Concert memory -2ページ目

ザ・シンフォニーホール

 

 「井上道義ザ・ファイナルカウントダウン」と題した、井上道義氏と大阪フィルとのコンサートシリーズ。今回は4回目で、モーツァルトの交響曲第25番とブルックナーの交響曲第7番(ノーヴァク版)というプログラム。チケットは完売で、「ミッキーファン」が大勢集まったようである。
 

 盛大な拍手で迎えられた井上氏は、彼らしい快速でアクセントの効いたモーツァルトを披露した。始めの下降音型のシンコペーションから、久しぶりにここまでいいモーツァルトを聴いたなと思い、音楽に引き込まれた次第である。しかし、1楽章を終えた井上氏は持病の尿路結石が3日前から再発したことを説明し、ブルックナーに専念するとのことで1楽章のみで前半プログラムを終えた。本当にいい演奏であったので、ぜひ最後まで聴きたかったのだが、体調が理由では仕方ない。回復を願う。
 

 早めの休憩のあとで演奏されたブルックナー7番は見事なものであった。井上氏のブルックナーは新日フィルとの4番と8番の録音を聴いたことがあったが、いずれもきれいに明るくまとめるという感じだったと記憶している。しかし、今回は打って変わって、どこか朝比奈隆氏を彷彿とさせるような演奏であった。冒頭のVnトレモロから一気に観客をブルックナーの世界に引き込み、1、2楽章は荘厳で厳格な演奏を繰り広げ、3、4楽章はこのホールでここまで咆えさせるのかと思うほど、怒号の勢いで進行した。全ての楽器が十二分に音を鳴らし、楽譜に書かれた音符が許す最大の長さで演奏する。これはかつての音楽監督 朝比奈隆氏がリハーサルで再三求めていたことである。井上氏が振るコンサートはいつもは完全に井上ワールドになることは周知の事実であろうが、ブルックナーを振る彼は、自分を前面に出さず、純粋にこの音楽を演奏したのだと思う。
 

 ブルックナーを語るにおいて、「版問題」を避けるわけにはいかない。今回の7番で特に話題になるのは、第2楽章177小節におけるシンバル、トライアングルの取り扱いであろう。今回はノーヴァク版であるから、盛大にこの2つの楽器が鳴らされた訳だが、ハース版主義の私からすると、この部分はやはりティンパニだけのほうがいいように思ってしまう。いずれにせよ、かつてノーヴァク氏が言ったように「名演の前に版は大した問題ではない」と思える演奏だったことは確かである。
 

 引退が発表された時は、「どうせしないんでしょ」と思っていたのだが、どうやら本気のようだ。我々聴衆が思うより体調も芳しくないのだろう。ここまで素晴らしい指揮者が70代で引退するのは惜しいが、本人が決めたのなら仕方ない。今年のうちに出来る限りコンサートに足を運ぼうと思う。