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中学の頃、
僕は野球部に所属していた。
当時の僕は打撃に自信があった。
練習試合でも公式戦でも
バットを振ればヒットになる。
打率は6割を超え、
チームの中で
誰よりも結果を残していた。
本来ならクリーンナップ。
3番や4番を任されても
おかしくない成績だった。
でも、僕の打順は6番。
結果を出しているのに
後ろの打順に回される。
納得できなかった。
心の奥ではずっと悔しかった。
「なんで自分は6番なんだ」
そう思いながらも、
監督の決定には逆らえない。
上級生や他の選手の顔色を見て
僕は黙って従うしかなかった。
でも、打席に立てば
必ず結果を出してやると
心の中で誓っていた。
ヒットを打ち続ければ
認めてもらえるはず。
そう信じて、
僕は必死にバットを振った。
実際に結果は残した。
3ベースヒットを放ったり、
試合を決めるタイムリーも打った。
6番打者という立場でも、
打率6割という数字は
僕の誇りだった。
それでも悔しさは消えなかった。
「努力しても正当に評価されない」
その思いが頭をよぎるたび、
胸が苦しくなった。
振り返れば、
あの時の経験は
今の僕に大きな影を残している。
結果を出しても、
正しく認められないことがある。
それを身をもって体験したからだ。
でも同時に、
そこで学んだこともある。
「誰がどう評価しようと
自分の実力は消えない」
打率6割を残した事実は
数字として確かに残っている。
悔しかったけれど、
あの時の経験があるからこそ
僕は大人になった今でも
「努力を裏切らない」
という信念を持てている。
そして何より、
不当に扱われた悔しさが
「人を正しく評価できる人間でいたい」
という思いを育てた。
打率6割でも6番。
理不尽で悔しい経験だった。
でも、あの時の自分は確かに
諦めずに結果を残し続けた。
その姿は今の僕にとって、
誇りでもあり、
生きる原動力でもある。
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