迷子なう。

迷子なう。

ADHDな私の迷ったり探したり困ったり跳ねたりする日記。

Amebaでブログを始めよう!

私には特技がない。
就活の時なんて本当に苦労した。
エントリーシートや履歴書にある特技欄を埋めようとする度に自分の無力さに打ちひしがれたものだ。
転職時など購入する履歴書を選べるときは特技欄のないものを選ぶのが私の戦法になっていった。

子供の頃に表彰された記憶はない。
賞状が手元にないことがいつからかコンプレックスだった。
スポーツが出来る子。絵や字が上手な子。英語が話せる子。夏休みの宿題を褒められる子。
今思えば私が公に褒められたことはないってことなんだろうな。
体育の授業はいつもビリ争いで、高校からは学力も落ちこぼれ。
趣味で始めた大学のダンスサークルも足を引っ張ってばかりだったし、就活も周りより内定が出るのが遅かった。
それから社会に出てADHDが発覚して、周りに比べて出来ることは少ないと痛感させられた。
そんなわけで、特技を見つけることは未だに出来ていない。
だから自己肯定感が低いと言うよりは現実を見たまでだと思っている。

特技とは人に褒められたり表彰されたりして初めて自覚できるもの、だと思っている。
やったことを感謝されることはあっても特技を褒められる機会なんてあるんだろうか。
エントリーシートに書く特技は実績がないと面接で突っ込まれたらなかなか厳しい。
会社で特技を披露してもその場にもっと出来る人がいたらそれは特技とは言えないのではないか。
いろんなことをぐちゃぐちゃと考えるうちに、特技なんてものを捨てる決断に至った。

特技があればそれが自信となる。
けれど私にはそれがない。
その代わりに私が選んだもの。それが趣味だ。
この芸能人が好き。
この動物が好き。
ここへ行くのが好き。
こうやって過ごすのが好き。
そうやって自分という人間を形成していく。
相手に印象付ける。
そうしないとすっからかんな自分という人間は成り立たないと思ったから。

趣味を通して友達や知り合いも増えた。
趣味があることによって周りは私の精神面を安心して見ることが出来るのだろう。
だけどそれは見た目に過ぎないというとこを近頃感じている。
趣味での知識量や熱量を他人と比べてしまう。
今まで好きだったものが形を変えていく。
世間から批難される。
好きこそ誇りだったのに、随所にひび割れが目立つようになってきた。
いずれ崩壊する時が来るかもしれない。
だったら趣味は趣味だと、誇りにすべきではないと思われるかもしれないが、自分自身に誇りが持てないのだからこれ以上どうすることも出来ない。
生きるには自信だったり確固たる何かがないと。
そんな考えを捨てられるほど私は強くない。
人生で一番壮絶だったかも知れない日。
あれから10年の月日が流れたらしい。
あの日のことは今でも覚えている。
ちなみにあの日見つけたエアコンのコードはもうない。
ついでに言うとそのアパートすらもうない。
11年暮らしたアパートは建て替えることとなり、私は隣町へと引っ越した。

10年にしては少なすぎるブログを読んで振り返ってみる。
最初はADHDを題材にブログを書き始めたようだ。
文章も若く、テンションの高さが痛い。

やりたいことと心の安定を求めて職を転々とした。
やりたいことを求めると心が悲鳴を上げ、心の安定を求めると夢への未練が込み上げた。

ブログを読んでいく中で、自分でも忘れていたカウンセリングを受けたあとの一文。
-私の場合、知らない間に緊張状態が続いたり不安感が大きいことも関係しているらしく、それを取り除いていけば少しは改善するかもしれないとのことでした。
それはまさに今の職場の環境だった。
雑談で関係が構築され、その延長線上に仕事が存在している。
コミュニケーションを躊躇いたくなる人がいない恵まれたメンバー。(過去に怖かった人はいたけれど、退職された)
そんな職場で働き始めて4年が過ぎた。
これは私史上最長の職場となった。
職場環境もあるだろうが、この10年間、立ち振舞いや仕事の仕方など苦しみ続けて試行錯誤した結果なのだと思う。

今の職場でADHDを感じることはそこまでない。
きっとカウンセリングで言われた通り、緊張状態や不安感を感じる時間が少ないことは大きいと思う。
誰かに相談出来る。そもそも相談しやすい環境を整えられるのは本当にありがたい。
給料も高くはないけれど、毎月やっていけるだけは貰っているのでバイトをしたいと思うほどではない。
そんな感じで、慎ましくも生活出来ている。

このブログを立ち上げた当初はADHDを題材に書こうと思っていたので、今の職場で働くようになってからは更新回数が明らかに減った。
それでも私が満たされないのは、抑鬱のせい。
あの日考えたことがたまにふと帰ってくる。
と言うより心の奥底に眠っているのだと思う。俗に言う希死念慮というやつだろう。
コイツの消し方はわからないし、無理して消そうとすれば逆効果であるとこは察している。
だからコイツは生かしておくことにした。
人生の最後の最後の、最後の選択肢として。

私が今、生きられているのは「諦める」ということが大きいと思う。
ADHDであること。
いわゆる普通の人として生きられないこと。
理解されないこと。
高みは目指せないこと。
深い人間関係にはなれないこと。
恋愛、結婚は出来ないこと。
独りで生きていくこと。
私には出来ない。そう割り切って考えることでなんとか生きている。

それと、感情に蓋をしたことも大きいのかもしれない。
腹は立てない。
期待しない。
噂話は耳を塞ぐ。
聞きたくない情報からは離れる。
なるべく、心が動かないように。
こうやって心の平穏を保たないと、きっと向こう側へ行ってしまうのはあの日学んだから。

ADHDも鬱のことも過去のいじめのことも(ついでに趣味の一つも)隠して、自分の心の内を半分近く蓋した状態で職場でにいるので逆に自分の首を絞めてしまっている瞬間もあるけれど、今生きているのなら間違った選択ではないのかもと思う10年経った33歳の私なのでした。

一人暮らしを始めて10年が過ぎた。
普通の人なら家事スキルも身に付いていて、料理も一通りは作れるようになっているのかもしれない頃だけど、私は相変わらずだ。
洗濯、ごみ捨て。ただそれだけで生きている。
ちなみに洗濯は室内干し。取り込まずに着たい時使いたい時に取るだけ。
あとは焼酎を呑むためのコップを洗うだけの洗い物。
面倒だから料理なんて一切しないし、掃除機もかけないし、アイロンも本当にまずいと思った時だけ。
案外それでも生きられている。
周りにバレているかは知らないけど。

そんな我が家だが、約一年後にアパートの建て替えが決まった。
私よりも前に生まれたアパートだから、確かに古いと感じる部分も多い。
それでもここで生きていたし、多少の面倒はあったけどここを出ようと思ったことはなかった。

まだ引っ越し先は決めていない。
今の家からあまり離れない方が都合が良いのだが、引っ越すタイミングでの空き部屋にもよる。
引っ越しが多い時期を避けるなら年内が妥当かと踏んでいる。

まだ引っ越し先も引っ越し時期も決まっていないが、やらなければいけないこと。
それは、この部屋を片付けること。
以前、このブログで記事にしたが、業者に片付けを依頼したことがある。
二桁払った4年後、見事に部屋は戻ったのだ。
引っ越しも控えて、さすがにもう二桁は払えない。
同じエリア探したら家賃も多分上がると思う。
ちなみに4年前より給料は減った。

ゴールデンウィークに休みが入ったので、人混みに行きたくない私はついに片付けることにした。
ネットの記事によれば、小さいところから片付けると良いらしい。
例えば財布から、なんて書いてあったので、財布を開くとレシートや銀行の取引明細でパンパンだった。
ちなみにこの財布は去年の春に新調したばかりである。
カードは使っているものもあるし、今回は手をつけないことにした。
レシートは全て捨てる。
取引明細を捨てられない理由、それが個人情報。
だが我が家には1、2年前に買ったシュレッダーがある。使うべきなのに面倒で使っていなかったのだけれど。
馬力も選んだのでパンパンの明細もシュレッダーの中へ飲み込まれていった。

せっかくシュレッダーを稼働させたのだからと郵便物の詰まったウォールポケットや郵便物を放置していたベッドに手を伸ばす。
一番出てきたものは、チケットだった。
懐かしいもの、最近観たもの、コロナ禍で中止になったもぎられていないもの、都合がつけられなかったもの、もう一度見たいけれど大人の事情でもう二度と叶うことのないキャスティングのもの…
切ない気持ちがだんだんと増えていく。

次に多いのは請求もの。
度重なる転職で給料の振り込み先も変わった。
そうして引き落とせないものが増えていく。
知らないところに請求が来る。
そうやって振り込みはがきが増えていった。
お金って、めんどくさい。
原因は結局、面倒くさがりな自分なんだけど。

そして、とある一つの封筒へたどり着いた。
保険組合から届いたその封筒の中にはもう一つの封筒。
何故だか封がしてあった。
開くとそこには私の病名。
明細発行日は今の会社に入った頃だ。つまり、前の会社を辞めたタイミング。
傷病名。不眠症、うつ病(主)、胃潰瘍(主)、注意欠陥多動障害。
治療開始日は全てカウンセリングを受けていた病院へ通い始めた頃だろうか。
うつ病とはっきり書かれた病名。
書類に書けるほどの症状だったのだろうか。
一つ疑問なのだが、同じ(主)になっている胃潰瘍と診断された記憶はない。
私の中で胃潰瘍は激しい腹痛を伴うものなのだが、そうでないのだろうか。
病院に通い始めた頃は食欲不振くらいだったと記憶しているのだが…。
調べてみるとこの書類は組合側へ提出して医療費が戻ってくる?らしい。
病院側が盛って申請してくれたのか、気付いていなかっただけで胃潰瘍を発症していたのか、今となってはわからない。不眠症も同じく。
もう3年以上前に発行されたものだし、今の会社にうつもADHDも知られたくないので、書類を提出する気はない。

片付けて心がスッキリするという人がいる。
私はどうだろう。
過去が恋しく、今が辛くなり、変わらない自分変われない自分が嫌になる。
忘れようとしても自分が自分でいる限り、何も変わることはないのだ。

制作現場が、懐かしい。

そう思うのは、テレビ番組の制作チームを題材にした舞台を観たから。
コメディとして描かれた作品で、好きだった作品の続編でもあったのでかなり期待していた。
この時期ではあまり良くないのかもしれないが、お腹を抱えて笑った。
また一つ好きな作品が増えた。

多分、他の人より世界観に没入出来たし、わからない単語ももちろんなかった。
だって昔はそこが私の居場所だったんだもん。
番組のことばかり考えて、目の前に広がる景色に興奮して、一生懸命で、携われることが幸せで誇りだったあの頃。
それがすごく、懐かしくなった。

登場人物みんながその人なりにテレビを愛していて、羨ましくて、私だってテレビが好きなんだ!って叫びたくなった。
でも実際は制作している人間全員が番組を愛していたわけじゃない。と思う。
はっきり言えないくらい記憶が遠くなってしまったのだろうか。
いや、違う。心が蝕まれていたからそこまで見えていなかったんだ。

今だって戻れるなら戻りたい。
あの仕事を続けられたのなら幸せだろう。
だけど私は持っていてはいけないものを持っている。
捨てたいのに捨てられないもの。捨てることが叶わないもの。
周囲も私も苦しめる、それがある限り戻れないのだ。

お話の中で、ADが不慮の災難で大問題を起こしてしまうシーンがある。
そしてそのADはかすれた声とともに土下座するのだ。
それが昔の私に重なり、気付いたら泣いていた。
あの頃の私はもっと自分起因のミスばかりだったけれど。

やりたいこととやれることは別物。
そう言うと大多数の人から反論をもらいそうだけど、私には別物。
まあやれることすら見つからないんだけどね。
やる気がないとやれてると実感できないからかもしれないけど。

拘束時間とか勤務形態とか確かにブラックだったけど、私が健常者ならメンタルさえもてば続けられたと思う。
だから未練が残るんだろうな。
その先の才能があるかどうかはわからないけど、そこまですら行けなかったから。
そこでもがける自分だったら良かったのに。

 

“無気力”を具現化するとしたら、今の私になるだろう。

 

 

今の会社に転職して早2年。

業界は変わらないものの、もちろんやることは違うので最初はかなり大変だった。

好きな業界とはいえど、今までで一番やりたかったことからは遠い気がしている。

 

私が仕事に求めること。

自分の仕事に誇りを持てるか。世の中に貢献できているか。私は必要とされているか。

今考えてみると自分でその位置を掴み取らなきゃいけないんだろうけど、今の私にはそんな気力もないわけで。

機械音痴な私には向いていない職だったかな、なんて後悔もしている。

 

思えば大学を卒業して職種はもう4つ目。会社も3社目。

もうそろそろ落ち着きたいところだけれど、この職を一生全う出来るかと聞かれれば答えはノーだ。

そもそも一生ヒラをやれる会社なんて少なくて、年齢が上がれば上がるほど責任が付きまとう。

ADHDにその責任を背負うことなんて出来るのだろうか。

世のADHD会社員の皆さまはどうしているのか聞いてみたいものだ。

 

仕事に生きがいを求めなくても趣味で満足できれば良いのだけど、どうしても知識量や技術、熱意すらも人と比べてしまい、最近は少し疲れてしまった。

多すぎる情報には付いていけないし、時間が出来ても向上意欲も湧いてこない。

リフレッシュしようにも不要不急の外出への罪悪感から引きこもるしかない日々。

コロナ禍前から疲れてはいたけれど、憂さ晴らしもできずに自宅での飲酒量が上がるばかり。

体重計には乗っていないけれど、一体何キロ太ったのだろう。自分の体重にすら興味がなくなった。

 

10月上旬に黒いノートを買った。

ここに載せるものよりもっともっと真っ黒な感情を綴っている。

もう半分は埋まったか。酔いが回ってきたときはいつもより字も汚かったりして。

汚い部屋で安い酒を呑みながらひたすら黒い感情を吐き出す。

そんな大人になるなんて思ってなかったな。


書いていない期間にまた環境が変わりました。
そのことは追々書くとして。



ここを開設したのが23のとき。
ついに私は30になった。
小さい頃思い描いた30とは程遠い。
小学生の頃は大人になったら結婚して子供もいて、仕事は続けてるだろうな、なんて漠然と考えていた気がする。
将来の夢もコロコロ変わるような描くだけならタダの未来予想図。
それでもやりたい職業でキラキラとした毎日を送っていると疑うことも知らなかった。

中学の終わりから描き続けた夢のスタートラインには立ったものの、知らなかった自分が次々と顔を出し、普通ではない自分と生きていく決断としてやりたかった職種を諦めた。
描いた夢が間近に見える仕事をしながら日々を過ごしていく中で、もう一つの決断に踏み込もうとしている。
決断、というほど堅いものでもないのかもしれない。
悟り、という方が正しい言い方なのだと思う。

―私は結婚しなくていい。

元々思春期頃から結婚願望はそんなに大きくなかった。
一生一緒にいたいと思える人が現れたら。それくらいの気持ちだった。
周りの友達に比べて初めて彼氏が出来たのも遅かったし、交際人数も少ない。
それでも出会いがあるのなら、なんて淡い期待。
それを自ら蓋しようと心が動き始めた。

会社ではここ一年で、20人ほどの同僚の中の20代後半~30代前半4人が結婚した。
その中にはもちろん年下も含まれている。
女性は私を含めると5人だが、そのうちの2人が結婚して、私が未婚の女性の最年長となった。
同僚の中には恋人と同棲中の人もいるし、結婚したいと出会いを求める人も多い。

じゃあ私はどうだろう。
もう5年以上彼氏はいない。
出会いを求めて合コンに行くことも誰かにアプローチすることもない。
もちろん素敵だなと思う人はいたけれど、押し出すほどの魅力はないし、迷惑になっていたらそれこそ消えてしまいたくなる。

自分がADHDだと知ってから、心が弱くなってから、人と親密になるのが怖くなった。
きっと幻滅されてしまう。嫌われてしまう。迷惑ばかりかけてしまう。
恋愛に限ったことではない。
今の職場では引かれやすい趣味は隠し通している。ADHDだということも鬱だと診断されたこともいじめ後遺症もひた隠している。
おかげさまで明るいとかコミュ力高そうとか自立しているとかいう声も貰うようになっているが、根底にあるものを見られたらきっと私は認識されなくなる。

そんな仮面をかぶり続けていたら本当の私をさらけ出せる人と恋愛関係になるはずもない。
そもそも上辺だけの私を見ている人から好意を持たれることすらないけれど。
運よく交際に発展したとしてもこんな訳あり物件である。
そんな私に結婚なんて未来は見えない。

ADHDが結婚に向いていないというのはよく言われる話だし、全くもって異論はない。
しかし結婚しているADHDの方だってたくさんいる。
ではなぜ、私は結婚という選択肢を捨てようとしているのだろうか。

人生で一番壮絶だったかもしれない日。
あの日私は自分で自分を手にかけようとした。
そこまで私を追い詰めたのは「生きているのが申し訳ない」という気持ちだった。
ミスばかりで周りの人に迷惑をかけた。自分のケツを拭くこともままならず、拭いてもらっていた。
私が生きているからみんなは大変な思いをするんだ。私と関わったら不幸になるんだ。これから関わる人だって…。
そうやって悲観して消えようとした。

結婚するとなると相手にミスの後処理をしてもらうことだってあるだろう。恐らく何度も何度も。普通の人より多いんだ。
きっと私はそれに堪えられない。
愛する人が自分のせいで苦労している姿を見たくなんかない。
申し訳なさすぎて、きっと…。

こんな未来を想像するから結婚したいなんて思えない。
私のメンタルを操れる魔法使いがいるなら別だけど。

そんなこんなでここ数年、お独り様を謳歌してきたこともあってか独りも悪くないと思っている自分がいる。
元々一人行動には慣れているし、一人で楽しむ趣味もある。
人に疲れることもよくあるし、一人暮らしで良かったと思うことも多い。
私にはきっとお一人様もお独り様も合っているのだと思う。
頑なに結婚しない、というわけでもないが、独りの将来を考え始めている今日この頃です。
どうも。半年ぶりです。
まだなんとなーく仕事を続けています。
また新しい後輩も入ってきて、順調に研修を終えているようです。
私は相変わらず朝5時から働いています。
「朝の顔」とまで言われていますが、他に行く宛もないからなんて社外では言いにくい。社内でも言えないけど。

3月末で現場はかなり人が入れ替わりました。
今のところメンタルは落ち着いているらしく、そこまでコミュニケーションに困ることはありません。
しかし新人も多く、ミスが出て嫌な雰囲気になることも多くなりました。
自分はミスをしていないのでストラテラの効果が出ているのでしょう。
ストラテラを飲んでも頭がハッキリしないときは某翼を授かれる炭酸飲料を流し込んでなんとか乗りきっています。
ただ6月に入り、人事異動で大幅に現場の上層部が入れ替わり、少し雰囲気が変わりました。
より高いことを求められるようになったのです。
ADHD、大ピンチです。

会社内でも面談で目標を決めさせられたり、達成状況を逐一聞かれたり。
部長のデスクには社員たちの目標を書いた付箋が貼られています。
その横には達成できた目標を貼るスペース。
この会社では現状維持ではいけないと言う何よりの証拠です。
これ以上を目指すことが出来ない私にはとても苦しい光景です。

そんな中、半年に一度の聴力検査に行ってきました。
(会社の産業医にインカムのことを言われて以来、半年に一回ペースで聴力検査に行っています)
昨年の12月に行ったとき、右耳の低い音域が少し落ちていました。
先生には「疲れもあるかもね」と言われました。
それから半年、今回はそこから更に落ちていました。
検査した中で一番低い音域は正常ラインを割っています。
一年でこれだけ落ちたならもう一年経ったら…。
産業医に言われたときはまさか本当に落ちるなんて思っていませんでした。
耳鼻科の先生も「リスクはどんな仕事にもある」と言って辞めろとは言わなかったので。
今回も耳鼻科の先生は「嫌な感じだね」と言っただけでドクターストップは下しませんでした。

そんな検査結果を持ってとりあえず部長に報告。
これで辞める口実になるかしら、なんて思っていたら次の面談で衝撃の展開が。
なんと機械オタクの専務が骨伝導イヤホンをインカムに装着出来ないか模索中らしい。
骨伝導の方が耳に負担はないのでは、とのこと。
もちろん専門家ではないので本当のことはわからないけど、と付け加えられました。
ポンコツ社員の私のためにここまでやるのかとビックリしている半面、まだここで働かなくてはならないのかという絶望感も相まって脳内は大混乱。
次の就職先を探そうか、なんてカウンセリングで話していたので職探しも中断気味です。

カウンセリングで会社を辞めたいと話してから求人広告を見ているのですが、どうしてもやりたいことはテレビや出版、エンタメなどの業界。
しかし聴力のことを考えるとテレビ業界は難しいかもしれないと思い始め、大学卒業以来身を置いてきたテレビ業界を離れることを考えています。
でも中学生の頃から目指していた業界なので他の業界に目が行かなかったり愛着や情、未練がないと言ったら嘘になります。
次にやりたいと思っている校正の仕事もADHDが邪魔をして進めそうにありません。
耳を大事にしつつADHDである私が精神的に落ち着いて意欲をもって取り組める仕事。
果たして見つかるのでしょうか。
今月中旬、業者さんに来ていただいて大掃除しました。
まずはビフォーアフターをどうぞ。

ビフォー





アフター






床見えるし歩ける!踊れる!!(近所迷惑です)
最近は机もろくに使えていなかったので買ってきたお総菜がやっと机で食べられます。
ここまで長い道のりでした…。

まず電話して担当者から折り返しがくるまで数日。
業者さんが家に来て見積りを出してもらうと二桁いくことが判明。
でも躊躇しててもいつまでも打開出来ないので頑張って即決しました。

女性が多い業者さんだと聞いていましたが、来たのはリーダー男性。他男性一名、女性一名。
休みが少ないので一日で片付けたくて朝10時から作業開始。
いらないものいるものを私が決めるのですが、まあ物が多いこと多いこと。
ゴミも混じってるけど、ゴミのようでも残しておきたいものもあって。
多分ゴミだと判断されて捨てられたものもあったんだろうなと掃除の途中で諦めました。
唯一の女性は慣れていないのかリーダーに指示されるがまま。
洗濯物に水こぼしたりリーダーは何回も同じこと言っていたり…もしやこの人ADHDなのかとちょっと疑いたくなる瞬間も。
だからと言って私はイライラしません。だって仲間だもの。
男性二人が頑張ってくれていたので生理用品とか転がってると申し訳なくなるけどそこは仕事。
お金を払っているのだからと申し訳なさを消します。
タンスの中まで出してひたすら物を拾って仕分けてを夕方まで繰り返し、ようやく掃除機をかけ、用途別に分け、気づけば20時。
契約の18時で女性は帰ってもらい、その先は男性二人とひたすら作業でした。
たださすがにこれ以上は遅くなってしまうので、ということで作業はここまで。
写真にも写っていますが、テレビ台やベッドに物が残っている状態です。
これ以外にも少しあるのですが、本社に送る用の写真を撮るため隠しました。

と、まあようやくここまでになったのですが…
業者さんが帰ると数人で片付けたため何がどこにあるのかわからず、数日はいろいろ探し回ったり引っ掻きましてリバウンドしかけています。
男性が二名だったので美容用品はわからなかったのか、洗剤と一緒だったり薬と一緒だったり文房具と一緒だったり。
特に押し入れの中は収納ケースが足りず、溢れた洋服をごみ袋に入れていたのでそれがぐちゃっとなってます。
明日ケースが届くので頑張って収納しようと思います。
今日で仕事納めだったので、仕事のことは一旦忘れて自分自身と部屋を見つめてみようかと。
…できるのか?
大晦日から3日間、コンサートで大阪に行くので実質出来るのは明日だけだったりする。
最近休みに予定詰め込みすぎだな…。
というより休みが少ないのだけれど。
ADHDは片付けるのが苦手、というのは有名な話ですね。
御多分に漏れず、私も大の苦手です。

先日、年末のコンサートのチケットが届いた時に不在届けが入っていました。
でもその時間、私は部屋にいたんです。
イヤホンで音楽を聞いていたから気づかなかったのか?
再配達を依頼して、音楽をかけずにテレビも付けずに待っていたらドアをノックする音が。
そう、玄関のチャイムが鳴らなかったのです。
これは困る!と大家さんに電話すると業者を呼んでくれました。
チャイムだから外だけかと思いきや、業者が来て中を見せてくださいと言われたからもう大変。
5分だけ待ってもらい、急いでキッチン側にあったものたちを部屋に投げました。(うちは1Kです)
まあ汚いところをちらっと業者さんに見られてしまったのですが。
おっちゃんかと思いきや若い今風のお兄さんだったので精神的ダメージが…。
あ、チャイムは結局キッチンにあるスピーカーの電池を変えたら直りました。
スピーカーなんてあったんだね。

業者さんが来る前に玄関だけでもと思い、靴を並べていたんですが、何をどう並べたら片付くのか、どれをしまえばいいのか、どこにしまえばいいのか、わからなくて気づいたら固まっていました。
親はしっかりしなよ、片付けなよ、なんて簡単に言われますが、もう泣きたい。
カウンセリングには行ってるけど、精神的に何もしたくないって時もときどきあります。
仕事だってしてるし、正直毎食何を食べるのか考えることとお風呂に頑張って入ることと洗濯で精一杯です。
掃除機なんてかけられない。
もちろん部屋は足の踏み場もありません。
たまに忘れてたゴミがレジ袋に入ったまま出てきたり、飲み終わったペットボトルが出てきたり。
服も洗濯済みとまだのものがわからなくなったり。
会社の資料は企業秘密だから簡単に棄てられないし。
急いで投げたから部屋に入れないし。
もう、疲れた。

だからさっき業者に電話しました。
親は業者なんてお金かかるじゃん、近いうちに行くから、なんて言ってますが、60を超えた母親にこの部屋を普通にすることなんて無理です。
体だって丈夫じゃないのに。
あんたの家行くとどっと疲れが出るって言ってたじゃん。
それに近いうちに行くからと言って何ヵ月も経っています。
これは私の問題です。
幸い今はそれなりの給料を貰えているので業者を呼ぶくらいのお金はあります。
今月ボーナスあるし。
水回りとかどうせプロにお願いしようと思ってたから。
だからここらで力を借りることにしました。
お金払うから家族や友達より甘えられるしね。
御客様は神様、ですよ。
そうでもしなきゃ誰かに甘えるなんて私には出来ません。
さて、ビフォーアフターどうなるでしょう。
だいぶご無沙汰してました。

あれからなんとなーく日々を過ごし、なんとなーく業務をこなし。
4月から出勤日はほぼ朝5時からです。
だいたいは11時15分くらいに業務が終わり、12時には自由になる生活。
実質7時間も働いていないので、12時間労働している同僚たちには申し訳ないと思いながら働いています。
まあその分同僚には残業手当付いてますが。

不思議なもので、昼間に7時間働いた時と比べて終わったあとの眠気がすごい。
なのでお昼食べて帰ってすぐお昼寝したり。
そんなことをしているうちに夜がやって来ます。
明日はまた5時から。
早く寝ないと。
どうやら遊べる体力がないようです。
最初の頃こそ「寝るなんてもったいない!」と頑張って買い物に行ってみたりしましたが、勤務中に眠くなってしまったり。
休みの日も夜まで予定を入れられません。
ゴールデンのドラマは見られず、録画は溜まる一方。
これだけ寝ても休みの日も寝て過ごしたり。

先週なんかは頭が痛かったり耳鳴りがしたり吐き気がしたり呼吸が苦しかったり日毎にいろんな症状に襲われていました。
野菜ジュースも高い栄養ドリンクもレッドブルもダメだったな。
ネットで調べてみたら「自律神経失調症」というなんともまあ偏見のありそうな病名がヒット。
いじめ後遺症に理解がないならこっち系も無理だろうなと思って自分でやり過ごしました。
まあ誰一人「顔色悪いね」とは言いませんでしたが。
私って体調悪くても顔に出ないタイプらしいです。
無理しても誰も気づいてくれない。
まあそれで倒れたことなんて一度もないけど。

今まではストラテラをもらいに月一ペースで心療内科に通っていましたが、7月からカウンセリングに通っています。
しんどくて誰にも言えなくて爆発して部屋で一人大号泣。
思えばAD時代に爆発して鬱発覚したのも7月だったっけな。
7月って何かあるのか?
今はワークをやりながら人ともっと緊張せずにコミュニケーションが取れることを目指して通院中です。

さて、書きたかったのは私の近況ではなくて。
明日会社で部長と面談なのですが、目標を設定してくるように言われています。
なんとなーく仕事している今の私には目標がありません。
ADHDである以上この職は向いていないと感じてしまったから、というのが率直な気持ち。
でも部長が変わってから一切ADHDの話をしていません。
(部の数が減ったので今までの部長が副部長になり、部長は別の人になりました。)
上層部は知っているとのことなので、新部長もおそらく知っていると思います。
自分からは口にしたくなくて、なかなか確認できないし、ADHDが絡む話は避けています。

そんな状態なので、目標なんて特になく。
普通の人からしたら日々の業務でミスなくやれれば良いって向上心無さすぎるのかな。
それでもADHDはそれで精一杯だから。

今の会社に転職してから格段に耳鳴りの回数が増えました。
自律神経失調症の原因がストレスなのだとしたらそれは突発性難聴もなり得るということで。
心療内科の先生にも「一生出来る仕事じゃないから退き時を考えないとね」と言われました。
右も難聴になれば働かなくて良い理由になるかな、なんてかなり不謹慎なことも考えてしまうけれど。

カウンセリングをすればするほど自分の考えている自分がわからなくなる。
こうありたいって思ってたものは間違いだったのか。綺麗事しか考えられてなかったのかって。
先生から返ってくる反応が初めてのものばっかりで、今までの周りとのギャップもあってどう考えて良いのかわからない。
本当に変われるのかな、私。

でもカウンセリングすらなんとなくだから本当にぼーっと日々が過ぎていく。
キャリア・ウーマンに憧れて全身全霊で仕事したかった私にとっては現状が情けない。
ADHDの私が輝ける場所ってどこなんだろう。