競馬における「大数の法則」 | 競馬 DE サイエンス(データ派)

競馬における「大数の法則」

今更ながらかもしれないが、競馬における「大数の法則」について考察したい。

まず、以下「大数の法則」について、 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から抜粋した。

◆概要
ある試行において事象が起きる確率(数学的確率、理論的確率などともいう)が p であり、その試行は、繰り返し行ったとしてもある回の試行が他の回の試行に影響を及ぼすことがない(独立試行)ものとする。このような前提条件の下で、その事象が起きる比率が試行回数を増やすにつれて近づく値(統計的確率あるいは経験的確率)は p である。つまり、各回の試行において各事象の起こる確率というものが、試行回数を重ねることで、各事象の出現回数によって捉えられるというのが大数の法則の主張するところである。
例えば「コイン投げ」、つまりゆがみも偏りもない"理想的なコイン"を投げて出る表裏を当てるゲームを行うとする。ここで、"理想的なコイン" とは「それを投げるとき、各回の試行において表が出る確率も裏が出る確率もともに 1/2 である」という確率モデルそのもののことである。このとき、コイン投げの試行回数を限りなく増やせば、表が出る回数と裏が出る回数の比率はどちらも 1/2 に近づく。実際にコイン投げをしたとき、(微視的に)一部分だけ見たときには出方が偏って見えることがあったとしても、全体として(巨視的に)見れば、試行結果というものは各事象の起きる確率によって支配されているのだ、ということもできる。

次に、以下、谷岡一郎氏著の「ツキの法則」より氏の主張を要約した

◆主張
「ギャンブルには控除率というものがあり、競馬ではそれが20~25%ある。つまり私たちがどんな手を使っても、回数を重ねれば重ねるほど、回収率は75~80%になってしまうわけだ。そしてそのオキテからは、誰一人として逃れることが出来ない。」(この主張の根拠は、前述の「大数の法則」から)

さて、ウィキペディアの概要にある理想的なコイン投げを例に考えてみよう。もし、コインを投げる人間が十分に訓練されたプレーヤーで、ある程度、任意の面(仮に表)を出せるとすると、表の出る確率は0.5を超え、同時に表の出る期待値も0.5を超える。つまり、自然の法則ではなく人の技術が介在する場合、「技術的訓練」が確率に大きく影響を与える訳だ。
そう、この「技術的訓練」、つまり「技術の差」があるので、マジシャン(手品師)やイカサマ師が生活していける(笑)。

ま、要するに、競馬の場合でも、参加するプレーヤーに「技術の差」があれば、期待値(=この場合回収率0.75~0.8)は、上昇もするし下降もするはずなのだ。そう、「技術の差」は一部の勝ち組を常にトータルで勝ち組にし、その他大勢を常に負け組にすることも示唆する。
つまり、参加するプレーヤーに「技術の差」があれば、期待値(回収率)を100%以上にすることも可能なわけだ。ただし、私は大数の法則が競馬に当てはまる云々を主張したいのではない。谷岡一郎氏の言う競馬の期待値は75~80%に収束するという主張に対し、参加するプレーヤーに「技術の差」があれば、期待値が100%以上のプレーヤーもいて良いはずだと言いたいのだ。

さて、競馬に参加するプレーヤーには「馬券を当てる技術の差」があるのだろうか? 
私は「ある」と思うが、今の私には演繹的に証明ができない。ただ、帰納法的には説明できる。たとえば、馬主には儲かっている馬主と損をしている馬主が存在する。また、調教師や騎手達には著しい「勝利度数」の差がある。つまり、競馬には「将来出世しそうな馬を見分ける技術の差」や「勝ち馬を育てる技術の差」や「レースで馬を勝たせる技術の差」が存在していると言える。だから、これらの技術を分析すれば「馬券を当てる技術」も確立できるはずだと思っている。

最後に、今回、何故この主題でブログを書いたかというと、谷岡一郎氏の主張で「心を折られた」競馬ファンをネットで見かけたからだ。私は「ツキの法則」(693円:税込)を購入し一読したが、前述のように余りに一面的な切り口の分析が多く腹も立った。にも関わらず、氏の主張を妄信し「心を折られた」競馬ファンを見かけたら何だか悲しくなった。ので、これを書いた。