(1)三浦瑠璃さんは発達凸凹か?

 

 三浦瑠璃さんのインタビュー記事を読んで、

 「彼女は発達に多少の偏りがあるのでは?」と私は感じました。

 

 以下彼女のインタビュー記事から引用したいと思います。

 

「ぼっち」でいじめられていた少女が“三浦瑠麗”になるまで | 文春オンライン (bunshun.jp)

三浦瑠麗が語る「感動の涙を醜いと思ってた」中学時代 | 文春オンライン (bunshun.jp)

論壇の“異分子”三浦瑠麗が告白「私は人間失格だ」と思ったとき | 文春オンライン (bunshun.jp)

 

 

(2)小学校時代の三浦瑠璃さん

 

「小学校高学年からいじめも始まったので、給食などのタイミングで人と一緒にいる必然性がなかったですね」

 

──いじめというのは女子からですか? 男子からですか?

 

最初は女子ですね。服装やメガネや、あるいは浮いていること自体について……

 

私は3歳のころからすでに視力が0.1しかなかったので、小・中とずっとメガネをかけていました。子供のころは、基本、人と話さずに童話の世界にのめり込んでいました

 

「やっぱり、教師って明るくって単純な「子供らしい子供」が好きなんだと思うんです。よく「他の子ともっと仲良くしなさい」と言われましたけど、ちょっと扱いづらい、面倒くさい子供だと思われていたんじゃないかと思います」

 

 

(3)中学生時代の三浦瑠璃さん

 

当時はまだスケバン文化が私の中学では残っていたので、身の危険を覚えるような腕力でのいじめもありました。」

 

「それから、陸上部内部でのいじめも逃げ場がなかったですね。今考えると、陸上部をやめればよかったと思うんですが、子供ってそういうことが考え付かないんですね。だから黙って部活も続けていました」

 

「その頃のことで強烈に覚えているのは、陸上部員が集まって、中学の木工教室で人民裁判みたいなものが行われたときのことですね

 

 たまたま技術の先生が顧問のひとりだったので、場所が木工教室だったのですが。もう一人の顧問の先生が、「濱村(三浦さんの旧姓)と一緒に練習をしないのは問題だ。濱村もみんなと仲直りしたいと言っているから、みんなの言い分も聞くから話し合おう」と部員に呼びかけたわけです。

 

 仲間はずれにしたのは女子なので、集まっていたのは全員女子でした。その和解のセレモニーというのは、夕陽が少し差し込んできた木工教室で、一人ひとり私に対する不満を順番に言っていくんです。で、言い終わるたびに一人ずつワーッと泣くんですね。

 

 私はそのとき自分の気持ちを表現できる言葉を持っていなかったのですが、「これが人々の心を洗い流してくれる感動の涙っていうやつなのか。ずいぶん醜いな」と思ったんですね。自分で言って、自分で感動して泣くみたいな。どんなにひどかったか、私たちの気持ちをどういう風に理解しなかったか

 

たとえば、瑠麗ちゃんがテストの答案を返してもらって嬉しそうにしてた。私はテストの点が悪くてその日一日落ち込んでいて、「ヤバイ、こんな点とっちゃったよー」と笑いながら言ったら「そうだねー」と返したとか。

 

 男子にちやほやされていたとか

 

──それは三浦さんに非があることではないですよね。

 

でも、おそらく私は配慮が足りないんです。配慮っていうのは、うちの母親がずっとしてきたようなことです。他人のお母さんの前では「うちの子はこんなに駄目なんです」ということを言ってペコペコしたり……。私はそれを見て、「ママは私のことずっとそういうふうに思ってたんだ」とか思っちゃうタイプ。

 

 母には「能ある鷹は爪を隠せ」とよく言われました。でも、私はそのよくわからない謙遜みたいなものが、すごくウソっぽくていやだと思ってしまって、だったら人と関わらないほうがいいやと思っていました」

 

「彼らが嫌な思いをしたことは事実なんです。それは彼らの主観ですから。でも、そこで涙を流すようなカタルシスを求めようとする様を私は醜いと思ってしまった。とんだ茶番だと思いました。私はここで言い返してはいけない。まず直感的にそう思いました。何より言い返す気が起こらなかった」

 

「だけど、そのときにはっきり気づいたんです。私は人におもねらずに生きてきたし、この先もおもねることはないだろうと。もしも、人におもねって生きていたら、もうちょっと楽に生きられたかもしれないし、いじめられなかったかもしれない。でも、それは自分で選んだことなんだから、しゃあないな、と。少なくとも自分には自分で落とし前がつけられますし

 

 

(4)こだわり?他人の気持ちがわからない?

 

 小学生から大学生までの生活を総括して三浦さんは以下のように話しています。

 

「私自身が集団の中ではずっと異分子でした。今はテレビの中で化粧をして、好きな服を着ていますが、学生時代はもっと全然ダサくて、モテもせず、ブサイクなんてさんざん言われていましたし、コンプレックスも抱えていましたから。私の昔の写真を見ると、今と眼差しが違うと思います」

 

 小学生や中学生の頃は、「ブサイク」と言われたこともあったかもしれません。

 

 しかし、「男子にちやほやされていた」こともあったようです。

 

 眼鏡をかけていても、美人は美人だったのではないのでしょうか?

 

 

 「ブサイク」呼ばわりする人たちの心の内を察することがうまくできなかったのではないでしょうか?

 

 頭が良くて、容姿が良くて。そんな女性は周りの女子からやっかまれたのではないでしょうか?

 

「出る杭は打たれる」

 

この言葉の意味を多くの優等生女子は理解しているのに、彼女は「おもねる」ことをしなかった。

 

 彼女が述懐しているように、「もしも、人におもねって生きていたら、もうちょっと楽に生きられたかもしれないし、いじめられなかったかもしれない」のだと思います。

 

「おもねる」とネガティブに考えるのではなくて、「他人の気持ちを考えて行動する」とポジティブに考えればよかったのではないのか。

 

 三浦瑠璃さんは発達凸凹(自閉スペクトラム症グレーゾーン?)としても特性は薄い方だと思います。

 

 しかし、それでも十分に生きづらいように思えます。

 

 優秀な頭脳により現在の成功があると思いますが、まかり間違えば悲惨な方向に向かってしまった恐れもあります。

 

 別のインタビューで、自殺を考えたこともあると彼女は語っています。

 

三浦瑠璃さんは発達凸凹か?②へ続く