私はバイクの後ろに乗っている。
バイクは猛烈な勢いで空を切り裂いていった。
メーターを見ると、時速140キロ出ていた。そこまで着込んでなかった私には寒いわけだ。
朱木!飛ばしすぎ!
何?聞こえないわよ?
あっ
朱木の耳元に寄ろうと体を捩らせたらシャツがはだけ、
私の胸ポケットからタバコが飛んでいった。
あー
この猛スピード、タバコは一瞬にして遥か彼方後方へ置き去られた。
あ…そう言えばまだ私の能力のこと、清華のこと、朱木に話してなかった。
バイクは猛スピードで進んでいる。
様々なものを置き去りにして。
逆走することは不可能。今はただ、次のステージに進むことしか出来ない。
私達は港に到着した。
既に朱木の仲間達は集合していた。
その数20人はいる。
おっしゃ!
みんな揃ってんね。あ、真帆がまだ来てないのね。まあいいわ。
こいつ私の愛人。憂っていうの。みんな仲良くしてやってね。
なんだよ愛人て!
違うわボケ!
みんなが爆笑した。
憂さん、はじめまして。話は朱矢さんから聞いてます。俺ら、力になりますよ。
一人が言うと、
その徒名、憂の前で言わないで!ハズいでしょ!
朱木が恥ずかしそうに言った。
するとまたみんなゲラゲラ笑った。
私は、思っていたより和やかな雰囲気を感じた。ガラの悪い連中だが、こうやって接してみると一人一人は普通の青年だ。
と感じると同時に思った。
俺は確かに朱木に助けを求めた。けど、彼等を巻き込むのは…
何言ってんのさ!言ったでしょ!一人で背負いこむなって。
二人より三人、三人より四人、そうやって重さを薄めていけばいいのよ。
私は、思うの。
人間、迷惑かけてなんぼだって。
だって迷惑を掛け合い助け合うのが人間関係の基本でしょ。
朱木…お前熱いこと言うなあ。
でも、俺、お前のそういうとこ、ちょっと苦手だった。
お前は周りの奴らの弱さを認めて受け止める強さを持ってる。だからお前の周りにはいつも人が集まるんだろうなあ。
でも俺はさ、群れるのがあんまし好きじゃなかった。その、よくも悪くも薄まってく感じや一体感が嫌なんだ。何だろうな。エゴが強いのかな。かと言って周りを自分のエゴに従わせるのも違うと思うし、そんなカリスマ自体ないし。
それに複数のグループになると、どうしても合わない奴が出てくる。そういう奴ともうまくやってかなければいけないのがめんどくさい。
本当は帰ってテレビ見たいのに、面白くもない奴と、付き合いでだらだら何をするわけでもなく時間を消費するのも耐えられない。
私は後半の部分は心の中だけに留めた。
憂の気持ちもわかるわよ。そうね、確かに群れると、集団意識が生まれて異端の発想が淘汰されてく。あんた変わってるからね。居心地悪いのかもね。
まあ、別に馴れ合えってんじゃないわ。言い方は悪いけど、あんたはウチらを利用すればいいと思うの。
つーかぶっちゃけこいつら暇人でさ、力有り余ってんのよ。暴れたがってるの。暴れる場所を教えてあげて。
朱木…
私は、何かまだ釈然としないものがあった…
そう、朱木も彼らも清華の恐ろしさを知らない。
やはり彼等をこのまま危険な目に合わせることに抵抗があった。
どうしよう、私の能力、清華の能力、ここで話しておくか…いや、しかし、そんなのすぐには信じられないだろう。信じさせるためには実際レスポンスを使って誰かの心の声を当ててやる必要がある。しかし、それはそれでみんな引くんじゃないだろうか。朱木は別として、普通は自分の心を見透かされるのは嫌だろう。
清華の能力だけ話そうか…いや、しかし、そんなの言葉だけじゃ信じられないだろう。
やはり私の能力を見せるしかないのか…
いや、しかし、…
…しゃしゃしゃしゃ
ぞわ
このレスは…!
あーいるいる。見慣れない奴が一人。あいつが憂って奴でしょ。
数十メートル先で女が携帯で誰かと話している。この女、清華に操られている!
バレた!マズい!何故ここが?
おー真帆遅かったじゃねーか!早くこっち来いよ!
朱木の仲間の一人が呼んだ。
私のお腹がヒンと鳴った。
この真帆って女…彼等の仲間なのか…そして清華の手先…
私は青ざめた。
筒抜けだ。何もかも…
ギイ…ギイ…
ああ!ヤバい!あいつが来る!どんどん近づいて…
私は逃げようとも思ったが、
この状況…短時間で全員説得して納得させて逃がすのは困難だ。私だけ逃げるわけにもいかない。
いや、しかし状況と言えば
こっちは朱木とその仲間が20人以上…
向こうが何人で来てるか知らないが、
迎え打つ状況としては決して不利ではない。むしろこっちが有利なんじゃないか。
この時…集団に身を置くことによる安堵感…集団意識が少なからず私にも働いていたのかもしれない。
何か夢見心地のような、厳しく困難な正解より楽観的で安易な不正解を選んでしまうような、危機感のないぬるい曖昧な思考をしていて結局逃げるという選択をとらなかった。
車の光が見えた。
スーッと
音もなくハイブリッド車が一台、私達の前に止まった。
エステニア製薬の社用車だ。
車から
一人の男が降りて来た。
そう。それは清華だった。
私は清華とついに対峙した。
憂…会いたかったよ。
清華が言った。
私のことを前々から知っている風な言い方だった。そうだ。こいつは私のことを知っているはずだ。
清華…俺もお前に会いたかった。
こいつ…こんな顔をしていたのか。
想像していたよりも優男だった。
こいつに奪われた。美音ちゃんを奪われた。こいつだけは許せない。絶対に許してはいけない。
私は清華を見た瞬間、怒りを奮い立たせようとした。
だが…この感覚はなんだ?
私の感情…
例えば自分の大切な人が災害でなくなったたとして、例えば海で嵐に巻き込まれたとして、
今目の前に広がる穏やかな海に対してどう思うだろうか。
その時の私の感情はそれに近かったかもしれない。
この男…
禍々しいレス、
すごく寒い…凍てつくようなレスが流れ込んでくるのだが、
なんて言うか、中身がないんだ。
普通の人間のレスには、その人特有のクセというか、アクというか、いわゆる性格や人柄というものが付加している。
だが、清華のレスは無味無臭。
本当に氷そのもの。
恨むったってこいつは氷なんだ。氷を恨めって言われても…
しかもこいつ、私に特に敵意を持ってない。
好奇心?
期待感…?
なんだ?私に対するこの感情は…
お前…面白い力持ってるな。私の力と裏表の関係にある。
私がかけた暗示をこれまで何人か解き放ったな。
彼女達にもう一度暗示をかけようとしても、かからないんだ。
憂…お前、なにをした?
清華は私に純粋に聞いた。生徒が先生に質問するように純粋な気持ちで。
何訳わかんないこといってんのこいつ。
朱木が怪訝な表情でいった。
フタを…開いてやっただけだ。
私は短く、言葉足らずな説明をした。
憂?
朱木は目を白黒させていた。
なるほど。
清華はその端的な言葉で理解したようだ。
どうやら人間の器に付いてるフタは不可逆性の原理で出来ているようだな。
空気を入れるのは見やすいが、抜くには栓を壊さなければならない。壊れた栓には空気はもうたまらないってことだ。
なるほど。
お前が壊したのか。
ギイ…
ギギギギ…シュルルルルル!
美音を!よくも壊したな!
もう、いくら空気を入れても入れてもっ
手応えがなかったんだっ
美音はしぼんだままだった!壊れた風船みたいだった!
悲しかった!絶望した!
貯めていた通帳の残高を誰かに全部引き出された気分だったっ!
お前が壊したのか!
許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない!
殺す!
ぞわぞわぞわ!
清華は急変した。穏やかな海が一瞬で嵐の様相を呈した。
さっきまで動きの鈍かった清華のレスが、吹雪のように急速に渦巻いて私に流れ込んでくる!私は膨大な量の殺意を一身に浴びて、
蛇に睨まれた蛙のごとく
その場から身じろぎ一つ出来なかった。
くはっ…はっ
呼吸することも困難になってきた。
清華が私に近づいて来た。
私は動くことも声を出すことも出来なかった。
憂!下がって!
朱木が私の前にかくまうように立ちふさがった。
それに呼応するように仲間達も武器を持って構えた。
マジか…朱木…お前ら、
こいつとやる気なのか…レスが聞こえない人間には清華の巨大さがわからないのか、
お前らは今、高速で回転している人の何倍もある巨大なプロペラの前に立ってるんだぞ。
ダメだ…みんな逃げてくれ、
声が…声が出ない。
私が甘かった…朱木は実戦経験豊富で相当なケンカの腕を持っているし、頭も切れる。さらに仲間が20人…
うまくやれれば清華に対抗出来るだろうと漠然と思っていた。
しかし清華と対峙してそれがあまりにも甘かったと思い知らされた。
集団対個とか、武力とかの問題じゃないんだ。支配者と支配される側は、そんなものじゃ埋められない差があるんだ。二次元の絵が三次元の人間に抗う術がないのと同じなのだ。ただ、ただ一方的な関係…
清華が口を開いた。
お前、朱木だろ?うちの地元でもお前は有名だったよ。
あの矢…さっき俺の部下をめちゃくちゃにしてくれたのはお前だよな?
やってくれるじゃん。
伝説通りの猛者ってわけだ。
今、俺の部下がこの港を包囲してるんだ。
100人くらいかな。
なっ!100人だと…!
朱木も仲間も動揺した。
あっ早とちりすんなって。
そいつ等はただの見張りだ。手は出さないよ。
警察に口利くのも金がかかるんでね。殺しの揉み消しは。
これだけの人数全部口利いたら、軽く十数億かかってしまうんだ。出来れば私達との関わりを警察には知られたくないんだよ。彼らはその為の見張りだ。
憂を拉致するために店を襲撃したのも
ただの交通事故として処理するのに見積もり出してもらったら数億かかってしまうみたいなんだ。
最近、派手にやり過ぎたんで節制しないとな。
それはそうと、お前ら
全員皆殺しだ。一人も逃がすつもりないよ。
清華は朱木に近づいた。
あんた一人でこの人数相手にしようっての?バカじゃないの?
朱木はボーガンを構えた。
打ってみなよ。
清華はボーガンを向けられても余裕の表情で言った。
パシャ!
バシャシャシャシャ!
朱木は躊躇せず
ボーガンを放った。
仲間に向けて。
うわあああ!
仲間が数人その場に倒れた。
えっ
朱木は動揺している
朱木さんなんで?
仲間達も混乱している
朱木はさらにボーガンを仲間に向かって撃ち続けた
朱木さん!やめてくれ!ぎゃあ!
仲間達は叫んだ。
朱木の体は自分の意と反して勝手に引き金を引き続けていた。
私は清華の能力を目の当たりにした。
私には意識の具現化したイメージが見えるが、自分以外の意識のイメージを見たのは初めてだった。
清華の体から、
強烈な青白い光の帯が朱木の頭に注がれている。
やめろっ!
ドス!
ハア、ハア
朱木は勝手に動く体をねじ伏せ、己の右手にボーガンの矢を突き刺した。
へえ、お前なかなかの器の持ち主だな。男でこれだけ心圧を注いで自我を保てる奴はなかなかいないよ。部下に欲しいくらいだ。
どれ。
あっあっあっ
あー
ダメだ!それ以上はっ
パンッ
私は鮮血を浴びた。
朱木の耳から血が吹き出た
朱木!
憂…
朱木は私の方を振り向いて笑った。
朱木はその場に倒れた
あーっ惜しい。
パンクしちゃったか。
ギリギリまで心圧を注いでやりたかったんだけどな、さじ加減間違えた。
朱木!朱木!ちくしょう!
動け!俺の体…頼むから動いてくれよ…あいつをぶん殴らせてくれよ…
倒れた朱木、そして仲間を半数近くボーガンで打たれ、恐怖におののいたもの達はその場から逃走した。
だから一人も逃がさないってば。
最近無線でも飛ばせるようになってね。
更に短文なら一斉送信も可能だ。
光の帯が、逃走しようとした男達を一斉に包み込んだ。
男達は近くの仲間と殴り合いを始めた
止めろお前…!ぐああ!
俺の体、なんで勝手に!
ああああ…!
港に凄惨な地獄絵図が広がっていた。
そしてとうとう朱木の仲間は、最後の一人を残して全滅した。
最後に残った男は血まみれのバットを持って、私に近づいてきた。
ハアハア、憂さん、俺、体が勝手に動いてしまうんだ。自分じゃ止められない。逃げてくれ!
憂さん、早く!
男は、バットを振りかぶった。
う…
私は男の暗示を解き放つと、男はバットが手から離れ、その場に崩れるように倒れ込んだ。
それがお前の能力か。
今、お前の頭から触角みたいなものが出てきたな。
それでお前の言う、フタを開けるのか。
ぐしゃ
清華は倒れ込んだ男の首を
まるでアルミ缶でも踏み潰すかのように
踏みつけへし折った。
お前!
私は清華に殴りかかった。
しかし、簡単に腕を掴まれ止められた。
右腕に隠していたトンファーを引き出そうと袖に左手を入れると、
その手も掴まれた。
先手を打とうとしても、後の先で返されてしまう。私は清華に完全に実力で劣っていた。
よし、お前、俺のフタを開けてみろ。
何だと?
…
そういえば
清華から放たれていた私に対する膨大な殺意がいつの間にか消えていた。
だから今私は殴りかかれたのだ。
これは、千載一遇のチャンスかもしれない。
清華は私の能力を侮っている。
フタを開けて心圧をすべて吐き出させてお前を無力な人間にしてやる!
私は全ての触角を出し、清華の体を覆った。
?
…なに、開かない。というより栓らしきものが見当たらない。
えっ栓がない…清華には栓がどこにもついてないっそんな馬鹿な!
栓がないからこんな強靭な器を持ってるのか?だとしたら送信はどうやって
バチッ
その瞬間、私の触角は弾かれた。
そして清華から光の帯が私に放出された。
あ…
寒い…なんて寒さだ…
ああああ…
こんな寒さでなんでこいつは生きてられるんだ…
ああああ…
私が、私の心が凍りついてしまう…
清華さん!民家から警察に通報があってパトカーがこっちに向かってるって!
真帆が清華に向かって叫んだ。
警察には清華の息がかかった内通者がいるようだ。
光の帯が消えた。
お前も常人より強い器を持ってるようだな。能力と関係あるのか?
もういいよ。分かった。憂、お前は俺にとって、脅威にはならないことは分かった。
残念だ。
お前じゃ俺を止めることは出来ないんだな。
救いにも脅威にもならないんだな。
俺の中の心圧は増える一方なんだ。自分でも解消する方法が一つしかわからない。
増えた心圧を誰かに注入して圧力を抜くしかないんだ。
足りない…いくら放出しても増える量に釣り合わない。
お前にわかるか、このストレス。この気持ち。喉の渇きを癒すため海水を飲み続けているようなもの。
利息を返済するために借金する自転車操業ようなものだ。
どうする?
えっ何が…
こいつらの血を見て、俺の怒りは大分収まったし、もう眠くなってきた。
お前を殺す気もなくなったよ。この状況なら俺は殆ど直接手を下してないから、金を大してかけずにこいつらの内輪もめとしてこの件を片付けることができる。
ここでお前を殺したら金がかかるんだよ。
何より
もう早く帰って寝たい気分だ。
帰っていいよ。もう追わないから。
え…
帰っていいだと?
なんだとこいつ…人のことさんざん追い回して俺の周りの人達をめちゃくちゃにしておいて。
私は…しかし
恨みや怒り、憤りといった感情は一定以上湧き上がってこなかった。
何か、
もうどうでもよくなっていた。
私は復讐も何もかもどうでもよくなっていた。
自分の無力さを思い知らされ、完全に心をへし折られていた。
頑張ってどうこう出来る相手じゃない。かすり傷一つ与えられない。
帰っていいのか…
私は歩いてその場を離れた。
完全に負けた…
適わないにしろ少しくらいは歯が立つと思ってた。
足元にも及ばなかった。肉体的にも精神的にも。
寒い…心の底に隙間風が入り込んでるみたいだ。寒い…
続く