「感情的になるな」
なんてよく言いますが、
なってる本人はわかってないことのほうが多いし、
何よりわかっててもとめられないものがあるんですよね
最近僕が思ったのは、
感情的になってる時は
「やるべきこと」ではなく、
「やりたいこと」が優先されてるんだなと。
先日あるところで、こんなことを聴きました
「目標はストライクをとることなのに
ストレートを投げることにこだわる人がいる
カーブを投げてください」って
これ実は人とのコミュニケーションのお話で
相手に対してききずらい事を質問する際のコツを聴いたときなんですけど、
なるほど!これは話し方でなく「心」の話だなって思いました。
だって「こだわり」って「心の話」ですからね
カーブという球の投げ方を知ってたとしても
最終的にカーブを投げる、投げないは自分が決める事なわけで・・・
そう野球の例でお話をされたように、
僕もピッチャーの心理で考えてみる
こだわるのは
1、今ここでストレートで勝つことに意味があるから?
2、ストレートに絶対的自信があって打たれない自信があるから?
3、はたまた、ストレート以外の球に自信がないから?
4、よくいえば、ストレートで撃たれた球を仲間がとってくれると信じてるから?
などなど
1~3はこだわりたい理由でしょう
4であればストレートじゃなくてもいいんじゃないかなって思ったり。
プライドとかこだわりって僕は大切なものだと思っています。
自分を支えるものがそこにあるんですからね。
時としてはそれは大事なことであり、
僕も優先させることもあります。
やってもいい時、場合というのがあると思うし。
でもね、
自分の「やりたいこと」を、
先を見ずに
優先していることは
自分のことしか考えていない
スタンドプレー
どうしたいか
「ストレートで」ストライクとりたいのか、
アウトとりたいのか、
相手に勝ちたいのかわかりませんが、
目先の自分の感情を満たすために、
肝心な目標を忘れちゃってる
そして、すべき行動を間違えてしまってる
一つ一つ
ストライクをとること
アウトを積み重ねる事
その先にある勝利
そう、
「やるべきこと」
と
「やりたいこと」
本当は
「やるべきこと」をやれば、自分の目標としているゴールに近づいていくのに
「やりたいこと」を選択したために、
目標を達成しない可能性がでてきてしまう
ただ「やるべきこと」をまっとうすればいいだけなんですけどね。
でもね、
人間は感情的になると
忘れちゃうんですよ
今自分が「すべきこと」は何かを
見失っちゃうんですよね
そして、勘違いをしてしまう
今自分がやってることがストレートにこだわってる
自分の「やりたいこと」なのに
今「自分がやるべきことをやっている」って
アドラー先生はこれを
「すべきことをする生き方」=「勇気のある生き方」
「やりたいことをやる生き方」=「臆病な生き方」
と表現します。
そう。ストレートで勝とうとするのは決して勇気のある生き方ではなく
勝つために、カーブを投げる生き方の方を勇気ある生き方と言います。
野球で考えるとおもしろいものだなぁと思いました。
感情的になった時には
考えないといけないんですね・・・
最後に自分が達成したいものは何か
選択をしないといけないんですね・・・
そのために今の自分の取ろうとしている選択を変えられるか
僕は最近臆病な選択をしている人に対し、
勇気ある生き方を提案しようと思いました。
カーブの提案ですね
臆病な選択をしていることで
本当に守ろうとしているものを失ってしまうと思ったから。
でもね、それは本当は余計なおせっかい
もしかしたらストレートで勝つことに
僕が見出していない意味があるのかもしれないし
何より、今感情的になってる人には伝わらないんです。
おそらく、その人は結果として試合に負けてしまうと思います
その時に、苦しんで
悲しんで
助けを求められたときに、
このブログのことを教えてあげよう
そんな風に思った一日でした。
厳しいようですけど、
人間は本当に自分が困ったときに
変わる生き物なので。
僕もまだまだだなぁそんなことを考えた1日でした。
僕も球種こだわるタイプですしね(笑)