中学校では、思春期の女子特有のある種ドロドロした人間関係に飲み込まれていくことになります。
クラス、部活、塾…
今から考えると、友達との距離感や、「この雰囲気だったら、どこまではしゃいでいいのか」という空気を読む感覚がまだわかっていなかったかもしれません。
おどけた性格を作ってみせたり、みんなの前で浮くような言動も一部ありました。
家では、
きょうだいとの扱いの違いや進路に対する考え方の違いに憤り、親に反発して、発作的に家から飛び出したり、壁に穴を開けたりしていました。
習い事に少しでも遅刻すると、もう嫌になって、本屋さんで時間を潰したりしていました。
試験勉強はいつも一夜漬けでした。
それでもそこそこ点が取れていたので、自分は普通なのだと思っていました。
高校に入学してしばらくしてから、我が家にインターネットがやってきました。
私はハマりました…。
今でもこの「インターネットとの適度な距離感」は、私の課題でもあります。
まず、携帯電話からでも見られるホームページを作りました。
「高校生、女」と入れると、見知らぬ人が友達になろうと誘ってきます。
知らない人と話をするのは、少し億劫でした。
そのホームページは、すぐに飽きました。
その頃好きだったマンガのファンサイトを巡ってとても面白かったので、自分も作ってみることにしました。
毎週、週刊マンガ雑誌を買って、レビューを書きました。
話を考えるのが楽しかったので、小説じみたものを考えては載せました。
そのうち、過激なことを書けばアクセス数が伸びたり、掲示板での反応が違ってくることがわかりました。
この頃にはすっかり宵っ張りになっていました。
授業中寝る、毎日遅刻する…
起きたら午後だったので、行くのを止めた日もありました。
進学クラスでしたが、2年生の時に下のクラスにダウンしました。
始業に間に合うギリギリの時間に起きて、すぐにでも支度しなければ間に合わないのに、そのへんに落ちているマンガ本を拾って読みます。
すると、一時間目が終わる時間になっています。
それで、パソコンに向かって自分のホームページをいじくる…
二度ほど、担任に呼び出されました。
年間の遅刻回数は数十回にもなりました。
親は、私より先に出勤してしまっていたので、私の異常な生活に気がつきませんでした。
3年生になり、担任が変わりました。
厳しい先生で、多くの課題が出ました。
授業中当てられて答えを聞かれるので、予習していく必要がありました。
好きなことを書き散らしすぎて、インターネットでは何度か嫌な思いもしました。
私は、もう一度マジメに授業を受け直すことにしました。
担任の言う通りに、図書室で勉強したり、繰り返し過去問を解きました。
学習の面白さ、それぞれの教科の楽しさを、高校の先生たちや衛星放送で見ていた予備校の先生たちが教えてくれました。
私は、どうにか四年制の私大に合格しました。
熱しやすく冷めやすい特性を、初めて自分でコントロールすることができはじめてきた頃だといえます。
この頃まだ、発達障害という言葉も知らず、自分に人と大きく違う部分があることにもまったく気がついていませんでした。
私は、私という人間を普通だと思っていました。
クラス、部活、塾…
今から考えると、友達との距離感や、「この雰囲気だったら、どこまではしゃいでいいのか」という空気を読む感覚がまだわかっていなかったかもしれません。
おどけた性格を作ってみせたり、みんなの前で浮くような言動も一部ありました。
家では、
きょうだいとの扱いの違いや進路に対する考え方の違いに憤り、親に反発して、発作的に家から飛び出したり、壁に穴を開けたりしていました。
習い事に少しでも遅刻すると、もう嫌になって、本屋さんで時間を潰したりしていました。
試験勉強はいつも一夜漬けでした。
それでもそこそこ点が取れていたので、自分は普通なのだと思っていました。
高校に入学してしばらくしてから、我が家にインターネットがやってきました。
私はハマりました…。
今でもこの「インターネットとの適度な距離感」は、私の課題でもあります。
まず、携帯電話からでも見られるホームページを作りました。
「高校生、女」と入れると、見知らぬ人が友達になろうと誘ってきます。
知らない人と話をするのは、少し億劫でした。
そのホームページは、すぐに飽きました。
その頃好きだったマンガのファンサイトを巡ってとても面白かったので、自分も作ってみることにしました。
毎週、週刊マンガ雑誌を買って、レビューを書きました。
話を考えるのが楽しかったので、小説じみたものを考えては載せました。
そのうち、過激なことを書けばアクセス数が伸びたり、掲示板での反応が違ってくることがわかりました。
この頃にはすっかり宵っ張りになっていました。
授業中寝る、毎日遅刻する…
起きたら午後だったので、行くのを止めた日もありました。
進学クラスでしたが、2年生の時に下のクラスにダウンしました。
始業に間に合うギリギリの時間に起きて、すぐにでも支度しなければ間に合わないのに、そのへんに落ちているマンガ本を拾って読みます。
すると、一時間目が終わる時間になっています。
それで、パソコンに向かって自分のホームページをいじくる…
二度ほど、担任に呼び出されました。
年間の遅刻回数は数十回にもなりました。
親は、私より先に出勤してしまっていたので、私の異常な生活に気がつきませんでした。
3年生になり、担任が変わりました。
厳しい先生で、多くの課題が出ました。
授業中当てられて答えを聞かれるので、予習していく必要がありました。
好きなことを書き散らしすぎて、インターネットでは何度か嫌な思いもしました。
私は、もう一度マジメに授業を受け直すことにしました。
担任の言う通りに、図書室で勉強したり、繰り返し過去問を解きました。
学習の面白さ、それぞれの教科の楽しさを、高校の先生たちや衛星放送で見ていた予備校の先生たちが教えてくれました。
私は、どうにか四年制の私大に合格しました。
熱しやすく冷めやすい特性を、初めて自分でコントロールすることができはじめてきた頃だといえます。
この頃まだ、発達障害という言葉も知らず、自分に人と大きく違う部分があることにもまったく気がついていませんでした。
私は、私という人間を普通だと思っていました。