企業でも、人間でも、国家でも、共通しているのは、如何にあるかということが、何をなすかということより大切です。
 地位、名誉、金、領土などを強引に奪ったとしても、何かを成し遂げた事に相違ありません。しかし、何をなすかという事よりも、如何にあるかという事の方が遥かに大事だという事を先哲は、教えてくれています。
強引に奪う事で、何かをなし遂げた、人間、企業、国家は、かならず良心の呵責に苦しむ日がくるのです。あるいは、自己防衛のために、猜疑心にくるしめられるでしょう。あるいは、自己正当化、権威化しすぎて、努力する事を忘れてしまいます。こうなると、実は、急激に人間も、企業も、国家も衰えてまうから、不思議です。
情報過多で、操作も多い今日、何が正義なのか判定しづらくなっています。もはや正義を定義するのは、難しいのかもしれません。しかし、良心だけは確かに存在しています。如何にあるべきか、無心なって、心を静かにすれば、心の声として聞こえてくるのです。如何にあるべきかについての声です。