落ちゲーは快楽 | 先生たちの「落ちゲーをやめる日」

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アドラー流カウンセリングとコーチングで、先生は歩きだせる

映画 Most likely to succeedを観てきました。気づいたことが沢山ありました。教育に興味がある人だけではない、今後の社会で働く人全員が見たほうがいいかもと思える内容でした。

その中で、試験についてもう一度考えてみました。学生の試験というのは、知識を問うもので、またテクニックで点を上げることもできます。試験勉強で詰め込んだ知識は、しばらくしたら忘れてしまいます。一見公平そうですが、本当の「実力」を測っているのかは疑問です。どこか学びの本質を捉えていないもやもや感があります。

こういう試験は本当は意味をなさないんじゃないか…と思いながらも、絶対に今のところなくなりません。評価して縦並びにするのに便利だし、他の方法もあまり考えつかないからです。

そして、もうひとつの理由が一瞬出ていました。「達成感」です。

小テストを繰り返すことは達成感につながる。期限と範囲が決められていて、覚えれば確実に点がとれるテスト。

それを見た時に、とある教え子が言っていたことを思い出しました。毎回小テストでほぼ満点を取っていた子です。

「毎回同じゲームみたいだから、小テストは好き。すぐに返ってきて、満点だと気分が上がる。」

もう一人は、TOEIC満点で表彰された生徒。「問題を解いて試験の回数を増やすほど点が上がるし、攻略本もでているから、本当にゲームだと思った。」、と。それでも満点はすごいけれど、なるほど、と思いました。

つまりテストはモチベーションを上げるのにも使われているのです。

しかしテストが次々課されるのは、落ちゲーと同じです。つまり慣れてくると、機械的に処理する部分が増えてきます。そして一般業務も同じです。みんなが雑用と呼んんでいるもの、「単なる」事務仕事と呼んでいるもの、カリキュラムをこなすだけの授業、何を学んだか、リフレクションのない行事や作品。

これらのタスクは、クリアすれば、つかの間の達成感が得られます。

もし、心からそれらを辞めたいのであれば、改善に向けて何らかのアクションを起こしているはず。それなのにできないのはなぜかというと、この達成感が「快」ドキドキだからですラブ

そんなことない!いやいや、やっている!不快だ!という人がほとんどだと思います。でも考えてみてください。本当に嫌なのに辞めないのはなぜでしょう。

「仕事で責任があるから」「私しかできないから」「反対されるから」「方法がわからないから」「お給料をもらっているから」

そうです。つまりやれば「一応の評価」というご褒美をもらえるのですラブ

でも、その評価は一過性で、次へとつながるものではありません。そしてそういう評価を実は心の底で求めている人には、そういう仕事が降ってきてしまいます。(こんなところに「引き寄せの法則」が!)

結果が見えにくい長期のプロジェクト。自分で方針からすべてを決めて段取りしなくてはならない仕事。それらは緊急ではなけれど重要な仕事です。しかしそれよりも、すぐに結果が出るものを、「緊急で重要(と思っているだけかもしれない) 仕事」としてどんどん選んでしまうのです。

じゃあどうしたらいいのでしょうショボーン モチベーションのためにも、ご褒美、つまり幸せだと感じることは必要です。それは、「自分ってステキ」と思えることや、「人の役に立った!」と思えるようなこと。

映画にあったように、「処理レベル」の仕事から、分析、レポートまでがAIに取って代わられ、さらにそれ以上になるかもしれません。人間に残されたのが、無から有を生み出すクリエイティブな力と、ソフト・スキルだけになっていくのではないかと思われます。

ヒントは、自分の快楽スイッチを、そのようなクリエイティブな能力やソフト・スキルを身に着けてこそ得られる評価に切り替えることにありそうです。