あまり僕自身の中で固まりきっていないので、Twitter でつぶやくレベルの内容なんですが、Twitter はそういうのを書き溜めておくのに、僕的には合わないのでこちらの方で。
書いておきたいのは掲題の件。コレは僕がいるような、比較的平均年齢が若い会社特有のことかもしれないんだけど、社内外問わずいろんなヒトと話していて思うところ。
若い会社では、すぐにマネージャーとか局長とか、所謂「お偉いさん」の立ち居地に出世することができます。もちろん、仕事で成果出さなきゃいけませんし、ある程度社内政治なんちゅうもんをがんばったり。だから努力はしないといけないんですけど、所謂「普通の会社(あ、ここには価値基準入れてません)」よりは早く上に上ります。
そうでないヒトも、すぐに「教える立場」になります。「教えられる側」から「教える側」へ、この時間的距離が異様なまでに短く早いのが、我々のような若い会社に特徴的なところだと思うのです。
これは正直「一長一短」です。長所から述べておくと、「教える側」の経験の整理ができるという点。人間は「教える」時に最も多くのことを記憶します、思考します、学びます。「教える」という行為の恩恵は、実は「教える側」が一番享受しているものだと思います。
一方で、「教える」という行為は、「ヒトを目的語に取る動詞」です。あるいは「ヒトとモノゴトを目的語に取る動詞」です。構文的にはSVOないしSVOOですね。
なので主語と目的語の間に「受動・能動の関係」が生まれます。当たり前です、他動詞ですから。
コレ自体は全く問題ないです。問題は、主語と目的語の関係が「師弟関係」である点です。いや、これだけでは別に問題はない。弟子にとって師匠はかけがえの無いものであり、メンターであるべき存在。その存在が存在すること自体も、全く問題はない。
僕が最近感じるのは、どちらかというと「師」の方。若くして、それこそ2年目、3年目、4年目、5年目、6年目、7年目、8年目、9年目、10年目・・・とりあえず若くして「師」になっちゃいます。これが怖い。
この「若い師」には2つの成長が求められます。「師としての成長」そして「弟子としての成長」。
つまり「若い師」には2面性があるわけです。誰かの師、でありながら、誰かの弟子、であるわけです。どちらも成長させなければいけない。
世間一般に言って、社会人10年目くらいまでは「若者」だと思うわけです。もちろん僕も含めて。ただそういう「若者」が多い会社において、若くして「師」になってしまうと難しい。所謂「慢心 」が生まれやすい状況ができてしまい、その中で「師としての成長」と「弟子としての成長」という無意識のジレンマを漂うことになる。
まぁ、やっぱりまとまっていないので、ココらへんでクローズにしようと思います。
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