良いものだからやるべきだ、は本当か | 先生たちの「落ちゲーをやめる日」

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綱引きをやめて…の、「匠」の話の続きです。

みなさんは、仕事をする上で、自分なりのテーマを持っていますか。

なんとなく、オールアラウンドにできるより、何か1つに自信を持った専門家でいたい、と思いますよね。

「でも、それが強すぎると、周りの人とうまく行かないショボーン」 
「でも、自分の独自性を発揮したいえー

そう思う人が、綱引きをやめる時に、どう納得すればいいか、のヒントになればいいな、と思うことをもう少し書きます。


仕事で一つの研究テーマを持つことって、大切だと思います。例えば私の場合は、英語のライティング指導と決めています。

やったことは、次のようなことです。

中学生からのエッセイ・ライティング指導のコンセプトから授業設計と評価基準の作成、ライテイングだけの6カ年シラバスの作成、また総合学習で研究レポートをアブストラクトにする指導などを考え出しました。

また、自分自身もWebでアメリカのクリエイティブ・ライティングのコミュニティに入って短編を書き、ネイティブの人たちから批評をしてもらったり、あるいは欧米的なエッセイの描き方を日本語の作文指導として教えているところに通って学んだりしました。

みなさんも様々な学びをし、それを生かそうと努力されていると思います。

しかし、もちろん他の方と組んで授業をするのですから、いつでも自分の考えが通るわけではありません。そこで大切なのは、「通すことが目的ではない」ということです。

私自身にとっては、教科であれ生徒指導であれ、教える目的は「多様性を受け入れること」、つまりダイバシティの社会で生きていくための考え方やスキルを身につけてもらうことです。

そしてライティングは、言葉の選び方や文の作り方で個性が出るので、その多様性を最も実感できて、私自身がワクワクするからに過ぎません。


だからその指導「方法」が現場でダイレクトに受け入れられるかは問題ではないのです。また当然、自分で授業に導入するにしても、せめて他の先生とのすり合わせが必要です。

そのすり合わせは、まずは目的の共有。そして、方法の打診と交渉、段取りがある程度固まったらオープンにして巻き込む


私が企画を通す際、なんで通るのか、と考えてみると、そのすり合わせを手順を追って丁寧にやったからです。そして、誰からどのように了承を得て、誰に協力してもらい、誰の共感を得なければいけないかを把握していたこともあります。

それでも受け入れられなかったことはたくさんありました。打率で2割、良い時で3割くらいでしょうか。修正すればもちろんもっと採用される可能性は高くなります。

自分の教師としてのビジョンは、英語のライティングだけで叶えられるわけではないので、採用されなくても別に構わない、ただ、より良い方法を求めて研究はしていくし、機会があればプロジェクトとして立案する、というスタンスです。

「良いものだから、やるべきだ。」の論理は、「良いものなら何でもやる」ということです。

そうすると目的を見失い、相手のニーズを考えず、エゴを押し付けあうことになってしまいます。

自分がこだわりを持っている、スキルや研究テーマの先の目的を基準にすれば、綱引きの綱を手放して、むしろ工夫して更に良いアイデアを生み出すきっかけにもなるのです。