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京都コンサートホール

 

 2008年から2022年3月まで京響の常任指揮者を務めた広上淳一がマーラーの交響曲三番を振る。このプログラムは常任指揮者としての最後の公演で演奏される予定だったが、コロナ禍であったことからマーラーの交響曲第一番に変更されてしまったのだという。今日の公演は多くのファンが待ち続けてたものだといえよう。それゆえかチケットは両日とも完売。会場前からファンの期待がホールに漂っていた。
 コンサートマスターは石田泰尚。メゾソプラノは、藤村実穂子。合唱は京響コーラス、京都市少年合唱団、合唱指揮は浅井隆仁。

 広上氏の公演はオーケストラアンサンブル金沢でしか聞いたことがなく、ここまで高く評価される所以がいまいち分かっていなかったというのが正直なところである。オケのせいなのか、なんなのか、、、しかし今回の公演でこの広上淳一という指揮者がどれほど凄腕か知らしめられた。巨大な編成の管弦楽を見事に制御し、演奏の起伏やそのバランスなども巧いとしか言えない。40分近い1楽章は、緻密なバランスでスケールの大きい明快な音楽を作り上げていたし、石田組長のソロはなんとも美しいものだった。2楽章のメヌエットも幸福感に満ちたような優美さがあった。そして、3楽章でのポストホルン(小さなおもちゃのようなホルン)のソロはあんな小さな楽器からこんなにも響きのある音が鳴るのかと感嘆させられた。とはいえ、小さいからか扱いがかなり難しいのは事実なのだろう。4楽章の藤村実穂子の独唱は憂いを帯びた美声で歌われる。5楽章合唱も朗らかで見事だ。強いて言うなら、合唱とオケのバランスがちょっとよく無かったのではとも思う。席もあるかもしれないが、鐘の音を表す「Bimm bamm」が打楽器陣のグロッケンやベルに負けてしまっているように感じた。少年合唱団が緊張していたこともあるだろうから、明日には改善されているだろう。6楽章はかなり遅めのテンポで始まり、細かいところまで味わうように演奏される。個人的には似たようなことを繰り返す最終楽章を朗々と弾き、2時間に近いこの交響曲の締めくくりとなるのはどうももどかしさを感じてしまう。ともあれ、京響の音を存分に鳴らし、最後の最後まで密度の濃い演奏であった。会場は熱狂に包まれたまま終演。聴衆も口々に「やっぱり広上さんだな」など言っており、京都における広上人気は相当なモノなのだろう。

 とはいえ、合唱が入るタイミングはちょっと考えものだなと思う。今回は2楽章の後にぞろぞろと入ってきて、藤村実穂子が入ってきたときは拍手が起きた。確かに長時間座って待っていることにはなるが、初めから合唱含めステージにいることは出来ないのだろうか。裏で声だしのようなことをしているとは思えないし、、

 なにはともあれ、広上と京響は最高の組み合わせなのは間違いない。また聞きに行こうと思う。