相変わらず変わったもの写メってんだね(笑)
美依子は普段大人しい子なのだが、たまに覗かせる一面は実にユニークなのだ。
…今のところレスにこれといった変化はない。
それにしてもゆうさん、お金取られたとはいえ、堂々としてたってゆーか、さっきは頼もしかった!
紗季が言った。
そうそう。いかにもって奴らだったのに、ゆうさん、普段と変わらないんだもん。
美依子が付け加えた。
いやいや、内心びびったのなんの。でも彼等、恐らく先生と同い年くらいでしょ?
そう思ったら可愛く見えてきてね。
ね?先生!
俺、怖くてなんもできなくてすいませんでした。俺がもっと強かったらあいつらぶん殴ってやったのに。
先生、気にしないで。彼等より先生の方がずっと強いんすよ。先生には俺、頭上がらないんすよ。
ほんとすか、いや、そんなことないです。俺はまだまだ弱い男なんで。一からやり直します。
そんなことないんすよ、先生
そんなことないんすか、ゆうさん。
ガタン!ゴト!ゴトゴト!
失礼しまーす!ビールお持ちしました!
女の店員が、
まるでハンマーのようにジョッキをテーブルに叩きつけた。
なんて雑な店員だ
ビールがみんなの手元に配られ
乾杯する
と同時に私は
グビ、グビグビグビ!
一気にジョッキを飲み干した
ちょ!ゆうさん、飲むの早すぎ!
三人の声が揃った
いやーうまい。やはりと申しますか、なんと申しますか、この一杯のために生きてますなあ!
私は五時間、歩きっぱなし飲まず食わずで能力をフル回転させて相当疲れていたこともあり、いつも以上にビールがうまかった。
私はすぐに次を頼み、気がつくと15分で五杯も飲んでいた。このペースは尋常じゃない。普段の数倍のペースだ。疲れていたのとペースが早過ぎたのとで、私はすでに相当出来上がっていた。
ところで悠希は彼女いるの?
美依子が聞いた
こないだ別れたって言ってたね、あれからどーなん?
紗季がこの話題に乗っかった
このとき私は思い出した。
しまった、酒入ってから美依子のレス全然聞いてなかった。
聴かなきゃ
…あれ?
全然聞こえない。
私は焦った
いつも対象に意識を集中するだけでレスが聞こえてくるのに。
てゆーかそもそもうまく集中出来ない。
あ、…俺が酔っ払ってるからか!
そういえばあの日、初めて声を聞いた時も酒が少し入ってた
もしかしてあの時、酒が入ってなかったら最初から鮮明に声が聞こえていたのか?
しまった。バカだ私は。酒が入ったら五感が鈍るくらい子供でも先生でも知ってる
ましてや繊細な感覚に頼ったこの能力、麻痺するに決まってる。むしろアルコールに非常に弱いのかもしれない。
あの時、初めて声が聞こえた時、ほろ酔いが醒めて声が鮮明に聞こえるようになるまで恐らく一時間かかった。
今回の酔い方はあの時の比じゃない。少なくとも2、3時間は麻痺したままか…
仕方ない。出来るだけ早く酔いを醒ますしかない。それまで美依子の一挙手一投足見逃さず観察するしかない。
この酔っ払って焦点定まらない状態で…
く…今役者が来たら対応出来ない…チクショウ…情けない…
ゆうさん、俺も一気しますよ!
せ 先生
おういけいけー!
彼女達も盛り上げた
いっき!いっき!
ゲホ
先生は半分くらいでギブアップした(笑)
えーなにそれー!半分飲めてないじゃん!
紗季が野次を飛ばした。
ゲホ、だってビール苦いんじゃもん!
先生は苦いのと酸っぱいのとおしるこが苦手だ
ゆうさん、手本見せてあげなよ!ねー!
手本見せて!
はい一気!一気!
マジかよこの流れ…酔い覚まそうと思ってたら…
私は空気を読み過ぎてしまうところがある
つまりこうなったら断れないのだ
仕方ない。
私は一気した。
さすがゆうさん!
いい飲みっぷ…
みんなの声が遠く感じる
周りが回ってみえる
意識が…
…
ゆうさん、それじゃあ気をつけて帰ってね。
紗季は彼氏に迎え来てもらってたよ。
悠希悪酔いしててうちがちょっと看ててあげなきゃだから
うちらすこし休んでから帰るね。
ゆうさん、おやすみなさい。
私はタクシーに乗せられていた。記憶が断片的にしか残ってない。
先生と美依子が一緒…まさか先生…
不安だった。
でも…今の俺に何が出来る?
美依子のターゲットが先生とは限らないし、
もしそうだとしてもどう説得すればいい?
美依子お前は操られてる!
先生は美依子にカモにされようとしてる!
とでも言うのか?
それ以前に身体が思うように動かない。携帯をなんとか取り出したが…携帯の画面に焦点が合わない…
頭がくわんくわんする
また記憶がなくなっていった…
次に目が覚めるとそこはじぶんちの玄関先だった。タクシー運転手が酔っ払って要領を得ない私を玄関まで運んでくれてたのをおぼろげながら覚えている。
頭が痛い
はっ
今何時だ?
時計の針は夜中の3時を回っていた。彼等と別れた時間は覚えてないが、数時間は経ってるだろうか。
急いで先生に電話した。
出ない…
先生…
美依子にも電話した
が話し中…
美依子と先生…
ヤバい。
みおちゃんの血で真っ赤に染まった部屋がフラッシュバックした。
…いや、それは考えにくい。
みおちゃんは黒幕の男に殺されたんだ。すべての件に奴が絡んでるわけじゃないだろうし、みおちゃんは奴にとって特別だったように思われる。今回、恐らく黒幕の男は無関係だろう。
でも役者がすでに現れてたら、
私は手がかりを失ってしまう
何より
もし先生がターゲットだったら…
ぴるるるる、ぴるるるる
着信だ
携帯をとると紗季からだった
ゆうさん!大変!
美依子と悠希が!
…お腹がヒンと鳴った。
ゆうさん、?聞いてる?さっき美依子から電話があって、二人でネットカフェで休んでたら火事に巻き込まれたって…
…ねえゆうさん?
続く