Concert memory

ザ・シンフォニーホール

 

 昨年8月に急逝した飯守泰次郎氏が振る予定だったブルックナー5番をプログラムを変えずに高関健が代わりにタクトを振った。故飯守氏はおそらくノーヴァク版に取り組む予定だったのだと思うが、高関氏は相変わらず、「ハース校訂による原典版」をもとに書き込みを全部取り払って演奏するとのことだった。

 全体を通して、ここまで計算された音楽を初めて聴いたという感じである。なんとなく流れで進むという部分はなく、細部まで緻密な計算のもと演奏されていた。それゆえか、1楽章は推進力がやや弱く、平坦でつまらないなと思わざる負えない部分もあったことは確かである。しかし、2楽章はまさに祈りの音楽と言う感じで、個人的には今回の白眉であった。テンポは遅めであったが弦のコラールは荘厳で、なかなかいい演奏を聴いたなとこの時点で思うほどである。3,4楽章は推進力をもって進んでいった。これらの楽章では管楽器の難しさが露呈してしまったかなと思う。弦が音を長くとっているのに比べ、管は短く、特に下降音型の下がった音は雑味があったと言わざるを得ない。4楽章フィナーレのコラール主題は弦管ともにダイナミックに演奏されたのだが、もう少し慎重になっても良かったのではと思ってしまう。

 終演後盛大な拍手とブラボーが飛び交ったわけだが、我々ブルックナー・フリークとしては、最後の全休符小節まで楽しみたかったというところである。当然75分も待たされたあげく、最後の音がなってから計7拍待てというのは酷かもしれないが、それがブルックナーである。高関氏も始めの所謂フラ拍の後、それを制止するかのような動きを見せたが観客の大半がそれに続いて拍手を始めてしまったからか、諦めて(?)拍手に応えた。SNS上では過激な方々がかなりお怒りになられていたが、致し方ないことだと諦めることも大事であろう。

 今回の75分の演奏は当然休憩なしで演奏されるので、開演前から恒例の「ブルックナー・トイレ現象」が発生したことは言うまでもないだろう。大阪フィルのブルックナーは男女で観客の数に大きな差はなく若い世代も見受けられたが、今回は大半が男性の高齢の方々で片手で余裕で数えられる程度の若者という構成。そして、かなりの方々が睡眠をとられていた。ある評論家の方の言葉を借りるなら「眠れる音楽はいい音楽」ということなのだが、もったいないなとも思ったり。